第111話 希望

「……敵の貴族たちは何か言い争いをしてるみてえです。殴り合いになりそうな雰囲気です」


 ボレアスが城壁の上から敵陣を見て、フレデリックにそう伝えた。


 獅子人であるために普人より視力に優れ、敵陣にいる者の表情まで見えるボレアスの報告を受けてフレデリックが答える。


「そうか……ご苦労。下がって休んでていいぞ」


 ボレアスを下がらせたフレデリックは、傍らにいたユーリに話しかけた。


「誰が次の指揮官になるかで揉めているようだな。国が違えど貴族が意地を張りたがるのは同じか。当分はまとまるまい」


「それまでは敵が攻めてくることもないでしょうな。こちらのゴーレムへの対応策も考えたいでしょうし」


 ユーリも首肯しながらそう返す。


 敵はいくつもの部隊が合流して数が膨れ上がっているが、それはつまり指揮官クラスの貴族が何人もいるということだ。基幹部隊の指揮官が昨日の戦いで死んだ以上、新たな総指揮官選びで意見がぶつかるのは必然だった。


 彼らがまとまるまで、しばらく時間がかかるだろう。ジノッゼが命を賭して稼いだ時間だ。


「……ノエイン殿の様子はどうだ?」


「まだ気落ちしているようですな。自分の命令をきっかけに部下が死んだことがよほど衝撃だったようです」


「そうか……将ならば誰もが通る道だし、仕方のないことではあるが、彼には立ち直ってもらわなければならない。できるだけ早く」


「少し様子を見てきましょう」


「ああ、頼む」


 ユーリは城壁から降り、本部建物へと向かう。と、そこへ声をかける者がいた。


「従士長様、少しよろしいでしょうか?」


「お前は……確かジノッゼの息子だったな」


「はい、ケノーゼと申します……あの、アールクヴィスト閣下に会わせていただきたいのです。閣下は父の死を随分と気にされているようだったので」


「……そうか。いいだろう。来い」


・・・・・


 ノエインは砦の本部内の自室で、無言でベッドに座っていた。その隣にはマチルダが、こちらも無言で寄り添う。


 昨日の戦闘を終えてから、ノエインはずっとこのような調子だった。マチルダに促されて睡眠と最低限の食事はとっていたが。


「……覚悟はできてたつもりだったんだ」


 ぼそりとノエインは呟いた。


「領民を一人も死なせたくないとは思ってるけど、いつどんなときでもそれが叶うと思うほど僕も子どもじゃないからね。領や国が危険にさらされれば戦わないといけないときもあると分かってたし、部下を死地に向かわせる命令を下すことだってあると理解はしてた」


 そう語るノエインの手に力が入る。ノエインの発案がなければジノッゼが死ぬことはなかった。彼はまだノエインの領民ではなかったが、戦争が終わればアールクヴィスト領で平和に暮らすはずだった。それはもう叶わない。


「だけど実際に犠牲を目の当たりにしたらこのざまだ……僕は弱いね。こんな体たらくで本当に領民たちを幸せにして、自分を幸せにすることができるのかな」


「……ノエイン様」


 自嘲気味に呟くノエインにそう呼びかけてはみたものの、マチルダはそれ以上彼にかける言葉が思い浮かばない。ただノエインに寄り添ってその手を握ることしかできない。


 そこへ、ドアをノックする音が響いた。


「ノエイン様、俺だ」


「……ユーリか。入っていいよ」


 そう返事をしたノエインは、部屋に入ってきたユーリを見て――その後に続いて入室した人物を見て表情を硬くした。


「ケノーゼ……」


 ノエインは自分が責められるのではないかと思った。しかし、ケノーゼは穏やかな表情のまま、ノエインの前の床に座る。


「アールクヴィスト閣下、昨日はご体調が優れなかったご様子だったのでお伝えできなかったのですが……父が最期に言った言葉を、ぜひ閣下にも知っていただきたいと思って参りました」


 そう言われても、ノエインは固まったままだ。ケノーゼは話を続ける。


「撤退の最中、父は後ろから私に『閣下のもとで幸せに生きろ』と言いました。そのときはなぜ今そんな話をするのかと思いましたが、帰還して父が背中に矢を受けていたのを見て、それが遺言だったのだと理解しました」


 そう言うと、ケノーゼはノエインに深々と頭を下げた。床に額が触れるほど深く下げた。


「アールクヴィスト閣下。私たちに、そして父に希望を与えてくださって本当にありがとうございます」


その言葉に、ノエインの表情が揺れる。


「獣人の私たちは戦争が始まる前から、ずっと虐げられて生きてきました。しかし、今は希望があります。父もそれを感じながら逝くことができました。貧しいまま年老いて死んでいくはずだった父に、『同胞や息子の希望を守るために散る』という意義ある最期を遂げさせてくださり、ありがとうございました」


 言い終えると、ケノーゼは立ち上がり、再びノエインに頭を下げて退室していった。


 ドアが閉められ、室内に少しの間、沈黙が訪れる。


 やがてユーリが口を開いた。


「……傭兵だった頃、初めて部下を失ったときは俺も打ちのめされたものだ。だからお前の気持ちは分かるつもりだ。お前が領民を一人も死なせたくないと思ってるのも、何度も聞いてたから知ってる。もうジノッゼのことは領民の一人だと思ってたんだろう」


