第118話 帰りを待つ③

 ラドレーと分かれたバートとダントの二人は、領都ノエイナへと急ぎ馬を走らせた。


 ただならぬ気配を漂わせながら林道を戻ってきた二人を見て、ちょうどノエイナの北側の農地で農民たちの監督にあたっていたエドガーが声をかける。


「バート殿、何かあったのか?」


「エドガーさん……実は、林道にオークが出たみたいで」


「何だって!? 前回オークが出てからは……」


「ええ、まだ2年くらいしか経ってませんね。頻度としてはちょっと多すぎますが、出てしまったものは仕方ないので対応しないと」


「そうだな……農民たちには仕事を中断させて、全員を領都ノエイナの中に避難させよう」


「ええ、お願いします。ダント、エドガーさんを手伝ってくれ」


「分かりました」


 農民たちの避難を二人に任せると、バートはまた馬を走らせて領都ノエイナの中に駆け戻った。


 そのまま市街地を駆け抜け、学校へと向かう。この時間はクラーラは屋敷ではなく、こちらにいるはずだった。


「わあ、バート様だ!」


 校舎の窓から子どもたちがバートを見て歓声を上げた。ただでさえ容姿の整ったバートが、剣を携えて騎乗した姿でいるのは憧れるところがあるらしい。


 一方で、子どもたちと共に窓の外を見たクラーラは表情を硬くする。バートがこのような物々しい姿で学校の敷地に入ってくるということは、おそらく自分に伝えるべき緊急事態が起こったということだからだ。


「皆さん、先生は従士バートさんと大切なお仕事のお話があります。少しの間、教室で静かに待っていてくださいね」


「「はい、クラーラ先生!」」


 学校ではクラーラは子どもたちに自身を「先生」と呼ばせている。子どもたちが素直に返事をしたのを見て、急ぎ教室を出るとバートを応接室へと呼んだ。


・・・・・


 応接室に通されたバートは、クラーラに促されて挨拶もそこそこにソファに座る。


「バートさん、そのご様子だと、何か重大な事態が起こったのだと思いますが……」


 そう問いかけるクラーラの顔はやや疲れ気味で、目の下には少し隈もあった。もうノエインが帰っていてもおかしくない時期なのに連絡が入らないため、最近の彼女は従士たちから見ても精神的に消耗しているのが分かる。


 しかし、今は目の前の事態に対処しなければならないので、バートもすぐさま実務的な話に入る。


「林道で鉱山資源の輸送隊が魔物の被害に遭ったようです。現場の状況を見るに、おそらくオークかと。ラドレー隊長代理の見立てでは複数匹いるようです」


「まあ、何ということでしょう……それで、輸送隊の被害は?」


「幸い、オークとの遭遇前に避難したようでした。現場を見た限りでは人的被害はなく、馬を逃がす余裕もあったようです」


 バートの報告を聞いて、クラーラは胸をなでおろした。


「このままでは林道が使えず、資源をこちらへ運ぶことも、こちらから食糧や物資を鉱山村へ送ることもままなりません。それに、オークが領都ノエイナや鉱山村を直接襲ってくる危険性もあります」


「そうですね……治安的にも経済的にも、このままオークを放置していては損害が計り知れません」


 オークによる直接的な被害はもちろん、領都の外で安全に農作業を行えないことによる損害、鉱山資源を運べない損害も考えなければならない。


 御用商人であるフィリップのもとへ予定通り鉱山資源を卸せないとなれば、彼のスキナー商会や、その取引相手のマイルズ商会に迷惑をかけることになる。数回の納品遅れですぐに彼らの信用を失うことはないだろうが、重なれば借りを作ることにはなる。


