第31話 彼らは幸福だった①

「さすがに寒いね」


「もう12月になりますからね」


 会議で領都の名前が「ノエイナ」に決まった数日後、ノエインはレトヴィクへと買い出しに行くバートに同行して歩いていた。バートの手伝いのために2人ほど領民が一緒に来ており、ノエインの副官としてマチルダも付き従っている。


 今回の目的は、冬が本格化してレトヴィクとの行き来が厳しくなる前に、アルノルド・ケーニッツ子爵や付き合いのある商人たちに顔を見せること。言わば年末のご挨拶である。


 ノエインはそれなりに上等な外套を着込んではいるが、それでも寒いものは寒い。どちらかというと温暖な気候の王国南部で育ってきたノエインにとっては、北部の寒さはより辛いものがあった。


 レトヴィクに着いてまず向かったのは、イライザの店。


「あら、今日はノエイン様もいらしたんですねえ」


「久しぶりですね、イライザさん。それにマルコさんも」


 最近は自ら買い出しをしなくなって久しかったので、ノエインが彼女たちと会う機会も減っていた。


 食料買い出しのやり取りをバートとマルコに任せ、ノエインはイライザと少し話し込む。


「アンナはちゃんと働いてますか?」


「はい。とても優秀ですよ。今のアールクヴィスト領が順調に回っているのは彼女が裏で支えてくれているからこそです」


 お世辞抜きで、ノエインはアンナの仕事ぶりをそう評する。ノエインが領主としての仕事やゴーレムを使った開拓作業に集中できるようになったのは、紛れもなくアンナのおかげだった。


「ノエイン様から直々にそう言っていただけると私も安心ですねえ。あの子に机仕事を教え込んでよかったですよ」


 娘を褒められて、イライザも満更でもない様子だ。


「それと、アールクヴィスト領の居住地の名前が先日決まりました」


「あら、何て名前になったんですか?」


「それは……の、ノエイナです」


「ははは、ノエイン様のお名前を冠したんですねえ」


「僕としては少し気恥ずかしいんですが、従士たちから『そうするべきだ』と強く言われてしまって……」


 ほぼ自分の名前そのままの村名を、自分の口から人に説明するのはなかなか照れるものがあった。


 その後もマイルズ商会や、泊まりがけでレトヴィクに来る際の定宿にしている宿屋、その他に付き合いのあるいくつかの店、農具の発注や修理をよく依頼する工房などに顔を出す。


 最後に向かったのはケーニッツ子爵邸だ。優秀な鉱山技師を紹介してもらったことへのお礼の書状などは送っていたが、ノエインが当主のアルノルドに直接会うのはラピスラズリ原石の件で面会して以来である。


・・・・・


 これまでと同じく応接室に通され、やや遅れて部屋に入ってきたアルノルドと挨拶を交わす。


「それで、今日はどうしたのだ? 年の末の挨拶と、何やら伝えたいことがあると聞いているが」


 やや身構えたように聞いてくるアルノルド。またノエインが何か駆け引きをしに来たのではないかと警戒しているらしい。


「はい。私は領地を持って1年目の新米領主として、ケーニッツ子爵閣下には何度もお世話になりました。冬に入る前にぜひ直接伺って御礼をお伝えできればと思いまして……それと、我が領最初の居住地に正式に村としての名前が決まりましたので、その件をご報告に参りました」


「……それだけか?」


「はい、それだけです」


「なんだ、本当に挨拶に来ただけなのか」


 アルノルドは拍子抜けしたように肩の力を抜く。


「あはは、そのように警戒成なされなくても、私は閣下の良き隣人でありたいと思っていますので」


「貴殿はその気になればこちらの足元を掬う程度のことはできそうだからな。貴族家当主としては油断するわけにはいかんさ」


 一見するとただの好青年に見える笑みを浮かべるノエインに、アルノルドも苦笑しながら返した。


 過去のやり取りからノエインが急に牙を剥いてくる可能性はほぼないと分かってはいるが、それでも多くの領民を預かる領主としての立場上、完全に信用しきるわけにはいかない。貴族の友情を成り立たせるのは難しいのだ。


「それで、村の名前は何というのだ?」


「その……『ノエイナ』になりました」


 少し恥ずかしそうに言うノエイン。普段は余裕ぶった笑顔しか見せない彼が珍しく照れているのを見て、アルノルドは「年相応の表情もできるではないか」と内心で独り言ちた。


「そうか。それはまた随分と直接的に貴殿の名前からとったな」


「恥ずかしながら、従士や領民たちからこの名前がいいと強く願われたので……」


「なかなか領民から慕われているのだな。喜ばしいことではないか」


 普通は領主の名前を領都に取るにしても、多少はひねりを加えるものだ。このレトヴィクもそうだ。ほぼそのままの名前を望まれるとは、この若者はよほど領民から愛されているらしい、とアルノルドは思う。


