第282話 恐怖の魔木


 生徒たちは全部で六班に分かれ、転移装置から少し離れた森でチィリーナの実を採取することになっている。各班の向かう先は別々の方向だ。


 魔木であるチィリーナの実の採取には、絶対に魔法を使わないように、と注意があった。

 魔物のような魔木は、他の生き物の魔力を吸収して暴走することがあるらしい。


 菓子学科の生徒には小さなカゴとサバイバルナイフが一人に一つずつ渡され、そのカゴいっぱいにチィリーナの実を集めることが、今日の野外学習の課題である。

 魔木であるチィリーナの説明が何やら不穏だったため、エイナはとても不安そうな顔をしていた。


「先生たちがあんな風に話すってことは、よっぽど危険なのかしら? 私、サバイバルナイフなんて使ったことないのに」

「わたしもです。そういえば、シャルティエはチィリーナのことを少し知っていましたよね? 前に採取に来たことがあるんですか?」


 ふるふると首を振り、シャルティエは二つに束ねたピンク色の髪を揺らす。


「んーん。私も採取は初めてだよ。人から聞いた話だけど、チィリーナの実を採取するために人を雇っても、どの種族の人もすぐに辞めちゃうんだって」

「辞める? どうしてかしら?」

「さぁ? 詳しくは知らないけど、心が折れたり、ショックを受けて逃げ出す人もいたって話だったよ。あと、悪夢を見るとか」

「……え、悪夢?」


 果物採取の話から出たとは思えない単語に、エイナとルーリアは顔を見合わせ首を傾げた。


「そんなに心配しなくても大丈夫だって。これだけ強い人たちが側にいてくれてるんだから。今までだって、この野外学習でケガをした人はいないって言うし」

「そうね。護衛役の私から見ても、この顔ぶれなら問題ないと思うわ」

「いざという時は私も戦力に加えてくださいませ」


 マリアーデとナキスルビアが頼もしく微笑んでも、エイナは「何でみんなそんなに落ち着いてるの?」と、怯えた顔だ。

 たぶん普通の菓子職人としてはエイナの反応が正しいのだろう。わくわくした顔のシャルティエと、魔木と戦う気満々のマリアーデは例外だ。


 そんな会話をしながら、歩くことおよそ30分。

 ルーリアたちは割り当てられた採取地に辿り着いた。


「パッと見、赤い実のある木は見当たらないね」

「茂みに隠れているんでしょうか?」


 辺りには高さが20メートルは超す大樹が立ち並び、そのこずえから柔らかな光が差し込んでいるが、茂みの中は薄暗い。

 地面にはつるつた、複雑に絡み合った木の根などが伸び、よく注意しなければ転ぶ足場となっている。


「……なん、ですの? これは……」


 チィリーナの木を探し始めて少し経った頃、呆然とした声を出してマリアーデが息を呑んだ。


「うわっ!」

「何だ、これ!?」


 それは唐突に現れた。いや、そこにあった。

 苦痛に歪んだ顔の人型の木像がたくさんある。


 色は白に近い灰色で、色味で石像だと思わなかったのは、その木像に薄く木目があり、赤紫色の葉っぱが生えていたからだった。

 木像は森の奥の方まで無数にあるようで、その異様な光景は、全員が思わず目を見張ってしまうほどだ。


「……な、何ですか、これ?」


 木像群は、森の奥から逃げようとして石化されてしまった人のように見え、どれも恐怖に引きつった表情をしている。

 あるものは悲鳴を上げているような叫び顔で、またあるものは必死に逃げ惑う形相で。


「これは何なの?……まさか、人?」


 ナキスルビアが木像に近付き、拾った木の枝で軽くつつく。


「……ひっ!」


 それを見ていたエイナは短く悲鳴を上げ、クラウディオの後ろに隠れて木像を指差した。


「目っ! 今、目が動いたっ!」


 その声で護衛陣は辺りを警戒して見回す。

 けれど、特に何も起こらないようだ。

 木像もそれきり動かないが、どうしたらいいのか分からない。


「……この匂い」


 ランティスは木像に近付いてスンスンと匂いを嗅ぎ、ベシッと手で叩いた。すると、ランティスを睨むようにギョロッと木像の目が動く。


「これ、魔木。人じゃない」


 セルギウスも木像に手で触れて何かを確認すると、こちらに振り返った。


「これは人の形をしているが、人ではない。過去に人であったものでもない。周りの動きに反応して、人でいうところの眼球に見える部分が動くだけの植物だ。恐らく、これが採取対象の魔木なのだろう」

