第14章・魔深き初冬

第258話 束の間の日常


 後夜祭の翌日、午後には後片付けも全て終わり、学園には見慣れた景色が戻ってきた。

 園内を歩く人の姿はまばらで、あの喧騒や人々の熱気が夢や幻だったかのように、祭りの名残は今はどこにも見当たらない。


 授業や日常の風景はいつも通りだが、生徒たちの話題は芸軍祭の前と後では大きく様変わりしていた。

 それはここ、菓子学科でも。


 模擬店で販売の体験をしたことで、自分の店を持ちたいと考える者が増えていたのだ。

 その気持ちなら、ルーリアにもよく分かる。

 自分の作った菓子を手に取ってもらい、それを美味しそうに食べて喜んでもらえたら、それだけで強いやり甲斐を感じられるのだ。


 すでに店を経営しているシャルティエの所には、真剣に相談にくる人も見受けられた。

 卒園後どうするのか、みんな真剣に悩み、将来の夢や目標を決めようとしている。


「ルリは卒園後、どうなさいますの?」


 みんなから少し距離を置いて座っていたルーリアに、同じく会話に混ざっていなかったマリアーデが尋ねてきた。


「わたしは今までと変わりません。自分でお店を持つのは難しいので、家の仕事を続けていこうと考えています。マリアーデは?」

「……私は今年で成人しますの。自分で好きに出来るのも、ここまでですわ」


 ほんの少し切なそうに微笑み、マリアーデは何かを諦めたような顔を上げた。


 ダイアランでは16歳で成人を迎える。

 マリアーデが身を置く人族の貴族社会では、幼い頃から婚約者が決まっていて、成人すると同時に婚姻するのが普通なのだそうだ。

 マリアーデの家は上級貴族だから、同じくらいの身分の人と婚姻をしなければいけないらしい。

 ウォルクスも上級貴族だから、本当であれば釣り合いが取れていたのだけれど……。


 どうしても早くに婚姻させたい父親が、今は必死になって相手を探しているところだと、マリアーデは笑って言った。


 マリアーデは婚約解消された後も、ずっと一途にウォルクスのことを想い続けている。

 そんな気持ちのまま他の人と婚姻したところで、マリアーデが幸せになれるとはルーリアには思えなかった。


 ……何とかしてあげたいな。


 恋とか愛とか、正直に言ってしまえば、ルーリアにはまだよく分からない。けれど、好きな人と一緒にいることが幸せに繋がるということはよく分かっていた。だって、自分の両親がそうだから。


 せめて、婚姻解消の理由だけでもウォルクスの口から直接聞けたらいいのに。そうすれば、マリアーデも今の気持ちに決着をつけられると思う。


 どうにかしてあげたいと思っても、自分に出来ることが思い浮かばない。

 ルーリアは、ウォルクスのことをよく知るリューズベルトに相談してみようと考えていた。



 その日の放課後。


 ルーリアが部活に顔を出すと、辛気くさい顔をしているリューズベルトの姿が目に映った。


「……まさか、お前があの場から逃亡するとは思ってなかったぞ、セル」


 ふてくされたリューズベルトの恨めしそうな目は、セルギウスに向けられている。

 その顔には、でっかく『ずるい』と書いてあった。


「済まない、リューズベルト。外せない用事が出来てしまい、そちらを優先させてもらった。悪いが、今日もすぐに行かなければならない」


 申し訳なさそうに話しながらも、セルギウスはすぐにでもこの場を離れようとしている。

 だがしかし、通路を塞ぐような形でもう一人、不満をぶつけに来た人物がいた。

 獣人グループのリーダー、アトラルだ。


「へぇ。そんなに急いで、どこへ行こうと言うんだい? 僕との対戦より大切な用事だったんだ、よほどのことなんだろうね? せっかく楽しみにしていたのに。ほんと、がっかりしたよ」


