第五章 初めての大戦争

第96話 王命

 王国歴213年の12月初頭。ロードベルク王国北西部の貴族閥をまとめる存在であるジークフリート・ベヒトルスハイム侯爵は、王城へと呼び出されていた。


「ジークフリート・ベヒトルスハイム、国王陛下の命により参上いたしました」


「ご苦労だった。急な呼び出しに応えてくれて感謝するぞ、ベヒトルスハイム侯爵」


「私は陛下の忠実なる臣なれば、陛下がお呼びとあらばいつでも喜んで参ります」


 儀礼的な謁見ではなく実務的な話し合いのための呼び出しだったので、ジークフリートが通されたのは談義を行うための一室。


 そこに入って即座に片膝をつき、臣下の礼を見せたジークフリートは、親子ほども年の離れた国王とそう言葉を交わした。親ほどの年齢なのがジークフリートで、子ほどの年齢なのが王だ。


 ロードベルク王国の現国王、オスカー・ロードベルク3世は現在31歳。先代国王が病で早逝し、弱冠24歳のときに王位に就いたという若い王だった。


 確かな自信を感じさせる堂々とした振る舞い、そして知的さと気品に満ちた顔立ちで、若さ故の経験の少なさを補って有り余るカリスマ性を放っている。


「私とお前の仲だ、堅苦しい挨拶は仕舞いにしよう。どうか座ってくれ」


「はっ、それでは」


 オスカーに促されてジークフリートも立ち上がり、会議机の前の椅子に座る。机も椅子も、王城に置かれるにふさわしい豪奢な品だった。


「こっちのブルクハルト伯爵は知っているな。彼は現在、軍務大臣として王国軍の総責任者を務めている」


「ご無沙汰しております、ベヒトルスハイム閣下」


「久しぶりですな、ブルクハルト卿」


 オスカーの横に座っていた壮年の男――ブルクハルト伯爵とも挨拶を交わすジークフリート。


 ブルクハルト伯爵は、王国軍の一軍団長として前線で長年戦った経験を持つ叩き上げの人物だ。現在の王国中枢では重鎮として知られ、武家の名門の当主を務めるにふさわしい才人だと貴族社会でも評されている。


「彼がこの場にいるということは、これは軍議ですかな?」


「そういうことだ……まあ、こうして急ぎ呼び出された時点で大体のことは察しがついているだろう」


 ジークフリートの問いに応えるオスカーは、やや疲れたようなため息をつく。


「ランセル王国のクソガキが、戦の準備を進めているという情報が入ってきた」


「……いよいよですか」


 ジークフリートも声に呆れを滲ませながら返した。


 オスカーが「クソガキ」呼ばわりしたのは、ランセル王国の現国王、カドネ・ランセル1世だ。


 元々ランセル王国は、小国が乱立していた地域をまとめるかたちで60年ほど前に誕生した新興の国だった。混乱が続いていた地域に安定をもたらしたことで周辺国からもその誕生を歓迎され、ロードベルク王国とも友好的と言っていい関係を築いていた。


 建国の祖である初代国王に続いて二代目国王も国内の繁栄のために内政に励み、ロードベルク王国を含む周辺国との交易も発展させ、穏健派の名君として名を馳せた。


 問題はその次。若くして三代目の国王となったカドネだ。


 先代国王の三男であり、本来ならば王位を継ぐはずでなかったこのカドネは、二人の兄を謀殺して王の座を奪い取った。


 さらに、よほど権力欲の強い人物だったらしく、自身の権勢を高めるために、ランセル王国から見て東にあるロードベルク王国へと領土的野心を向け始めたのだ。


 それが今から5年ほど前のこと。オスカーにとって、自身と数年違いで隣国の王座に就き、さらに年齢も自分とあまり変わらないカドネは、今や宿敵とも呼べる存在だった。


「先代や先々代と同じように大人しく内政に励んでいればいいものを、余計な野心など見せおって……前の二代がなまじ名君だっただけに、ランセル王国が油断ならぬ国力を得ているのがさらに厄介だ」


 ランセル王国の人口はおよそ150万と言われている。国力という点では人口も歴史も勝るロードベルク王国の方がまだ上だが、この60年で着実に国内の発展を成してきたランセル王国は、今や決して油断ならない強国だ。


 ついでに言えば、東隣のパラス皇国とも小競り合いが続いているので、そちらへの備えも欠かせない。ロードベルク王国は国力の半分でランセル王国に立ち向かわなければならないのが問題だった。


