第110話 犠牲

「昨日の夜襲で敵は随分とご立腹のようだ……いつにも増して血気盛んなように見えるな」


「まあ、それも今だけですよ。昨夜はひどく寝不足になったでしょうから、体力も気力もひどく消耗してるはずです」


 隊列を組んで進軍を開始しようとするランセル王国軍を眺めながら、フレデリックとノエインはそう言葉を交わす。


「そうだな……とはいえ、敵が今なお1,000の大軍であることに代わりはない。油断せず、落ち着いて作戦を遂行しよう」


「はい、僕も頑張ります」


 フレデリックに答えながら、ノエインは両手の指をストレッチするように動かした。ゴーレム操作では、意識をゴーレムに伝える補助的な動作として手の動きが重要なのだ。


 城壁の上にはいつものようにクロスボウを構えた獣人たちが並び、門ではユーリ率いるバリスタ隊が矢を放つ準備をしている。


「従士長、敵があれでは爆炎矢の効果は半減です……」


 開かれた門から敵を見て、射手の兵士が不安げに言った。


 先の戦いで爆炎矢を何発も浴びたことから、ランセル王国軍はしっかりとその対策をしていた。森から切り出した木材で台車を作り、さらにその上に丸太を並べて、大がかりな移動式の防壁を作っている。


 敵兵は何台もの防壁の裏に隠れながら前進していた。


「そうだな……昨日の夜襲で爆炎矢をかなり使ったし、節約するか。通常弾に換えろ」


 ユーリの判断でバリスタにはただの矢が備えられ、敵の接近に合わせて一射目が放たれた。


 一発は丸太の防壁に突き刺さって止まり、もう一発は防壁の並ぶ隙間をうまく縫って敵の隊列の中に飛び込む。貫通して数人を仕留めたようだが、敵の進軍が鈍る気配はない。


「ちっ……ノエイン様、もうバリスタの効果は薄いようだ。ちまちまと数人仕留める程度のことしかできそうにない」


『そっか、まあさすがにそうなるよね……門を閉じて、防戦に備えよう』


「そうだな」


 ユーリは領軍兵士に命じて門を閉めさせた。


 そうしている間にもランセル王国軍は着実に接近し、お互いが射程圏内に入ると矢とクロスボウの応酬が始まる。


「無駄撃ちするな! 防壁の間を狙え!」


「怯むな! 敵は丘の下から撃ってるんだ、威力も弱いからそうそう当たらない!」


 フレデリックが、そして門を挟んで反対側の城壁ではペンスが檄を飛ばし、獣人たちは矢の雨の下で己を奮い立たせてクロスボウを放つ。


 ランセル王国軍の弓兵が放つ矢はほとんどが城壁を超えて砦の中に飛び込み、城壁に向かって飛んだものも多くは獣人たちの構える盾で防がれるか、角度が悪く鎧に弾かれる。


 獣人たちがクロスボウから放つ矢はランセル王国軍の移動式防壁に突き立つものもあるが、防壁と防壁の間や、防壁の上から敵兵に届くものも多い。高さの利もあり、ロードベルク王国軍よりランセル王国軍の方が遥かに被害は大きい。


 それでもランセル王国軍は数に任せて前進を続け、バレル砦の城壁までたどり着いた。


 防壁の裏から梯子を持った兵士たちが飛び出し、城壁に立てかける――と、その時。


 ランセル王国軍の隊列のど真ん中で地面が爆発したかのように土が飛び散った。それも二か所。


 同時に、兵士たちが次々に空中に吹き飛ばされる。この異常事態を前に、それまで統率の取れた動きを見せていたはずのランセル王国軍の前衛が烏合の衆と化す。


「ぎゃああっ!」


「何だこれは!」


「ご、ゴーレム!? 嘘だろっ!」


 昨夜のうちに地面に埋められていたゴーレムが飛び出し、全くの無防備だった敵の隊列の中央で暴れはじめたのだ。鈍重なはずのゴーレムが俊敏な動きで暴れる様を目の当たりにして、ランセル王国軍は恐慌状態に陥った。