「とはいえ、オークが複数匹となれば……」


 バートは険しい表情でそう呟く。ノエインが帰って来ていれば、という考えが浮かぶが、それを口にするのはこらえる。


 ノエインのゴーレムが、そしてあと二台のバリスタがあれば、複数匹のオークにも余裕を以て対応できただろう。しかし、いないものは仕方がないのだ。


 出征したアールクヴィスト領軍の面々がそう簡単に死ぬとは思えないが、そろそろ万が一を考えなければならない時期であるのも確かだ。重大事態の最中で、クラーラの不安をかき立てるような言動は避けなければならない。


「バートさん……いえ、従士バート。領主代行として命じます。困難な状況とは思いますが、オークの危機に対処する方法をどうにか考え出してください」


 一人で顔を伏せて暗い思考に囚われ始めていたバートは、クラーラの力強い声を受けて顔を上げた。


「ノエイン様がここにいらっしゃればどんなに心強いことかと思いますが、あの方は今ご不在です。であれば、このアールクヴィスト領を守れるのはあなたや従士ラドレーしかいません。あなた方の考える策を講じるためなら、私は領主代行としてあらゆる助力を致します」


「……クラーラ様」


 ノエインの安否が不明な中でオーク襲来という不運に見舞われ、クラーラは取り乱すのではないかとバートは考えていた。しかし、その予想に反して、彼女はしっかりと現実を見据えていた。


「私はノエイン様がお帰りになるまで、あの方の領地と民を守らなければなりません。とはいえ、私自身はただの非力な女でしかありません。あなた方だけが頼りなのです。その代わりに、私の全権限を以てあなた方を手助けします。必要なものも手配しますし、協力者が要るなら私から口添えします……どうか、お願いします」


「そ、そんな、お顔をお上げください!」


 バートは狼狽えながら言った。領主の妻であるクラーラから頭を下げられるなど、あまりにも畏れ多い。


「……私やラドレー殿は、こういう時のために従士としてアールクヴィスト士爵家にお仕えしています。どうかお任せください。必ずオークを狩り、アールクヴィスト領をお守りして見せます」


 クラーラが不安でないはずがない。それでも彼女は領主の妻として、今は領主代行として、部下の前で堂々とした姿を保っているのだ。従士の自分が彼女の期待に応えないわけにはいかない。そう考えてバートは頷いてみせた。


・・・・・


「それじゃあリリス、セルファース先生にも君から事の詳細を伝えてくれ。よろしく頼む」


「はい、お任せください」


「ハセル司祭も、お手数をかけますがよろしくお願いします」


「私たちは神に仕える身でありますれば、このような事態の中でご協力させていただくのは当然のことです」


「そう言っていただけるとありがたい。感謝します」


 屋敷でラドレーと共にオーク狩りの計画を練っていたバートは、クラーラによって屋敷まで呼び出された医師見習いのリリスと、教会を運営するハセル司祭に状況を伝えた。


 オーク狩りでは大勢の負傷者が出る可能性もある。そのような事態に備えて、彼らには負傷者を迎えて治療する準備を整えてもらわなければならなかったのだ。


 状況説明が終わって屋敷から帰る彼らを見送ると、バートは再び従士執務室に戻り、ラドレーとともに今後の対応を考える。


「さて、次は……ヘンリク、君への説明だな」


「詳しい話はもうラドレー様から聞きましただ。おらにやらせてほしいだよ」


 バートが声をかけると、屋敷で馬の管理などを担っている厩番のヘンリクはそう言って頷いた。彼は今回のオーク狩りで、ある重要な役割を務めることになる。


「もう一回聞くが、本当にいいのか? おめえの仕事は厩番と御者だ。無理に命まで賭ける義務はねえんだぞ?」


 ラドレーが尋ねると、ヘンリクは歯を見せて笑った。歯が一本抜けて隙間ができているのが愛嬌を感じさせる笑顔だ。


「馬の扱いしか取り柄がねえ田舎もんのおらを、ノエイン様は高い給金で雇ってくれただ。おらにできることがあるなら喜んでやらせてほしいですだよ」


「そうか……ありがとよ。オークと鉢合ったら絶対に守れるとまでは保障できねえが、少なくともお前より先に俺が食われてやる」


「へへへ、おらはオークに捕まらずに荷馬車を操るくらいわけねえだよ。いつでも出れるよう準備してきますだ」


 そう言って、ヘンリクは退室していった。


 ヘンリクの協力は取りつけた。次は戦闘で助力してくれる者を確保しなければならない。領都ノエイナを守りつつ森でオーク狩りを実行するには、半数が出払っている領軍だけでは頭数が足りないのだ。