「貴殿は領主としての才能があるようだからな。これからもそのノエイナは村として、いずれは街として発展していくのだろう。ここレトヴィクともいい付き合いをしてほしいものだ」


「お褒めいただき光栄です。こちらとしてもぜひ今後も友好を深めさせていただきたいと考えております」


 ただの年末の挨拶であまり時間をとっても悪いので、その後少し雑談を交わすとノエインは早々にケーニッツ子爵家の屋敷を後にした。


・・・・・


 この世界では、王族や貴族はともかく平民の「結婚」というシステムは単純である。


 夫婦になろうと決めた男女が、領主や代官、村長などの責任者にその旨を申し出て一緒の家で暮らせば、それで結婚は成立する。


 もちろん結婚に際して、祝いの宴会も行われる。都市部では各家庭で親類や友人などを集めて祝うのが一般的だが、人口の少ない村落では、農作業がひと段落する年末に今年結婚した男女を集め、まとめて祝う席が用意されることが多い。


 アールクヴィスト領ノエイナでも、そんな宴会が開かれようとしていた。村に「ノエイナ」という名前が生まれたことを記念する意味も兼ねているため、小さな村落の結婚祝いの席としては殊更に豪華な宴会だ。


 広場では火が焚かれ、焼きたての肉や温かいスープなど豪華な料理が並べられている。


 領主であるノエインも、今日のためにレトヴィクで買った大量の酒とプランプディアー丸ごと一頭分の肉を提供していた。


 毛皮が高く売れることで知られているプランプディアーだが、その肉もまた高級食材として有名だ。従士たちが村周辺の見回りの際に狩ったものをノエインが買い取り、そのまま領主から領民たちへの奢りとして放出している。


 料理が出揃うと、広場に集まった全領民の前にノエインが立つ。


 宴会を前にざわつく領民たちに従士長ユーリが「静かにしろ。領主ノエイン・アールクヴィスト様のお言葉だぞ」と大声で呼びかけると、さほど待たずに全員が喋るのを止めた。


 領民たちの視線を受けながら、ノエインは話し始める。


「皆、今日はめでたい日だ。この領が誕生して最初の結婚の祝祭、この領で結ばれた者たちを祝い讃えるための日だ。そして、この村に名前が出来たことを祝う日でもある」


 ノエインの言葉にじっと耳を傾ける領民たち。


「この村の名前は、僕の名前を取って『ノエイナ』に決まった。僕の忠実な従者であるマチルダがこの名前を提案し、僕に忠誠を誓う従士たちがそれに強く賛同してくれた。領民である君たちも、この名前に納得してくれたと聞いている。これも、僕が領主として君たちの敬愛を得ている証左だと思いたい」


 そうノエインが言うと、領民たちがそれぞれ頷く。


「ノエイナ」という名前については、領民たちからの評判もとてもよかったと従士たちから報告を受けている。満場一致の絶賛に近い評価だったと。


「今から約9か月前、僕はマチルダとゴーレムを連れてベゼル大森林に入った。何もない森の中で、わずかに開けた土地を見つけてテントを張って、小さな畑を作った。今は僕の屋敷と領主所有の畑があるあたりだね……そこから少しずつ木を切って、整地をして、畑を増やした」


 こうして言葉にしてみると、感慨深いものがある。


「やがてユーリたちと出会い、エドガーたちと出会い、その後も多くの人々がここの住民になると決めてくれた。何もなかった森の中には、今はノエイナという村がある。ここは僕の領地であると同時に、君たち全員の新天地、新しい人生の始まりの地でもある」


 領民たちはノエインの言葉を噛みしめるように聞き、中には涙を流している者もいた。


「そして、この新天地には名前が出来た。今日は僕たちの始まりを象徴する日、年が明けた来年も、それから先もずっと続いていく新たな人生を象徴する起点の日だ」


 ノエイン自身も少し涙ぐみそうになったのを堪える。祝いの日に領主が領民たちの前で泣くわけにはいかない。


 静かに目を瞑って気持ちを落ち着け、他の領民たちの一歩前に立っている、ユーリとマイをはじめとした男女へと目を向けた。彼らは今日の主役だ。


「今日ここに、今年新たに夫婦となった4組の男女がいる。彼らは、ここに新たな社会が、僕たちの未来が築かれたことを象徴する存在だ。彼らを祝福しよう」


 そう言ってノエインがワインの入った杯を掲げると、その場にいた全員が彼に倣った。

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