第202話 解毒草の栽培


 解毒草の栽培をするなら、この家の北東方向にちょうど良い森がある。

 問題は解毒草を家まで運ぶ手段と、それを育てるための人手、苗を買うための代金をどうするか、ということだった。


 セフェルは花畑の手入れとミツバチの世話で手一杯だし、ルーリアも時間的な余裕はない。フェルドラル、ガイン、エルシアの三人は植物の栽培には向いていないと思えた。


 そもそも、お金が……。


「姫様、ガインに正直にお話しになられて、資金の援助を求められたら宜しいのではありませんか?」


 ルーリアが研究室で思い詰めた顔をしていると、フェルドラルが珍しく助言をする。


「わたしもそれは考えました。けど……」


 ガインに話して許してもらえるだろうか?

 もし、解毒薬の研究そのものを止めるように言われてしまったら……。つい、後ろ向きな考えが先に出てくる。


「前回の魔物討伐の際に、わたくしが言ったことをガインは気にしているようです。納得のいく話であれば、止めはしないでしょう」


 ただ闇雲に土地の解毒をしたいと伝えても、ガインを納得させることは出来ないだろう。

 だってそれは、会ったこともないマルクトの人たちのためにすることだから。ルーリアがやらなければいけない理由にはならない。

 どうして他国の土地を解毒したいのか。

 その理由を、きちんと伝えなければ。


 でも、それって何て? と、思考が止まる。

 レイドとその周りの人たちを助けたいから、そのためにマルクトの全ての土を解毒したい、と?


 改めて考えてみると、自分がしようとしていることは、身を潜めて隠れ住んでいる者がすることではなかった。悪い言い方をすれば、魔族に利用されていると思われても仕方ない。


 何のために解毒がしたいのか。

 もちろん、レイドとその周りの人たちのためではあるけれど、本人からは関わらないように言われている。つまりこれは、望まれてもいないのにルーリアが勝手にしていることなのだ。


 土地の解毒は、きっと悪いことじゃない。

 人を助けることも悪くはない。

 問題なのは、これを自分一人だけでしようとしていることだろう。自分が望むようにするために。要は、理想の押しつけだ。


 出来ることがあるのに何もしないでいるのが嫌なのは、自分のわがままでしかない。

 結果として、人は助かるかも知れない。

 けれど、これは人助けじゃない。

 ただの、自分のわがままだ。


 そしてそれを一人で抱え込もうとするから、他の人たちにいらない心配をかけてしまう。

 自分自身も大切にしなければ意味はないと、散々言われてきた。そこは学習した。一人で悩む必要はないのだ。


「お父さんに、自分の気持ちを正直に話してみようと思います。したいことや考えていることを全部話して、それで協力してもらえなかったら、その時はまた別の方法を考えようと思います」


 今なら少しだけ分かる気がする。

 今の自分に必要なのは、人助けの経験がある人に相談することと、その協力をお願いすることだ。一人で出来ることには限界がある。



「お父さん、お母さん。相談したいことがあります」

「……相談?」

「まぁ、何でしょう?」

「とても大切な話です」


 店のテーブルに着いてもらい、二人に全てのことを打ち明ける。レイドのことも。マルクトのことも。自分がどうしたいのかも、全部。


「…………魔族領に魔族、か」


 思った通り、話を聞いたガインは厳しい顔付きとなった。他所の国の話に、エルシアはどちらとも言えない顔だ。


「レイド、と言いましたか。ルーリアがその者に悪意を感じていないのであれば、無理をしない範囲でなら手助けをしても良いと私は思っています」

「俺もレイドを全く知らないという訳ではない。砂漠の魔物討伐の時は、俺が迷惑をかけたくらいだったからな。人の間違いを責めたりしない、気のいいヤツだったのは知っている」


 そう言いながらも、ガインは厳しい顔のままだった。


「ルーリアは魔族領について、どこまで知っているんだ?」

「どこまで……?」


 魔族領・ヴィルデスドール。

 地上界で最も大きな国である。

 少し前までは、名前を知っているくらいだった。


 この森からも見える、東の高い山脈を越えた先にある、近くて遠い隣の国。

 最近やっと他の国との位置関係を覚え、国の中に12の領地があると知った程度。

 どんな場所で、どんな風習があって、どんな人たちが住んでいるのか、詳しくは知らない。


「魔族領内は常に争いが絶えない。それは知っているか?」

「えっ、あ、争い!?」

「ルーリアがレイドの故郷を解毒したいと思っているのは分かった。そのために解毒草の栽培を始めたいというのも分かる。だが、その土地は今は誰のものだ?」


 ルーリアを見据えるガインの目は、暗い陰を含んでいた。


「誰、の……? それは、そこで暮らしていた人たちのものなのでは……?」


 ルーリアの戸惑った返事に、ガインは静かに首を振る。


「さっきも言っただろう。争いが絶えないと。魔族領の中では、強大な勢力や力ある種族が治めている領地以外は、すぐに領主が変わる。レイドの故郷のマルクトという土地が毒で汚染されたままになっていると言うのなら、今は領主が存在していないのだろう。そんな所を解毒してみろ。すぐに他の種族に攻め込まれて奪われるぞ」


 ガインの鋭い視線に圧され、ルーリアは息を呑んだ。


「……土地に、攻め込む?」


 やっと出した声はかすれていた。

 まさか自分のしようとしていることが、新たな争いの火種になるかも知れないだなんて!