「今までの嫌がらせのような紛争ではなく、本格的な戦の準備をしているということは、敵の愚王殿はこちらの南西部を十分に弱らせきったと考えているのでしょうかね」


「おそらくそうなのだろう。実に姑息な奴らだ」


 ランセル王国が仕掛けてきたことで始まった紛争は、相手の嫌がらせにこちらがひたすら対処する、という様相を呈していた。


 平原と森が混在する国境地帯をランセル王国軍の小部隊が動き回り、森を抜けてきて畑を焼き、村や小さな街を襲っては再び森に逃げ込んでいく。ロードベルク王国の陣営はそれに逐一対応する。まさにいたちごっこだ。


 しかし、この嫌がらせが非常に有効だった。


 治安や食糧供給が不安定になることで王国南西部の経済は低迷し、難民が増え、それでまた治安が悪化する。物価も高騰する。紛争が始まる前と比べて、南西部は着実に弱っていた。


「数年にわたって嫌がらせを続けたことで、敵は自分たちに勝機ありと見て本格的な戦争を仕掛けようとしているらしい。だが、これは我らにとっても好機と言える。敵の主力を叩き潰してしまえば、奴らも当分は大人しくなるだろうからな」


「まさしく仰る通りですな。ランセル王国の国力では、大規模な戦いで一度大敗すればそれ以上戦争を続けるのは難しくなるでしょう」


 オスカーの語る考えに、ジークフリートも首肯する。


「そこでだ。ランセル王国との今後の力関係を決めるであろうこの戦いに、北西部閥の貴族たちにも加わってほしいと思っているのだ。大軍を以てランセル王国の軍勢を確実に叩き潰すためにも、お前たちの力が必要だ」


「……陛下の御為ならば、我ら一同勇んで馳せ参じさせていただきますとも。国を守るための大戦で戦列に並ぶことこそ、王国貴族の何よりの喜びです。お声がけをいただいたことに感謝申し上げます」


「よくぞ言ってくれた。お前の忠節に私こそ感謝しよう」


 ジークフリートとて好き好んで他地域の戦争に参加したいわけではないが、王家から領地を賜っている王国貴族である以上、ここで即応する以外の選択肢はない。国のために戦うのは貴族の最重要の責務だ。


 少なくとも表面上は嬉しそうな顔で応えて見せたジークフリートに、オスカーも満足げに頷いた。ジークフリートの一瞬の逡巡に気づかないあたりがこの王の若さだ。


 一方で、横に座るブルクハルト伯爵はジークフリートの思考に気づいているが、地方貴族閥の長である彼の重責を理解しているため、あえて触れずに見逃した。


「それでは、具体的な話は私の方から」


 ジークフリートの快諾を確認したところで、ブルクハルト伯爵がオスカーに代わって話し手となる。


「ランセル王国に忍ばせている間諜からの情報によりますと、敵の軍勢は最終的に1万5000ほどに膨れ上がると見られます。それに対してこちらは、まず盟主であるガルドウィン侯爵を筆頭に南西部閥から領軍を計6000、傭兵を2000、徴募兵を7000。そして王国軍から三個軍団で3000、計1万8000が集まるでしょう」


 普通はどの国も、商人や旅人に扮した間諜を隣国に忍び込ませて情報収集をしている。兵士や物資の動きを見ていればどの程度の軍勢を揃えようとしているか簡単に分かるので、他の国に見つからずに戦争準備をすることは不可能に近い。


「なるほど、現時点でも数の上ではこちらが有利と」


「はい。そしてここに、北西部閥の貴族方に加わっていただくこととなります。さすればこちらは兵力で敵を大きく上回り、勝利を確実なものとすることができるでしょう」


「いくら紛争が続いて影響が出ていたとはいえ、ロードベルクは大国だ。兵数でランセル王国に後れを取ることはない。こちらを舐めてかかった敵には痛い目に遭ってもらう」


 ブルクハルト伯爵の説明に続いて、オスカーがそう語る。


「分かりました。それでは北西部閥からは、領軍5000を派兵させていただきましょう。ブルクハルト卿、それで足りますかな?」


 ジークフリートが提示した兵数は、北西部の人口を考えると目一杯の動員とは言えない。しかし、その全てが職業軍人による正規軍と考えると戦力はかなりのものであり、北西部から南西部まで軍勢を移動させる負担を考えても妥当なものだった。


