第200話 気分転換と歌声


「…………」


 セルギウスとの話を終えたクレイドルは、重い足取りで地下から地上に出る階段を上っていた。


『ルリは私にとって何ものにも代え難い存在だ。ルリを守るためなら、私は自分の生命でも差し出そう』


 セルギウスの凛とした声が頭に響く。

 何かの役目があってルーリアの近くにいると思っていたのに、まさかの告白を聞くことになってしまった。


『クレイドルは違うのか?』


 あれはどういう意味で尋ねたのだろう。

 自分と同じ気持ちであると思っていたような言い方だったが……。もしそうだと答えていたら、セルギウスはどうするつもりだったのか。

 生命を懸けてルーリアを守りたい気持ちなら自分にもあるが、差し出すとなると盲目的な言葉に聞こえる。普通に考えて重そうだ。


 だが、邪竜の情報を持つセルギウスが味方についたことは、ルーリアにとって悪いことではないはずだ。

 身分も、強さも。悔しいが、今の自分ではセルギウスに何一つ勝てはしない。だからと言って、ただの駒に成り下がるつもりもないが。


 邪竜が誕生した後。問題はそこだろう。

 セルギウスはルーリアをどうするつもりなのか。



 ◇◇◇◇



「……うーん?」


 闘技場の観戦席から辺りを見回す。

 先に来ているはずのレイドの姿が見当たらなくて、ルーリアは対戦している生徒たちに目を凝らしていた。


 どうしたのだろう。今日は用事があるから、先に行くと言っていたのに。

 それに、セルもまだ来ていないようだった。


 今日は海の家に行ける日だ。

 いつもならラピスを習いに行くところだけど、何となくそんな気分になれなくて。今日は止めておこうかと考えていた。

 それを伝えようと思い、レイドを探している。


「あれ、ルリ。今日はレイドと一緒じゃないのか?」

「あ、はい。レイドは、」

「オレが何だって?」

「わっ!」


 ウォルクスに話しかけられ、答えようとしたところへ、いきなりレイドが現れた。後ろから声をかけられ、びっくりする。

 しばらくするとセルもやって来て、何もなかった顔でリューズベルトと話をしていた。

 いつも通りの様子に、裁判であったことが幻のように思えてくる。


「ルリ、今日はラピスはいいのか?」

「あ、いえ。あの、今日は……」

「今から行けば、ちょうど夕暮れ時だぞ」

「……うっ」


 夕日は見たい。

 海の家に行けるのは、実質3日に一度。

 しかも2か月限定だから、その期間に通いつめたとしても20回が限度だ。


 燃えるような夕焼けの空と煌めく星空は、一度でも見逃すのは勿体ない。それに家に帰っても、すぐに眠ることになるだけだ。

 それなら時間を気にせず、ゆっくり考え事が出来る海の家に行く方がいいのかも。そう思い直し、結局お願いすることにした。

 我ながら誘惑に弱すぎる。


「あの、レイド。やっぱり今日も楽器を教えてもらっていいですか?」

「ああ、もちろんだ」


 レイドは気さくに引き受けてくれたけど、自分に付き合わせてばかりだから申し訳ないと思ってしまう。



 そして、やって来た海の家。

 いつものようにマーレから楽器とランプなどを借り、定位置となっている丘へ向かう。


 もうすぐ夕日が沈む時間だ。

 今日は練習を始める前に、レイドと一緒に金色に輝く海を眺めていた。


「……ん~~っ……。いつ見ても綺麗……」


 遠くに聞こえる波の音。

 爽やかに吹き抜ける風。

 この景色を目にするだけで、心から癒される。

 ここは楽園なのだと、素直に感じられた。


 レイドはラピスを手に取り、自分にはまだまだ弾けないような難しい曲を奏でてくれる。

 繊細な音色が、ゆったりと波間に響いていった。


 はぁ……っ。


 レイドの演奏は、この景色に引けを取らないくらい素晴らしい。いつも自分一人だけで聴かせてもらっていいのかな、と思ってしまうくらいだ。

 比べるのは良くないかも知れないけど、前に聴いた芸部の人より上手だと思う。優しく響く音色は、目を閉じて聴けば心がとろけてしまいそうだ。ラピスを弾いてるレイドの横顔にも、つい見とれてしまっていた。


