第208話 即席の二重奏
レイドと砂浜から戻ってきたセルは、改めて、ルーリアが対戦した男について、もう二度と会うことはないから安心して欲しいと告げた。
「ルリ、セルは人に説明するのが苦手らしい。代わりに聞いてきたから、理由はオレが話そう」
「は、はい」
レイドが何のためにセルを砂浜に連れ出したのか分かり、ホッとする。何を話しているのか全然聞こえなかったから、もしかしたらケンカしているのかも? と、心配していたのだ。
レイドの説明によると、あの対戦の後、男の所属する騎士団から今回の件で問題視する声が上がり、その結果、退園を含む厳罰が下されたという。
人前での種族差別のような発言や、軍部所属ではない婦女子に対する暴力行為。
それらが良くなかったとかで、男は国に強制送還されたそうだ。だから学園に通うことは二度とないのだと、レイドは話を締め
随分と早く処罰が決まったのだと驚いたけど、人族グループのリーダーは男の上司でもあるそうだから、きっとあの対戦を見ていたのだろう。
騎士団のような厳しい規律のあるところでは、よくあることなのかも知れない。セルはそれを見届けてから、ここに来たらしい。
「じゃあ、あの男の人は今後、騎士として誰かに剣を向けることはなくなるんですね?」
「まぁ、そういうことだな。少なくとも騎士ではいられないだろう」
「……それなら良かったぁ」
安心して思わず出た呟きに、セルとレイドはそろってホッとしたように息をついた。
その様子がいつもと違って見えて、つい首を傾げてしまう。
「それにしても、二人がここまで仲良しだとは知りませんでした。いつの間に仲良くなったんですか?」
「……仲、良し?」
「あれ? 違うんですか?」
セルからこっそり伝言を預かってきたり、二人きりで話をしたり。とても仲良しに見えると言うと、レイドは微妙な顔をした。
その隣でセルは言おうか止めようか、何やら思い詰めた顔をしている。表情から察するに、あまり良くないことを言い出しそうな雰囲気が漏れていた。
「……今回の件は、元はと言えば私がルリの側にいたことに原因がある。だから、今後は少し皆と距離を置こうかと、」
「そんなの、絶対にダメですよ!」
ほら、やっぱり。と、ルーリアはセルの言葉を遮った。
「セルは自分を責めないでください。わたしなら大丈夫です」
「いや、しかし」
「ちゃんとセルが助けてくれたじゃないですか。セルが剣を貸してくれたから、わたしは無事だったんですよ」
「だが、それも私がいなければ起こらなかったことだ」
……あぁ、過去の自分がいる。
セルの姿と、去年の冬の自分が重なる。
恐らくセルは、自分を大切に出来ていない。
自分にはあの時、両親がいてくれた。
シャルティエも、フェルドラルも。
自分も大切にしなければいけないのだと、言葉にして真剣に教えてくれた。
でもセルには、その言葉をかけてくれる家族がいない。自分の存在理由が分からなくなった時、そこにいてもいいのだと言ってくれる人が、誰も側にいないかも知れない。それはきっと、とても切なくて苦しいことだ。
そんな時に悪いことが起こると、全て自分のせいだと思ってしまう。全部、自分がいたからだと、その存在を責めてしまう。自分に関わると、人は不幸になるのだと。
それでも人の役に立ちたいと願って、自分に出来ることを探して、だけどやり方が分からなくて、悔しくて、もどかしくて。
たぶんセルも、あの頃の自分と似たようなことをしているのだと思う。
人のことはあまり言えないけど、セルはとても不器用なのだと思う。セル自身の言葉が少なくて平気な顔をしているように見えるから、気付きにくいけど。
セルが来たら、ちょっとぐらいは対戦の愚痴を言おうかな、なんて思っていたけど、こんな風に自分のせいでって、気落ちしている姿を見てしまったら、もう何も言う気にはなれなかった。
ルーリアは長椅子から下り、セルの前にぺたんと座る。
「セルは何も悪くありません。悪いのは、ひどいことをしたあの男の人です。自分に出来ることを考えて、わたしを助けてくれたのはセルです。だから、わたしはセルに感謝しています」
セルの周りに、あの時の両親のような言葉をかけてくれる人がいないのなら、自分がすればいいだけだ。
「…………ルリ……」
セルの深緑の瞳が細められ、かすかに揺らめいて見えた。
「わたしを助けてくれて、ありがとうございます、セル。わたしはセルがいてくれて本当に良かったと思っています。だから、もっと自分を大切にしてください」
ルーリアは精一杯、微笑んだ。
セルがもうこれ以上、気にして落ち込まないように。
「…………ありがとう、ルリ」
セルはルーリアの左手を取り、両手で包み込むようにそっと握り、自分の手の甲に額を当てたまま祈るように目を閉じた。
しばらくの間、そのままの状態でいるセルに、どうしたらいいのか分からなくてオロオロする。
「?……あぅ……え、えっと……?」
助けを求めるようにレイドを見ると、無表情に近い顔で口の端だけを上げていた。
「あー、セル? 悪いけど、そろそろルリを離してやってくれないか? ルリは夕日を見るのが好きで、ここに来ているのもある」
どこかトゲのあるレイドの声が届くとセルはハッと顔を上げ、手を離してくれた。
「そうか、夕日か。ルリには大切な時間だったな。邪魔をして済まない」
「えっ?」
あれ? わたし、夕日が好きってセルに話したことありましたっけ?