 静かに、淡々とユーリは話す。


「これはあくまで俺の個人的な意見なんだが……領主としてノエイン様が守っているものは、俺たち領民の希望なんじゃないかと思うんだ」


 その言葉を聞いて、俯いていたノエインは顔を上げた。


「お前は領主としてよく頑張っていると思う。だが、盗賊や魔物がいて、戦争があって、ときには戦いや死を避けられないのがこの世界だ。そんなことは俺に言われなくてもお前なら分かってると思うがな」


 立って腕を組んで話していたユーリは、椅子にどかっと座ると、また言葉を続ける。


「……自分を信じて慕ってる奴全員の面倒を見ながら、完璧に守りきって一人も死なせないなんて、神様にだって不可能だ」


 ユーリに言われて、ノエインも微苦笑を浮かべながら頷く。


 ミレオン聖教の熱心な信者だろうと、神のご加護が及ばずに死ぬことはごく普通にあるのだ。神でさえできないことを、人であるノエインができるはずがない。


「そんな中でお前が唯一、領民全員に保障できるものがあるとするなら、それは希望だと思う。家も、土地も、それを守るための武器も、産業も、教育も、結局は生きる希望に繋がってるんだ」


 それを聞いて、ノエインは少し考え込むような表情を見せた。


「真面目に働けば飯が食える。金を稼げる。家族を持って子どもを作れる。相応の努力をすれば財産を増やせるし、出世もできる。種族も出自も身分も関係なく、アールクヴィスト領にはそういう希望があると思ってるから、俺たちはお前に従ってるんだ」


 ユーリは真っすぐにノエインを見ながら語る。


「たとえ死ぬとしても『何の希望もない人生だった』と思うんじゃなく、『希望に満ちた人生だった』と思って死ねる。そのために前を向いて生きられるし、俺も領軍兵士もここで戦えるんだ。ケノーゼの話を聞くに、ジノッゼだって希望を持って死んでいったんだろう」


 ユーリの言葉は、ノエインの胸にストンと落ちた。


「生きるか死ぬかは個人の運命だ。今日明日にいきなり死んでも、それは仕方がない。だが、お前の領民である俺たちには少なくとも希望がある。絶望の中で生きて死んでいく奴ばかりのこの世界では、それはとてつもない贅沢だ。お前はそういう贅沢を領民に与えてるんだ」


 つい先ほどまで暗い顔をしていたノエインの表情が変わる。


「だから……ああ、上手くまとまらねえな。とにかく、お前が俺たち領民に希望を与えてくれるかぎり、俺たちはたとえ死んでも自分が幸せだと思える。お前は俺が知る限り最良の領主だ。自分を嫌うな。それだけだ」


「……大丈夫、伝わったよ。ありがとう」


 頭をかきながら乱暴に話を締めたユーリに、ノエインは微笑みながらそう答えた。


「それならいい……今日明日あたりは敵も攻めてこないだろうが、俺たちが希望を持って戦うためにはお前の力が必要だ。お前の機転や、ゴーレムの力がな。だから落ち着いたら出てこい」


「分かった。すぐに出てこれると思うよ」


 ノエインの言葉に頷くと、ユーリは退室していった。あとにはノエインとマチルダだけが残る。


 ノエインはマチルダの方を向いた。その目には力が戻っている。


「マチルダ、僕が落ち込んでる間も傍にいてくれてありがとう」


「私は当然のことをしているまでです……ノエイン様のお傍にいるのが私の役目であり、喜びです。私はノエイン様が幸せに生きるのをお支えするために存在しています」


 マチルダはノエインの全てを肯定し、ノエインに絶対の愛と忠誠を誓っている。もはや当たり前となっているこの事実が、今のノエインには何より心地よい支えだと感じられた。


「……ありがとう、マチルダ」


 ノエインはベッドから立ち上がった。


「自分が何をするべきか分かった気がするよ」


 どれだけ領民を慈しんでも、領民の死を避けられないこともある。自らの判断が領民の犠牲を生むことさえある。しかし、そのことでノエインが塞ぎ込んで目の前の戦いから目を逸らして、他の領民たちが幸せになるのか。否だ。


 そんな暇があるのなら、今生きている領民たちのために、これから領民になる者たちのために考え、行動すべきだ。彼らに希望を与えて生かし、死が避けられないなら希望を抱かせて死なせるために行動すべきなのだ。


 自分自身が幸せに生きる。そのために領民を愛し、領民たちが幸せに生きて、ときには幸せに死ねるよう努める。その環境づくりのために領外の友好的な関係者と共栄の道を進む。そのために国の安寧に貢献する。そのために敵を討つ。


 それがノエイン・アールクヴィストの成すべきことだ。この世界で幸福を掴むとはそういうことだ。このことを見失えば領民の幸せを失い、領民の敬愛を失い、やがて自分の幸せも失う。そんなことをノエインは望まない。


「……皆のところに戻ろう、マチルダ」


「はい、ノエイン様」


 マチルダを伴って、ノエインは部屋を出た。

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