第117話 帰りを待つ②

 3月の上旬。アールクヴィスト領軍の詰所で、領軍隊長代理を務めるラドレーは慣れない事務仕事に悪戦苦闘していた。


 定員の半分が出払っている領軍兵士たちの勤務ローテーションを組み、彼らの給料や軍の予算も管理しなければならない。金勘定といえばこれまで自分の給料を数える程度のことしかしてこなかったラドレーにとって、この仕事は下手な戦いよりも苦しいものだった。


「ラドレーさん、忙しいところ悪いんですがちょっといいですか」


 そこへ、渉外を担当しつつ、今はラドレーの補佐も務めるバートがやって来る。険しい表情の彼を見て、ラドレーも仕事の手を止めた。


「何かあったのか?」


「はい、実は……鉱山村から採掘資源を運んでくるはずの輸送隊がまだ到着してないんです。正午には着いてる予定なんですが……」


「……何だと?」


 バートの言葉を聞いたラドレーは隊長執務室の椅子から立ち上がる。今はもう昼を過ぎている。明らかに異常事態だ。


「俺もスキナー商会のフィリップさんから納品が来てないと相談を受けて知ったんです。さすがに遅すぎるので、何かあったんじゃないかと……人手不足で輸送隊の護衛も減らしてましたから」


 鉱山開発はアールクヴィスト士爵家が行っている公営事業なので、鉱山村から鉱石を領都ノエイナに運ぶ際は領軍兵士が護衛に就く。


 しかし、人手不足が著しい現在は、どうせこのあたりに危険な魔物は出ないからと護衛の数を1、2人程度まで減らしていたのだ。


「……今日は確か、ダントの班は街の見回りだったな。あいつを探して詰所に呼び戻してくれ。俺は馬を準備する」


「分かりました」


 それから10分と待たずにダントが詰所まで戻り、ラドレーも馬を出す準備を済ませる。


 ラドレーは馬に乗れるバートとダントを引き連れ、鉱山村へと続く林道を走った。


 林道が整備された今となっては、鉱山村までは徒歩でも半日足らずで着く。馬を飛ばしていくと、それほどかからずに輸送隊の痕跡――積み荷ごと放棄された三台の荷馬車を見つけた。


「……これは」


「魔物に襲われたんでしょうか」


 荷馬車の積み荷は荒らされ、辺りに鉱石が散乱している。その様を見てバートが呟き、ダントは疑問を口にした。


 馬を降り、馬車の周囲を見て回りながら、ラドレーが答える。


「少なくともここで人的被害は出てねえ。馬も逃がす余裕もあったみてえだ。荷を捨てて逃げ切ったんだろう」


 危険な魔物の襲撃を受けたなら、戦った痕跡が残っているはずだ。しかしここにはそれがない。血肉が飛び散っているようなこともない。


「じゃあ、積み荷が荒らされてるのは何故なんでしょうか? 食糧を積んでるならともかく、魔物なら鉱石なんて荒らすはずが……」


「……オークですか」


 ダントが再び疑問を漏らす一方で、バートはため息をつきながら言った。


 オークやゴブリンのような魔物は、人を襲った際に得る金貨や銀貨、宝石の類を珍しがって保管する習性があるのだ。積み荷の中にあったラピスラズリ原石に興味を持ったのだろう。


「ああ、それもおそらく複数匹だ……つくづくオークとの縁がある領だな、ここは」


 荒らされた荷馬車や、周囲の木々に痕跡を見つけながらラドレーは皮肉を呟いた。


「俺は鉱山村まで走ってあっちの無事を確認してくる。お前らは領都ノエイナに戻ってクラーラ様に報告しろ。オークの襲来への備えもしておけ。俺もできるだけ早くそっちに戻る」