 夜襲で陣を荒らされたことによる兵士たちの怒りも、既に冷めてしまった様子だ。


 それを見たフレデリックが横を向いて叫ぶ。


「大成功だなノエイン殿っ! 敵の隊列が一気に崩れた!」


「ええ! これなら押し勝てます!」


 ノエインはそう叫び返しながらも、両手をゴーレムの方に向けて指を動かし、ゴーレムを敵の隊列のど真ん中で暴れさせる。そのノエインをマチルダが盾で庇い、彼に敵の矢が及ばないように守る。


 ゴーレムを止めようと無謀にも槍や剣で挑みかかる兵士もいるが、人間とゴーレムでは勝負にならない。敵の中にちらほらといる獅子人や牛人、虎人などの大柄な獣人兵でも力負けして吹き飛ばされる。


 ゴーレムが腕を振ればそれが直撃した兵士の頭が吹き飛んで転がり、ゴーレムが歩けば足元に転んでいた兵士の腹が踏み潰される。ゴーレムの腕に当たって宙を飛んだ兵士が他の兵士の槍に突き刺さる。


 ノエインがゴーレムを闇雲に暴れさせるだけで、血まみれの死体が積み重なっていく。


 そんな中でも獣人の徴募兵たちは城壁からクロスボウを撃つのを止めない。ゴーレムに気をとられたランセル王国軍兵士は矢の雨を浴びて倒れ、城壁の上に気をとられた兵士はゴーレムに殴り飛ばされた。


 クロスボウの矢はゴーレムにも当たるが、特殊な硬質の木材で造られたゴーレムは何事もないかのようにそれを弾く。


「ノエイン様、敵に気づかれたようです!」


 ノエインを盾で覆い隠しながらマチルダが声を張る。ゴーレムを動かす傀儡魔法使いがノエインだと気づいた敵が、集中的に弓で狙い始めたのだ。


「亀甲陣形!」


 ノエインが叫ぶと、あらかじめ決められていた周囲の兵士が盾を構えてマチルダを中心に密集する。まるで亀の甲羅のように並んだ盾の群れが、ノエインを包み込んで敵の矢を通さない。


 盾と盾のわずかな隙間からノエインは敵軍を見据え、ゴーレムの操作を続けた。


 一方、フレデリックは獣人たちを指揮しつつ、敵の様子を見て言った。


「度胸のある奴が梯子を登ってきたぞ! 白兵戦に備えろ!」


 クロスボウに狙われながらゴーレムの相手をしていては命がないと気づいたランセル王国軍兵士の一部が、意を決して城壁の方に駆け寄り、梯子を登り始めたのだ。対する防衛側も、前回と同じように装填係の獣人たちまで城壁に駆け上がり、そこで激しい戦闘が勃発する。


 城壁の上までたどり着いたランセル王国軍の勇敢な兵士が、しかし大柄な獣人によって即座に殴り落とされる。その兵士がたった今登ってきた梯子も蹴り外される。


 城壁の内側に敵を入れまいと槍で必死に応戦していた獣人が、敵の矢に当たって倒れる。


 砦の城壁を挟んで激しい戦いがくり広げられるその様を、ランセル王国軍の隊列後方では指揮官の男も見ていた。


「あの傀儡魔法使いを仕留めろ! このままでは埒が明かんぞ! こちらの魔法使いを前へ出せ!」


「しかし閣下、あのゴーレムが暴れる中に魔法使いをやれば魔力を集中させる間もなく殺されてしまいます! 魔法使いは貴重です!」


「では弓兵全てであの亀甲陣形を撃って崩せ! 一発くらい盾の隙間を通るであろう!」


 たった一人の傀儡魔法使いのせいでまた敗北してしまうと、男は焦っていた。夜襲でコケにされた挙句、敵の数倍の軍勢を以て攻めたのに砦を落とせなかったとなれば、指揮官としての自分の能力も疑われてしまう。


 男は険しい顔で前方の砦を見据えて怒鳴り続ける。男の周囲の護衛兵たちも、ゴーレムが暴れまわる前線の光景に目を奪われる。


 誰もが前を見ていた。そのせいで、後ろへの警戒が疎かになっていた。


 ふと違和感を覚え、男が斜め後ろを振り返る。すると、


「なっ! 馬鹿な!」


 そこには見覚えのない騎兵部隊がいた。


 その数は十騎ほど。馬一頭につき鼠人などの小柄な獣人が二人騎乗しており、前方の獣人が手綱を取り、後ろの獣人は小型の弓を台座に横付けしたような見慣れない武器を構えていた。