「えぇっ!? これがチィリーナ!?」


 こんな木像が植物だと言われても、すぐには信じられない。なんでこんな形なのだろう。


「うぅ……っ。怖いっ」


 近付きたくない。触りたくない。

 少なくともルーリアとシャルティエは、そんな顔になった。


「よく見るとこれ、全部男性像なのね」


 ナキスルビアがぽつりと呟く。

 言われてみれば、どの木も裸体の男性像だった。女性の形の物は一つもない。

 チィリーナの木は人で言う腰から下の一部分にだけ、大人の手の平よりちょっと大きめな葉を数枚生やし、風が吹かないように祈りたくなるような形状をしていた。


「……最低ですわ」

「私、すでに心が折れそうなんだけど」


 女性陣からは、そんな感想しか出てこない。

 とにかく不気味で気持ち悪い。


「……これ……実はどこにあるの?」


 シャルティエがポロッとこぼした質問に、護衛の男性陣は押し黙った。

 エイナとマリアーデはそっと顔を逸らし、ルーリアはきょとんとした顔で目を瞬かせる。


 そんな中、空気を読まないナキスルビアは躊躇なくチィリーナの木の葉をピラッとめくり、


「あったわよ。……って、枝が硬いわね。これ、無理に手で取ろうとすると実を潰してしまいそうだわ」


 と、一人に一つずつ配られたサバイバルナイフを取り出し、ガリガリと木を削るような音を立て、最後はブチッと乱暴に引きちぎり、真っ赤な小さい丸い実を指で摘まんで見せてくれた。


「一本の木に二個、付いてるみたいね」


 切った枝先からは、血のような赤い樹液がしみ出てきている。実を引きちぎった時に飛び散ったのか、ナキスルビアの頬と手は血飛沫を受けたように赤く染まっていた。


「実と枝の付け根を少しずつナイフで切り落とせば、たぶんシャルティエやルリでも採れると思うわ」


 赤い雫が滴るナイフを笑顔で握り、ナキスルビアがその場を凍りつかせる。


「……あの姉ちゃん、怖ェェ」


 クラウディオは、ぶるるっと小さく身体を震わせた。


「あっ」

「……げっ」


 エイナが指を差し、クラウディオが短い声を上げる。みんなの視線は再びチィリーナの木に向けられた。

 チィリーナの木の目と口の部分、それから恐らく実が付いていたと思われる場所から、ポタ……ポタ……と、血の涙と吐血と出血にしか見えない真っ赤な樹液が流れ落ちてきた。


 ──ひ、ひいぃぃッ!!


 チィリーナの木は最初に見た恐怖に歪んだ表情ではなく、ぐったりと生気を失った白目に変わり、猟奇的な惨殺現場に立ち合ってしまったかのような息苦しさを押しつけてくる。


 こ、怖い怖い怖いッ! 怖すぎるッ!!


 ゾワッと鳥肌と悪寒が全身を走る。

 軽く腰を抜かしたルーリアとシャルティエは、その場にしゃがみ込み、両手を繋いでカタカタと身体を震わせた。


「……ル、ルリ。や、野外学習は、実を取らなきゃ……っ」

「わ、分かっています。でも……でも……っ」


 頭では分かっている。

 これは授業で、そして果物の採取だ。

 あれは魔木で、その果実は甘酸っぱい。


 ……でも、分かっていても無理!!