「……この状況で単独で動くのは危険じゃないですか? いくらラドレーさんでも」


「オークが複数匹いるんだ。3人だろうが1人だろうが絶望的に危険なのは変わらねえ。運を天に任せてとっとと動く方がましだ。お前らも行け」


 そう言いながら、ラドレーは再び馬に乗る。


「……分かりました」


「ラドレーさん、お気をつけて」


「おお。お前らもな」


 短く言い残すと、ラドレーは鉱山村の方へと馬を走らせる。バートとダントも急いで反対方向へと駆けた。


・・・・・


 馬を走らせて間もなく、ラドレーは鉱山村へとたどり着いた。


 職人や鉱山夫、その家族、さらに農民なども住み始めて人口が100人を超える鉱山村は、魔物対策のための木柵で囲まれている。


 出入口である門は閉じられ、柵の上からはクロスボウを構えた男たちが顔を出して周囲を見張るなど、物々しい雰囲気が漂っていた。


 最も脆い箇所であろう門で見張りについていたのは、当番で鉱山村に駐留している領軍兵士だ。まだやっと成人したばかりの若い兵士は。単騎でやって来たラドレーを見て驚く。


「ら、ラドレー様!」


「門を開けてくれ」


「は、はい! すぐに!」


 門の見張り台の上から兵士が指示を飛ばし、すぐに門が開けられると、ラドレーは村の中へと馬を進めた。


「輸送隊が来ねえから様子を見に来た。途中で荷馬車が放置されてたが……」


「俺が輸送隊の護衛に就いてたんですが、森の中からものすごい吠え声が聞こえて、積み荷は捨てて人と馬だけで村まで逃げ戻りました……すいません」


「いや、よく判断した。人的被害が出てねえならいい」


 荷を捨てたことを謝る若い兵士に、ラドレーはそう言う。


 鉱山の所有者であるノエインも、事業に関して「いざというときは人命優先」と指示していたのだ。迅速な判断で輸送隊や馬の命を救った兵士はお手柄と言えるだろう。


「そ、それで……吠え声を聞いた輸送隊の人夫たちによると、オークの声に似ていたそうです」


「ああ、それで間違いねえ。荷馬車が荒らされた現場を見たが、足跡なんかの痕跡は明らかにオークのもんだった」


 兵士の報告にラドレーは頷き、周囲を見回す。


 魔物対策のために鉱山村にも十数挺のクロスボウが置かれているが、村人たちはそれを持ち出して、しっかりとオークの襲来に備えているようだった。クロスボウ以外にも、斧やらツルハシやらを持った屈強な男たちが集まっている。


 その中の一人がラドレーのもとに近づいてくる。ノエインに雇われて鉱山開発の実務責任者を任されている、ドワーフの鉱山技師ヴィクターだ。


「ラドレー殿、よく来てくださった」


「ヴィクターさんか。村が無事のようでよかった」


「ええ、今のところは……それにしても、ベゼル大森林のこれほど浅いところでオークが出るとは。驚きましたな」


「ああ。二年くらい前にも領都ノエイナの近くにオークが出たが……稀にしかないはずのことがこう何度も起こるとは運が悪ぃな」


 ベゼル大森林の奥地にはオークのように危険な魔物が棲むが、浅い部分は比較的安全とされている。


 ごく稀にはぐれ者のオークが出没し、ときには森を抜けて人里までやって来てしまったという記録もあるが、それはわざわざ記録に残るほどの珍事だということ。そう頻繁に起こらない事態に何度も出くわすのは、不運としか言いようがないことだった。


「まあ、嘆いても出ちまったもんは仕方ねえ。俺は領軍を率いてオーク狩りの計画を練ることになるが……この村の防備はどうするかな」


 ノエインが戦争に持ち出したこともあり、大型の魔物に対抗できるバリスタは領都ノエイナに一台しかない。領都を最優先で守らなければならない以上、鉱山村の装備はどうしても貧弱になる。


「ここはなんとかなるでしょう。村人は力自慢の鉱山夫ばかりですからな。クロスボウもあるし、採掘道具も武器として使えます。オークを仕留めるのは無理でも、一時的に追い払うくらいはできるはずです」


「そうか……なら俺は領都ノエイナに戻ってオーク狩りの準備をする。できるだけ早くオークを仕留めて林道の行き来を再開できるようにするから、なんとか耐えておいてくれ」


 このまま鉱山村を放置して戻るのは心苦しいが、戦力的にも立場的にもラドレーがオーク狩りの指揮を務めないわけにはいかないのだ。今はヴィクターの言葉を信じるしかない。


「ええ、お任せください。ラドレーさんも単騎で戻るのであればどうかお気をつけて」


「なあに、こいつは軍馬だ。不意打ちで横っ腹に食らいつかれるようなことでもない限り、オークに追いつかれたりしねえよ」


 自身の乗った馬の首を撫でながらラドレーは笑い、鉱山村を後にした。

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