 武器は全て男の方を向いている。


「ご、護衛兵――」


 男が言い終わる前に、その全身を矢が貫いた。


・・・・・


「ノエイン殿! ジノッゼたちの隊がやったぞ! 敵の指揮官を仕留めた!」


 盾に守られて視界が限られていたノエインは、フレデリックがそう叫ぶ声を聞いて自分の策が成功したことを知る。


 夜目の利く獣人たちに爆炎矢の魔道具を持たせて敵陣に忍び込ませ、混乱を引き起こす。その隙にゴーレムを砦の前に埋め、さらに馬に乗れる獣人たちをジノッゼに指揮させて右手前方の森に潜ませ、森の中を通って敵の後ろに回り込ませる。


 敵との戦闘の最中に足元からゴーレムで不意打ちをかけ、そちらに気をとられている敵の後ろからジノッゼ率いる騎兵部隊が接近し、クロスボウで敵指揮官を討ち取る。


 三段階の奇襲によって敵を徹底的に混乱させ、軍隊としての機能を奪うという奇策だった。


「よかったです! それで、彼らは?」


「戦場と砦を迂回して東門の方に回り込もうとしている! 敵も気づいたようだ! あいつらの撤退を援護するぞ!」


「はい!」


 敵の指揮官を撃った後、ジノッゼたちが撤退するときが最も危険だ。後ろから奇襲を受けたことに気づいた敵兵がジノッゼたちに襲いかかろうとするのを、ノエインのゴーレムと城壁のクロスボウ部隊で押し留める。


 ゴーレムをぶつけ、クロスボウで矢を降らせても、数で勝る敵はジノッゼたちに迫ろうとする。歩兵が騎馬に追いつくことは不可能だが、弓兵の放つ矢は容赦なく届こうとする。


 敵の矢の雨をかいくぐり、十騎の騎兵は砦の後方に回り込んで東門から飛び込んできた。


 一騎、また一騎と帰還し、最後に息子ケノーゼとともに騎乗したジノッゼも砦の中に入る。


 その頃には、指揮官を失って大いに混乱したランセル王国軍は、潮が引くように撤退していった。


「よし! 今日も我々の勝利だ! 皆よくやった! 死者と負傷者を確認しろ!」


 兵士たちにそう指示を飛ばしたフレデリックは城壁を降り、英雄的な役割を果たしたジノッゼたち騎兵部隊のもとに向かう。ノエインもマチルダを伴ってフレデリックの後を追った。


「ジノッゼ、それに皆も、本当にお疲れさま」


 敵の追撃を全力で振り切ったため息も絶え絶えといった様子の獣人たちに、ノエインは労いの言葉をかける。獣人たちはそれに応えるように頷いて見せた。


 しかし、ジノッゼは何の反応も示さない。息子ケノーゼの後ろで目を見開いたまま動かない。目には光が宿っていない。


「ジノッゼ?」


 ノエインが彼のもとに近づくと――その背中には矢が突き立っていた。


「……あぁ」


 それを見た瞬間、ノエインは体から力が抜けるのを感じた。崩れ落ちそうになるのを必死にこらえる。


 ケノーゼは後ろを振り返り、自身の父が絶命しているのを確認すると、ノエインの方を向いて静かに首を振った。


「……ごめん」


 咄嗟にそんな言葉がノエインの口をついて出る。自分の立てた策のためにジノッゼは死んだ。自分が彼を死なせた。その実感が急にノエインを襲う。


「お前の父は英雄だ。彼のおかげで今日の勝利がある。彼と戦えたことを誇りに思う」


「……ありがとうございます。父もきっと喜びます」


 フレデリックがノエインの前に出て、ケノーゼにそう言葉をかけた。それにケノーゼも返す。初めて聞くその声は、ジノッゼに少し似ていた。


 ノエインはケノーゼにかけるべき言葉が思い浮かばない。ケノーゼはノエインの方を一瞥すると、父親の動かない体を馬から降ろして担ぎ、去っていった。


「……ノエイン様」


 マチルダが心配そうな声でノエインを呼ぶ。


「大丈夫だよマチルダ、大丈夫……ただ、凄く疲れただけだよ。部屋に戻って少し休もう」

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