第97話 報せ
アールクヴィスト領にベヒトルスハイム侯爵領からの遣いの騎士がやって来たのは、12月の上旬も終わる頃だった。
この騎士は今日の昼にレトヴィクのアルノルド・ケーニッツ子爵へと報せを届け、馬を替えてさらに走り、夕刻前に領都ノエイナまでやって来たのだという。
「アールクヴィスト士爵閣下、急な参上にも関わらずお目通りをいただき感謝いたします」
「遠路はるばるご苦労様でした。早速ベヒトルスハイム閣下からの御報せをお伺いしましょう」
一日で二人の領主に報せを届ける強行軍で疲れた様子の騎士を労いながら、ノエインは応接室で椅子に座る。その後ろにはいつものようにマチルダが立ち、さらに従士長であるユーリと従士副長のペンスもその場に同席していた。
「では……ベヒトルスハイム侯爵閣下より、ランセル王国との戦争に臨むため北西部貴族も出陣の準備を整えよとの命が下りました」
その言葉を聞いても、ノエインたちは露骨に驚いたり動揺したりといった素振りは見せない。
こうなることは予想の範疇であり、ただ「ついにこの日が来た」という思いを内心で噛みしめるだけだった。
「戦端が開かれるのはおそらく冬明けすぐになります。そのため早いうちに武器や物資、兵の用意を行い、1月末には王国南西部、ランセル王国との国境に集結せよと国王陛下より軍令を賜ったそうです」
「……分かりました。今年の末の北西部閥の晩餐会はどうなりますか?」
「晩餐会の予定を変更して北西部閥の軍議を開くこととし、各領の動員兵力の割り当てなどを話し合うそうです。日程はそのままで、晩餐会用の儀礼服ではなく軍服で参列するようにとのご指示を預かっております」
「確かに、ご指示を受け取りました……我が領の動員数の目安についてはベヒトルスハイム閣下より何かご指示は?」
「北西部全体で計5000人を動員するそうです。通常、士爵領であれば動員数は10人ほどとされていますが……ただ、アールクヴィスト閣下に関しましては、これまで破格の実績をお持ちのため”格別の活躍を期待する”とのことです」
騎士にそう言われて、ノエインは表面上は冷静さを保ちつつも内心でため息をつく。
つまりは、普段から有能さをひけらかしている分、戦争にもそれなりの気概を持って臨めということなのだろう。少なくともそこら辺の下級貴族と同程度の動員で、兵力のわずかな足しになってお茶を濁すだけでは済まされまい。
「ベヒトルスハイム閣下のご期待に必ずやお応えするとお伝えください……本日は長距離の移動でお疲れになられたでしょう。屋敷の客室をご利用の上、ゆっくりと休まれてから明日お帰りください」
「お気遣いに感謝します。それでは、お言葉に甘えさせていただきます」
メイドのメアリーに騎士を客室へと案内させ、彼が退室したのを見届けてからノエインは息を吐いた。
「はあ……いよいよ本当に戦争だね」
「避けられないとは分かっていたが、こうして報せが届くと嫌なものだな」
身内だけになってようやく肩の力が抜けたところで、ユーリとペンスは先ほどまで遣いの騎士が座っていた側の椅子にどかっと座り込み、マチルダはノエインの隣に静かに腰かけた。
「北西部から5000人の動員となると、かなり本格的な戦争でさあ」
「そうなる……のかな?」
「ああ、わざわざ距離のある北西部からそれだけの数を出させるってことは、南西部貴族の領軍や傭兵、徴募兵、それに王国軍はそれ以上集まるんだろう。総勢だと2万人を超えるんじゃないか?」
ロードベルク王国の人口の1%以上を動員するとなれば、かなりの大戦と言える。
「そっか。そうなると僕たちも今回は楽に乗り切るわけにはいかないだろうね。わざわざ”格別の活躍”なんて言われちゃったし……できれば後方で楽な任務に就きたいけど、敵との戦闘は避けられないんだろうな」
「そう心配することはない。そういうときにノエイン様を守るために俺たちがいるんだからな」
「はい、私たちが命に代えてもノエイン様をお守りします」
ユーリの言葉に同意しながらマチルダも言った。
「別に自分の命欲しさで言ってるわけじゃないよ。僕を守るためにマチルダに死なれるなんて絶対に嫌だ。もちろんユーリも、ペンスも、誰に死なれるのも嫌だ……戦争するのに馬鹿みたいに聞こえるかもしれないけど、僕は自分だけじゃなくて、部下も領民も死なせたくない」
拗ねたように言うノエインを、三人は内心微笑ましく思いながら見る。
「大丈夫だ、どうせ主力として戦うのは王国軍や、まとまった戦力を持つ上級貴族たちだろう。北西部からの助っ人の下級貴族が重要な戦場を任されることはないと思うぞ……逆に言えば武功を上げる機会を上級貴族に奪われることになるが、ノエイン様にとってはその方が幸いだろう」
「ベヒトルスハイム侯爵だって、将来有望なノエイン様をそう簡単に危険な戦場で死なせたくないはずでさあ。後方で楽はさせてもらえないでしょうが、激戦区に置かれることもないですよ、きっと」