 涙目になってシャルティエと震えていると、ルーリアの採取カゴにチィリーナの赤い実がコロコロと数個入れられた。


「……えっ!?」


 見上げると、真っ赤な血の付いたナイフ……じゃなかった、真っ赤な樹液の付いたナイフを手にして、フッと微笑むランティスが目に映る。


「ルリはここにいて。狩りは任せて」

「……ランティス」


 なんて頼もしい。

 狩りじゃなくて採取ですよ、なんて野暮な突っ込みはしない。ルーリアはきらきらとした尊敬の眼差しで、チィリーナに向かって行くランティスを見送った。


「はい、シャルティエ」


 手を真っ赤に染めながら、ナキスルビアもシャルティエのカゴにチィリーナの実を数個入れる。


「ルリたちは無理しなくてもいいわよ。今のところ魔物が出てくる気配もないし、お弁当分くらいは働くわ」


 そう言って、ナキスルビアは茂みの中へと消えて行った。たくまし過ぎる。

 それを見ていたリューズベルトたちは、「え? オレたちも行く流れか、これ?」とか「行かなきゃ終わらないだろ」といった諦めの空気となり、ナイフを手にして重い足取りをチィリーナの木へ向けていた。


 そして、実の採取が進むほど増えていく惨殺遺体……のように見える採取済みの魔木たち。

 みんなが通った後は、ひどい光景だった。


「……ルリ。私、間違ってた」


 突然、シャルティエが真剣な目をして呟く。


「こんな風に人任せで待ってるだけじゃダメだと思う。この課題は美味しいお菓子を作るためには……ううん、ダイアランで菓子作りの頂点を目指すためには避けちゃいけない試練なんだよ、きっと」

「……えっ? シャ、シャルティエ?」


 ごめんなさい。

 何を言っているのかよく分からない。

 どこで何のスイッチが入ったのだろう?


「この課題は菓子作りに対する覚悟を試されているんだよ。私、行ってくる!」

「えぇっ?」


 シャルティエはナイフを手に握ると、チィリーナの木の前で一生懸命に枝を削り始めた。

 やっていることは課題だし、シャルティエが頑張ろうとしているのは分かるけど、とにかく絵面がひどい。友達が犯罪というか、してはいけないことに手を出してしまったような気分になるのはどうしてだろう。


「じゃあ、私たちも……」

「……行くしかございませんわね」


 エイナとマリアーデもシャルティエの後に続いた。残ったのはルーリアだけだ。


「ま、待ってくださいっ! わたしも行きますっ」


 涙目で慌てて追いかける。

 しかし、ナイフを手にしてみたものの、魔法が使えないルーリアでは、実を一つ切り離すだけでも、ものすごく時間がかかりそうだ。何よりサバイバルナイフの大きさが手に合っていない。


「……大人の姿の方がやりやすいでしょうか?」


 チィリーナの実が手の届かない高い位置にあった時のために変身の魔術具は持ってきている。

 ここには部外者もいないから、魔術具を使っても大丈夫だろう。服を着替える必要もないから、ルーリアはすぐに変身の指輪をはめた。


 ……うん。


 さっきよりはナイフが持ちやすい。

 さっそく枝を削ろうとすると、じっと見られているような視線を後ろから感じた。


「どうかしましたか?」


 振り返ると、アトラルとランティスが「ほぅ……」と息を吐いている。


「いや、芸軍祭の時にも思ったけど、間近で見ると美しいなと思って」

「ルリ、すごく綺麗。本気で嫁に欲しい」

「ふぇっ!? どうしたんですか、いきなり!?」

「何も驚くようなことじゃないよ。僕たちは素直な感想を口にしただけさ」


 二人の言葉にびっくりしていると、クラウディオが会話に混ざってきた。


「おぅ、嬢ちゃん。それは嬢ちゃんの成長した姿なんか? それとも誰かに化けているのか?」

「い、一応、これはわたしが大人になった時の姿ですけど?」

「そうなのか。また随分と雰囲気が変わるんだな。大人っつーよりは、そのちょい手前くらいに見えるが。まぁ、別嬪べっぴんではあるな」

「ルリ、強い獣っぽい。それがいい」

「……獣」


 たぶん褒められているのだろうけど、何て返せばいいのか反応に困る。半分は白虎の血が流れているから獣で間違いはないけれど。

 ルーリアは愛想笑いを返し、獣人の三人からそっと離れてシャルティエたちの所へ向かった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る