 レイドからは、そんな話は一度も聞いたことがなかった。でも、もしそれが本当なら、土地を解毒しただけでは、レイドたちは故郷に帰れないということになる。


「……解毒をしても、意味がないなんて……」


 問題はリンチペックだけだと思っていたのに。

 でもそれなら、レイドが今までにしてきたことは? それも全部、無駄なことだったと言うのだろうか。


「……じゃあ、レイドはいつ故郷に帰れるんですか? 毒に負けない野菜を作ろうとしたり、土を綺麗にしようとしたり。そのレイドの努力は? 頑張りは? 故郷の人たちと果物を育てて、美味しいお酒を作って、音楽を楽しんで。家族とだって、今は離れて暮らしているって──」


 絞り出した声は震えていた。

 悔しくて、涙がこぼれ落ちる。


 …………こんなことって──……。


 ガインは席を立ち、無言のままルーリアを引き寄せると、優しく包み込むように抱きしめた。

 なだめるように背中を撫でられても、ルーリアの涙は止まらない。ガインはそんなルーリアの気持ちをむように、ゆっくりと背中を撫で続けた。


「ルーリア。これは俺たちには、どうにも出来ないことだ。魔族領の中の問題は、魔族同士でなければ手が出せない」

「……魔族同士?……どう、して?」


 涙を浮かべるルーリアの目元を指の背でそっと拭い、ガインは腰を落として目を合わせる。


「そういう決まりだからだ。この世界には、人族同士、魔族同士の争いに、当事者以外の者は手を貸してはいけないというルールがある。定めたのは神だそうだ。勇者や魔王も自分に関わりがなければ手は出せない」


 落ち着いた優しい声で、言い聞かせるようにガインは話す。大きな戦争にさせないために、神が考えたのだろうと。


「そんな決まりを、神様が?」

「そうだ。どうする、ルーリア? それでも解毒草の栽培をしてみたいか?」


 問いかけられ、ルーリアは考える。

 ガインの言うように、マルクトの置かれている状況は決して良くはないのだろう。

 でももし、レイドが故郷の者たちとまたマルクトに住もうと考えているのなら、解毒薬は必ず役に立つ。あるに越したことはない。

 ルーリアの心は、すぐに決まった。


「お父さん、お母さん。わたしに力を貸してください。少しでもレイドの力になりたいんです。そのための準備を……解毒草の栽培を、わたしにさせてください」


 二人に向かって頭を下げた後、顔を上げてまっすぐにガインの瞳を見つめた。

 ルーリアの瞳の中に覚悟を見たガインは、深く頷く。ガインの視線を受け、エルシアも頷いた。


「分かった。ヨングの所には俺が行こう」

「私も出来ることは手伝いましょう」

「! お父さん、お母さん。ありがとうございます!」


 二人が応援してくれるなら、何よりも心強い。

 ガインはさっそくヨングに手紙を送り、解毒草の苗を注文した。金額が金額なだけに、返事は即行で送り返されてきた。


「苗は明日までに用意するそうだ。人を雇いたいのなら、苗を受け取りに行くついでに聞いてくるが?」


 解毒草の栽培をするためには人手がいる。

 サンキシュであれば、条件に合う者も多いだろうとガインは言う。


「あの、その話は少しだけ待ってください。わたしに心当たりがあります。そちらがダメだった時は、改めてお願いします」

「そうか、分かった」


 ガインたちが協力してくれたお蔭で、あっという間に解毒草の入手問題が解決した。勇気を出して相談して良かったと、心から二人に感謝する。


 次の日。ガインはヨングの店に行き、リュゼとナーユの苗を20株ずつ買ってきてくれた。

 今は小さな苗だけど、育てばルーリアが乗れるくらいの大きな葉となるらしい。

 すぐに解毒草専用の畑を森の中に作り、動物除けの柵なども作った。


「……これでよし、と」


 解毒草を日陰に植え終わり、あとはこれを管理するために人を雇うだけとなる。



 さらに次の日の放課後。

 ルーリアは学園のある場所へと向かった。

 水色の下がった布を潜り抜け、その先にある扉を横にずらす。


 店の中に入ると、ここだけ時間がゆっくりと流れているように、香煙がゆるりと漂っていく。

 その花に似た香りの中を進み、奥のカウンターにいる二人に声をかけた。


「バハル、ラメール、こんにちは」


 こちらに気付いた二人は澄ましていた表情を崩し、にこやかな笑顔となる。


「いらっしゃいませなの、ルリ」

「今日は一人か? 珍しいな」


 海の家には、3日に一度の間隔で欠かさず訪れている。妖精の二人にも、自然と顔と名前を覚えられていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る