「十分です。感謝いたします」


「それと……我が方からひとつ、新兵器を持参させていただきたい」


 そう提案したジークフリートに対して、オスカーは不敵に笑う。


「それはクロスボウとか言う新種の弓のことか?」


「ご存知でしたか」


 そう言いつつも、クロスボウの情報をオスカーが既に掴んでいたことにジークフリートは驚かない。王家が各地方の貴族閥の動向を常に調べているのは百も承知だからだ。


「そういう兵器があるということは調べがついておる。その有用性についても予想はつく……むしろ、お前がその話を切り出すのを今か今かと待ち構えていたぞ。この期に及んで王家に新兵器を隠し立てするようであれば、謀反を疑わなければならないからな」


「まさか、私に限ってそのようなことがないのは陛下もご承知のはずです。私は陛下が幼き頃より存じ上げておりますれば」


「ああ、冗談だ……お前は私にとって、小うるさい親戚のジジイのようなものだからな」


「はっはっは! 違いありますまい」


 からかうように言うオスカーに、ジークフリートも笑って見せた。


 オスカーがまだ王太子殿下と呼ばれていた頃から、ジークフリートの快活な人柄は彼に気に入られていた。ジークフリートの妻が王家の血筋を引いていることもあり、オスカーから見ればまさに「親戚のジジイ」とでも呼ぶべき存在だった。


「クロスボウは世に出て間もない新兵器でありますので、まだ細かな運用方法が確立されていませんでした。訓練や魔物狩りで十分な運用実績を重ねた上で陛下にご報告しようと考えていたところ、戦争が先にやってきたかたちになりまして。お伝えするのが遅くなって誠に申し訳ない」


 本当はそこに「他の地方貴族閥に先んじてクロスボウを量産し、戦争で成果を上げることで北西部閥の存在感を高める」という思惑もあったわけだが、それについてはジークフリートもわざわざ語らない。


「まあよかろう。お前にも派閥の利益や権勢を守るという立場があろうからな。どちらにせよ、我が国にとって有用な兵器が生まれるのは喜ばしいことだ」


「それでベヒトルスハイム閣下、そのクロスボウはいくつ準備できますかな?」


「北西部の各領軍が装備する分で……およそ3000ほど揃うでしょうか。これで、本来なら弓を扱う技能を持たない兵士たちが、十分な技術を備えた弓兵に様変わりします」


「弓兵を追加で3000か。実に頼もしい話だ」


 弓兵の数は戦況を大きく左右する。それを3000も増やせるとなれば、ロードベルク王国側が有利になるのは間違いない。


「それにしても、どうやってそのような兵器を生み出したのだ?」


「クロスボウは北西部の端、アールクヴィスト士爵領で開発されたものです。とある鍛冶職人の突飛な発想にアールクヴィスト士爵が投資した結果、生まれたものだと聞いています」


「アールクヴィスト士爵領……ああ、キヴィレフト伯爵の庶子が持つことになったとかいうベゼル大森林の一片か」


 キヴィレフト伯爵にアールクヴィスト領を飛び地として与えたのは、オスカーの父である先代国王だ。そこがキヴィレフト伯爵の庶子に押し付けられたという話は、伯爵からの事後報告もあってオスカーの耳にも当然届いていた。


「当代のキヴィレフト伯爵は出来のいい領主貴族とは言い難かったはずだが、その庶子は優秀なのか?」


「かなりの変わり者ですが、相当に頭が切れる男です。将来的に王国に大きな利益をもたらす逸材と言えましょう」


「そうか……お前がそこまで褒めるほどか。一度会いたいな」


「クロスボウは此度の戦争で一定以上の効果を示すでしょうから、そのことで報奨を与えるなどと理由を付けてお会いできるのではないかと」


「それは楽しみだ」


 ジークフリートの話を聞いて、オスカーはアールクヴィスト士爵領を治める若者への興味を膨らませた。


「それでは北西部閥から3000のクロスボウ兵を含む領軍5000を動員することで決定とさせていただきます。開戦はおそらく冬明けから間もなくになるかと」


「冬明けに合わせてランセル王国との国境付近に集結できるようにしておけ。ジークフリート、お前たちの奮戦に期待するぞ」


「はっ。我ら北西部貴族の陛下への忠誠を、戦いぶりをもって示してまいりましょう」


 右手で拳を作って左胸に当てる敬礼を示しながら、ジークフリートは自信に満ちた声でそう言うのだった。

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