 いつもは放課後に姿を見せないアトラルが、わざわざ文句を言いに来たらしい。

 本気で楽しみにしていたようだ。

 リューズベルトとアトラルの責めるような視線に挟まれ、セルギウスは困惑した顔となった。


「……元はと言えば、お前が振ってきた話だろう」


 軽くため息をつき、セルギウスはアトラルを睨み返す。セルギウスがトーナメント戦を放棄した理由は、アトラルと話をしたことが切っかけだったらしい。


『君は何のためにトーナメント戦に参加しているんだい?』


 そうアトラルから尋ねられたことで、セルギウスは自分がトーナメント戦に参加する理由がないことに気付いたのだそうだ。

 後ろから「余計なことを」と、小さく呟くフェルドラルの声が聞こえてきた。


 ちなみにトーナメント戦の結果は、


 1位・リューズベルト

 2位・アトラル

 3位・ランティス


 だった。


 エルバーがリューズベルトに「優勝したんだから何か奢ってくれよ」と、しつこく絡んでうざいらしい。


「済まないが、本当に急いでいる。話なら今度聞かせてもらう」

「あっ、ちょっと──」


 わずかな隙を突き、アトラルの横をすり抜けたセルギウスは素早く闘技場を後にした。


 ……あんなに急いで帰って。


 何かあったのだろうか。

 どことなくセルギウスの表情が暗く、疲れているのにひどく焦っているように見え、ルーリアは心配になった。


「アトラル、逃げられたなら諦める」


 アトラルの後ろから、ひょこっと顔を出したランティスが、くいくいと袖を引く。


「あ、ランティス。ちょうど良かった」


 いつランティスに会ってもいいように、タイムボックスの中に入れて持ってきていた箱をルーリアは取り出した。


「これ、約束していたシュークリームです」


 忘れない内に、と思い、作っていたのだ。

 箱の中には、とりあえず10個入れてある。

 箱を受け取ったランティスは「ふぉぉっ」と小さく声を出し、目をキラキラと輝かせた。


「何だい、それ?」


 不思議そうな顔をして、アトラルがランティスの持っている箱を覗き込む。


「ルリのシュークリーム」


 ドヤァと得意げな顔をランティスが向けると、「うわ」という口の形でアトラルは気まずそうな顔となった。うっかり目を離してしまった保護者の顔で、ルーリアに謝ってくる。


「迷惑をかけて済まないね、ルリ。いったい、いつの間に……」

「いいえ、気にしないでください。わたしの作った物を食べたいって直接言ってくれたのはランティスが初めてだったから、とても嬉しかったです」

「……へぇ」


 暗灰色の瞳を細め、アトラルはリューズベルトたちを見回す。


「どうやらここにいる連中は、食べることにそこまで拘っていないみたいだね。ルリ、良かったら今からでもウチのグループに来ないか? 今ならランティスを専属で護衛に付けておくことも出来るし」


 アトラルの提案を耳にしたランティスは、ぴょこんと嬉しそうに顔を上げる。


「ルリ、それがいい。来て」

「えぇっ!?」


 シュークリームを渡しただけで、どうしてそんな話になるのか。

 ランティスが身を乗り出そうとすると、フェルドラルとクレイドルが左右から腕を伸ばし、二人との間に割って入った。


「わたくし以外の護衛など必要ありません」

「料理人が欲しいなら料理学科を当たれ。ルリの作る物はどれも美味いから、わざわざ注文をつける必要がなかっただけだ」


 警戒心を剥き出しにした二人から鋭い視線を受けたアトラルは、すぐになだめるように手の平を向ける。


「待った、待った。クラウディオじゃあるまいし、僕はいきなりルリをさらったりしないよ。あくまでルリが望んでくれるならの話だ。それに、セルの留守中に勝手なことをすると、あとが大変そうだからね。今日は止めておくよ」


 慌てた様子でアトラルはランティスを押し留めるが、むすぅっとランティスは膨れた顔をしている。


「むぅ。ルリ、欲しかったのに」


 ごめんなさい、ランティス。わたしはシュークリームに漏れなく付いてくるオマケではないので。と、心の中で謝っておく。


「……えっと、シュークリームは多めに入れてあるので、良かったらみんなで食べてください」


 ひとまず穏便に帰ってもらおうと笑顔を向けると、アトラルはすぐに察してくれた。


「あ、あぁ。ありが──」


 しかし、ランティスはぽつりと呟く。


「やだ。誰にもあげない」


 そこからのランティスの逃げ足の速さ。

 シュークリームの箱を抱えたランティスは、クレイドルと戦った時より速く、その場から消えるように走り去った。


「…………」


 その様子を無言で見つめていたアトラルは、何とも言えない決まりの悪い顔でランティスの後を追う。獣人グループをまとめるのは、かなり大変そうだと思った。


「姫様。ですから、やたらと物を与えるのはお止めくださいと言っているのです」

「ごめんなさい。シュークリームくらいなら平気かと思ったんです」

「わたくしは聞いていませんわ」


 小言をこぼすフェルドラルの視線は、チラリとクレイドルにも向けられている。


「……ゔっ。今後は、気を……つけます」


 クレイドルには助けられていることも多いんですけど、と反論したかったが、長くなると困るから黙っておいた。

 今日はリューズベルトに相談したいことがあるのだ。


「あの、リューズベルト。ちょっと話があるんですけど、いいですか?」

「オレに? 何だ?」

「出来れば、他の場所で話をしたいんですけど」

「それは別に構わないが……」


 そう口にして、なぜかリューズベルトはクレイドルに視線を向ける。


「レイドも一緒じゃなくていいのか?」

「えっ、何でですか? レイドは関係ない話ですよ?」


 ウォルクスの話を聞くのに、どうしてクレイドルが出てくるのか。

 ルーリアが首を傾げると、リューズベルトは残念なものを見るような目を向けてきた。


「まぁ、いいか。ルリだし。行くぞ」

「……はい?」


 いったい何だというのだろう?



 リューズベルトは闘技場を出てすぐの所にある、木陰のベンチに腰を下ろした。


外界音断カーシャ・エイク


 ルーリアが補助魔法を掛け終わると、さっそくリューズベルトは口を開く。


「……で、話って何だ?」

「実は、ウォルクスのことで聞きたいことがあるんです」

「ウォルクス?」


 全く予想していなかった話題のようで、リューズベルトは軽く目を見張った。

 ルーリアはマリアーデのことを伝え、婚約解消の理由について何か心当たりはないか尋ねる。


「全く知らない訳ではないが、それをオレが他の者に話すのは筋違いだ。そういった話は本人たちでするべきだろう」

「やっぱり何かあるんですね。マリアーデが理由を尋ねても、ウォルクスは何も答えてくれなかったそうです」


 このままでは、マリアーデはずっと割り切れない気持ちのまま過ごすことになる。

 本人たちだけで話が済むのなら、それが一番良いのは分かっているが、現実はそう上手くいっていない。


「……婚約解消の理由、か」


 リューズベルトは視線を外し、考え込むように遠くを見つめた。


「どうしてもと言うのなら、ルーリアがウォルクスに直接聞いてみればいい。お前にも全く関係のない話でもないだろうからな」

「えっ? わたしに?」


 思ってもいなかった言葉に驚く。

 自分とウォルクスたちの婚約解消との接点なんて何も思いつかないのだけど?


「それより、ルーリア。人の心配より、自分のことはどうなんだ?」

「……え? わたし……?」


 何かありましたっけ?


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