「あの、どうしてセルは、わたしが夕日が好きだって知っているんですか? それに、大切な時間って……?」
尋ねると、セルは一瞬だけ『あ』といった顔をした。そして少し視線を泳がせてから、ぎこちない様子で口を開く。
「……前に、レイドと、今から夕暮れの時間だと、部活から抜けた時があっただろう。その時に、ルリは夕日が好きなのだと、思ったのだが。……違ったか?」
たぶん、裁判があった日のやり取りだ。
「……いいえ。合っています」
夕日、夕焼け、夕暮れ大好き。
何となく気まずそうな顔をしているセルに、怪しさのようなものを感じたのだけど、今日の対戦のせいで変に疑り深くなっているのだろうか?……いけない、いけない。
「せっかく来たんですから、セルも見ていったらどうですか? 夕日、綺麗ですよ」
「いや、用が済んだなら、セルは部活に戻った方がいいだろう。ルリにはオレが付いているから大丈夫だ」
なぜかレイドの声からは、セルをこの場から追い出したいような気配がする。一瞬だけ何でだろうと考えたけど、勘が働いてすぐにピンと来た。
セルがいたら、さすがに堂々と酒が飲めない。
特に、
ここに来てデルフィニアの酒を飲むことは、すでに習慣となっていた。
「ルリは、いつもここでラピスの練習をしているのだろう? 夕日を見ている間だけ、今日の詫びに何か弾いていこう」
そう言ってセルはケースの中からラピスを取り出し、レイドに向かって「喜ばせることと、笑顔にさせることを考えた結果だ」と、微笑んで告げた。
「えっ、セルもラピスが弾けるんですか!?」
「ああ。簡単な曲だけだが。レイド、付き合ってくれるか?」
「は!?」
「わぁっ! もしかして、二人で一緒に弾いてくれるんですか!」
突然、一緒に演奏することを振られたレイドは、戸惑った顔でラピスを手にする。
セルと二、三言交わして曲を決めると、いつもとは違った重い音を響かせた。
そこに重なるセルの音は、少し高めの音だ。
う、わあぁぁぁ~~~~……!!
セルは簡単な曲と言っていたけど、どこが!? と、突っ込みたい。耳にした瞬間に、全身で鳥肌が立った。
息をピッタリ合わせて弾き重ねられる音には、言葉には出来ない深い響きがある。
自分がいつも練習しているラピスと同じ物のはずなのに、音が重なると全然違って聴こえた。
~~~……っ。ずっと聴いていたい……!
二人が奏でるラピスを聞きながら、海に沈む夕日と燃えるような夕焼け空を眺めるなんて、なんと贅沢なのだろう。嫌なことも溶けて忘れてしまうくらい、とても素敵な至福の音色だった。
夢中になると、あっという間に時間は過ぎていく。
素晴らしいラピスの音色に聴き入っている間に、辺りはすっかり暗くなり、空には小さな星が瞬き始めていた。
夕日が沈むとセルはすぐに部活に戻り、結局ディアスについては何も聞くことが出来なかった。
海の家に来られるのも、夏の間のあと少しだけとなっている。いろいろ考えたいこともあったけど、すっかり二人の演奏に当てられてしまったルーリアは、セルが椅子の上に置いていったラピスを手に取り、大人しく練習をすることにした。
「わたしもさっきの二人みたいに、誰かと一緒に弾けるようになりたいです。とても素敵でした」
余韻を引きずった、うっとりとした顔を向ければ、レイドはデルフィニアの酒を飲み、ちょっとだけ照れくさそうに笑う。
レイドが一人で弾くラピスの音色も穏やかに響いてとても好きだけど、二つの違う音が重なると、同じ曲でもまた違う曲のように聴こえて不思議だった。
「基本はもう出来ているから、あとは手が音を覚えるまで練習するだけだ。ルリなら、すぐに弾けるようになるだろ」
ラピスの練習を始めたルーリアに合わせ、レイドはゆっくりと低い音を重ねる。
「わぁっ、すごい! ちゃんと曲になってます!」
ルーリアのまだまだな音でも、レイドの奏でる音色と重なると、ちゃんとした音楽に聴こえた。
「レイドが一緒に弾いてくれると、自分がちょっとだけ上手になった気がしますね」
ふふっと笑いながら言うと、レイドも柔らかく目を細める。
「この方が弾きやすいなら、しばらくこれで続けてみるか?」
「えっ。でも……わたしはまだそんなに曲を弾けませんから、同じ曲を繰り返すことになりますよ? レイドには退屈じゃないですか?」
「退屈も何も、オレはルリにラピスを教えるためにここに来ているんだ。そんな細かいことは気にするな。それに、ルリは物覚えが良いから教え甲斐がある。オレが弾き始めたばかりの頃は、まともに音を出せるようになるまで、もっと時間がかかったからな」
そう言って、レイドは軽く笑った。
「それは、レイドが教えるのが上手だからですよ。とっても分かりやすいですし」
「そうか? 本当なら芸部に行って、ちゃんとした基礎を習ってきた方がいいんだけどな」
本来、楽器を習う時は、『楽譜』という音の地図みたいな物を使うらしい。だけどレイドは何も見ずに覚えたから、楽譜の使い方を知らないそうだ。
ルーリアがしているのはレイドの見よう見真似だから、当然、楽譜は使っていない。
耳で聴いて曲を覚え、レイドの手の動きを真似る。エルシアから無詠唱魔法を習った時と、ちょっと似ていた。
「レイドには教えてもらってばかりだから、いつか何かでお返ししたいです」
「オレとしては、ルリの上達する姿を見られたら、それで十分だ。ルリが何かを覚えた分だけ、ちゃんと時間を過ごしている証にもなるからな」
「…………わたしの、過ごした時間……」
レイドのその言葉で、ルーリアは胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
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