 と、そこへ入室の許可を求めてきたのは意外な人物だった。


「失礼します。ノエイン様の労働奴隷のまとめ役を務めております、ザドレクです」


 許可を得て入ってきた大柄な虎人の男は、領主所有の畑の管理などを任されている農奴の頭だ。従士として屋敷に出入りしているラドレーやバートも、彼のことはよく見かけていた。


「ああ、おめえか……どうしたんだ? 聞いたかもしれねえが、俺たちは領内に出没したオークへの対応を考えてて忙しいんだ」


「そのオーク狩りについてですが……領軍の兵士は半分がノエイン様とともに出征していると聞いています。もし戦う人手が必要であるなら、私たちにも手伝わせていただきたいのです」


「何だと? おめえらは戦闘奴隷じゃないだろう。わざわざ危険な戦いに加わらなくても別に叱られることはねえぞ?」


 ラドレーが驚いた表情で言うと、ザドレクはそれに頷きながら続けた。


「それは私たちも理解しています。ですが、私たちはノエイン様に大変な厚遇をいただいています。特に獣人奴隷の私など、本来なら臨むべくもない厚遇を。そのご恩に報いてノエイン様のご領地を守るために、力を尽くしたいと考えました」


「……ノエイン様は領民たちにも奴隷たちにも愛されてますね」


 ザドレクの言葉を聞いたバートは、微苦笑を浮かべて言う。ラドレーも少し呆れたようにため息をついた。


「……おめえらがそう言うのなら参加してもらおうか。ただし役割はクロスボウを持ってオークを牽制することだ。前に出張って戦うのは俺たち従士や領軍兵士の仕事だからな。死ぬ確率は俺たちよりは低いから安心しろ」


「ありがとうございます。他の奴隷たちもきっと喜び――」


 ザドレクが話している途中で、ドタドタとやかましく入室してくる者がいた。


「ラドレーさん! オークが出たって聞きましたよ! 俺も戦いに付いていっていいですか!? クロスボウやバリスタがオーク相手に使われるところを見たいです!」


「わ、私も何か手伝えることはありますか!? 領の役に立てたってあとでノエイン様にお伝えしたいんです!」


 ダミアンとクリスティのワーカーホリックコンビだった。


「……あー、まずダミアン。おめえは付いて来るな。複数匹のオークが相手じゃたとえ後方にいても絶対安全とは言えねえ。おめえがうっかり死にでもしたらこの領にとって大損だ」


 ダミアンはアールクヴィスト領の最重要人物の一人だ。興味本位のオーク狩り見学で死んでは洒落にならない。


「そんな! そこを何とか!」


「駄目だ。おめえの作ったクロスボウやバリスタはちゃんと俺たちが活用するし報告もするから、今回は我慢しろ」


「……分かりました」


 渋々といった表情でダミアンは頷く。


「それとクリスティ。おめえは頭がいいが、さすがに戦いでは出る幕はねえ……そうだな、セルファース先生のところで怪我人が出たときに備えて手伝いでもしててくれ。高等学校を出たんなら医学の知識も少しはあるんだろ?」


「わ、分かりました!」


 クリスティは身の程をよくわきまえているのか、素直に頷いた。


 さらにそこへ入室者が現れる。領軍の兵士のまとめ役の一人であるリックだ。


「失礼します。非番の者も含めて兵士の招集が終わりました」


「分かった、ご苦労……それじゃあ、そろそろ動き始めるか」


 敬礼をしながら報告したリックに頷き、ラドレーは執務室の椅子から腰を上げた。

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