「……ならいいんだけどね」
元傭兵であるユーリとペンスにそう言われて、ノエインは不安そうな表情を少し和らげた。
・・・・・
遣いの騎士との面会、そしてノエインとの軽い話し合いを終えてユーリとペンスが屋敷を出ようとすると、そこへメイドのロゼッタが駆け寄ってきた。
「ペンスさん~! ま、待ってください~!」
いつもおっとりした雰囲気の彼女としては珍しく、少し焦った様子を見せるロゼッタ。ペンスのもとまで走ってくると、そのまま大胆にもペンスの腕を掴んだ。
「……先に帰ってるぞ」
「はっ? 何でですか従士長! っていうかロゼッタも何なんだ」
空気を読んでユーリが先に屋敷を出ると、何故ロゼッタと二人きりにされたのか分からないペンスはそう声を上げた。
「どうしたんだよロゼッタ、何か用か?」
「……あの、せ、戦争が始まるって、アールクヴィスト領からも兵隊を出すって聞いたんです~」
どうやらメイドたちには早くも事情が伝わったらしい。おそらく騎士を客室に案内したメアリーが話したのだろう。
「ああ、間違いない。西のランセル王国との戦争に、北西部の貴族様方も出兵するそうだ。当然ノエイン様も兵を出して参戦される」
「それって、それって、ペンスさんも戦争に行くってことですか?」
「そりゃあ、俺は武家の従士だし、副長だからな。行くことになるだろう」
ペンスの言葉を聞いて、ロゼッタは目を潤ませる。
「おいおい、何でお前が泣くんだよ」
「そ、それは……私が、ペンスさんのことを好きだからです~! 好きだから、戦争にいくペンスさんが心配なんです~!」
ロゼッタが意を決して思いを打ち明けると、ペンスは目を見開いた。
「はあっ!? お前が? 俺を? マジで言ってんのか?」
「マジです~! っていうか何で今まで気づかないんですか~!」
ペンスの鈍さに声を上げるロゼッタ。今まで周囲の協力も得てさんざんアピールした結果がこれではたまらない。
「いや、だってお前……俺とお前じゃ歳も離れてるじゃないか」
「ユーリさんとマイさんとか、エドガーさんとアンナさんだって実はけっこうな年の差婚です~!」
「まあ、確かに……でも俺は」
「私じゃ駄目ですか? 女の子として魅力がないですか~?」
ロゼッタに真っすぐ見据えられて、ペンスはたじろいだ。
ペンスの好みは同い年くらいの女だ。それを考えると、ロゼッタはまだ少々物足りない。言葉を選ばずに言うと、少しガキっぽい。
「……俺みたいな30近い男より、もっと歳が近くて若い男の方がいいんじゃねえか? お前のためにも」
「……」
ペンスが言うと、ロゼッタは黙り込む。
「おい、ロゼッタ?」
「……ペンスさんの馬鹿あ~!」
心配してロゼッタの肩に手を置いたペンス。しかしロゼッタはそれを払いのけると、叫びながら屋敷の廊下を走り去っていった。
「あーあ、やっちゃいましたねっ、ペンスさんっ!」
「ロゼッタの覚悟が台無しですね」
「うおっ!?」
走っていくロゼッタを見つめていたペンスは、斜め後ろからいきなり飛んできた声に驚く。
振り向くと、そこにいたのはロゼッタの同僚であるメアリーとキンバリーだ。
「お前らいつから聞いてたんだ!?」
「最初からですっ!」
ペンスの問いかけに何故か自信満々で答えるメアリー。
「ペンスさん、あんな言い方ではロゼッタの気持ちを全否定したに等しいです。ペンスさんはロゼッタが嫌いですか? 可愛くないですか?」
「いや……嫌いじゃねえし、俺好みの大人の女じゃねえけど可愛いとは思うぞ?」
キンバリーが尋ねると、ペンスは少し考えた末にそう返した。
「ではロゼッタの気持ちを受け止めて、結婚してしまえばいいんです」
「はあ? それはおかしいだろ」
「よく考えてくださいペンスさん。この先あなたに、ロゼッタ以上の女性が現れると思いますか? あなたはもうすぐ30歳で既に行き遅れ、この先もどんどん歳を取ります。体力は衰え、やがて武家の従士として一線を退くでしょう。あなたの魅力はどんどん薄れていきます。そんなあなたと結婚したい人がどれほどいると?」
キンバリーの容赦ない語り口を聞いて、ペンスはごくりと唾を飲んだ。
「思うように体が動かなくなっていくのを感じながらたった一人で年老いて死にますか? 今ならその運命を変えることができます。ロゼッタという若く献身的な女性があなたを支え、あなたの子どもを産んでくれます。これほど喜ばしい話が今後あると思いますか?」
「わ、分かった。言いたいことは分かったからちょっと待ってくれ」
的確に追い詰めてくるキンバリーに待ったをかけるペンス。
「戦争に発たれるのは冬明け前と聞きました。それまでによく考えられた方がいいと思います。では」
「ロゼッタの気が変わらないうちに頑張ってくださいねっ!」
そう言い残してロゼッタを追いかける2人のメイドを、ペンスは茫然と見送るのだった。
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