「……どうした?」


 流れるような視線を向けられ、ドキッとする。


「っいえ、その……て。そう、手の動きはどうなっているのかなって」

「……そうか」


 焦って言い訳をしていたら、フッと余裕顔で微笑まれて、ちょっと恥ずかしくなる。

 顔を見ていたことはバレバレだったようだ。


 上手く言葉に出来ないけど、ラピスを弾いている時のレイドはちょっとずるい。

 いつもより大人っぽいというか、格好良いというか。雰囲気が違う。

 甘かったり、優しかったり、寂しそうだったり、切なそうだったり。ラピスの音色を通して、レイドの心に触れているような気になってしまう。


 これはいったい何なのだろう。

 演奏を聴いているだけで、同じ思いに包まれているような感覚になり、勝手に照れてしまう。

 まるで感情を共有する魔法でも掛けられたみたいな。


 夕日を見ている間、レイドはそんな気持ちにさせるラピスを奏でては、いつもそっとしておいてくれた。


「……あの、レイド。いつもわたしに合わせてばかりで大変じゃないですか?」

「どうした、急に?」


 暗くなってきたからランプに灯りをつけ、曲の合間に声をかけた。


「本当なら、レイドはわたしに構っている暇なんてないのに、いつも付き合わせてしまっているから……」

「ここでは時間が経たないんだ。何も心配する必要はないだろ」

「……でも」


 現実での時間は経たなくても、楽器の練習はレイドには何の意味も得もない。

 故郷のことで焦っているのに、余計に疲れさせてしまうのではないだろうか。

 そのことを伝えると、考え過ぎだと頭をくしゃりと撫でてくる。


「ここに来るのは、オレにとっても良い息抜きになっている。オレがルリに付き合ってるんじゃなくて、ルリがオレの気分転換に付き合ってると思えばいい」


 そう言って、柔らかく微笑んでくれるレイドに、邪魔をしてはいけないと分かっていても、つい甘えてしまう。……レイドは、本当に優しい。


「ありがとう、レイド」


 その気持ちが嬉しくて微笑み返すと、レイドはラピスを膝上に載せて構えた。


「ルリの好きな曲を弾いてやる。何がいい?」

「……んー。じゃあ、『魔女たちの宴ヴァルプルギスの夜』を」

「好きだな。飽きないか?」


 選んだのは、レイドが教えてくれた曲の一つ。

 静かな曲調の中に、切なさとか願いとか。秘められた想いのようなイメージが浮かぶ曲だ。

 何がいいか聞かれたら、いつも一番に名前を上げている。


「この曲、好きなんです」

「そういえば妹も好きだったな、この曲。よく歌っていた」


 レイドが懐かしむように、ぽつりと呟く。


「えっ、この曲に歌があるんですか?」

「あるぞ。確か、曲が出来るより先に歌の元となった詩があったんだったか」

「そうなんですか」


 この曲の歌。ぜひとも聴いてみたい。

 ルーリアはキラキラと目を輝かせ、じっとレイドを見つめた。


「…………っ。オレは歌わないぞ」


 その視線の意味を察したレイドは、余計なことを言ってしまったと目を逸らす。


「歌、聴いてみたいです。……ダメですか?」


 ルーリアはレイドの膝上にちょこんと手を乗せ、下から覗き込んで再び見つめた。


「…………っく」


 心の中で何かと戦っているような顔をして、レイドはしばらく悶えるように悩んでいた。

 やがて諦めた顔で、大きくため息をつく。


「……言っておくが、オレは歌は得意じゃない。聞き流すだけで絶対に誰にも言わないと約束するなら、」

「言いません! 絶対に誰にも。約束します!」


 食いつくように誓うと、レイドは今度こそ観念したという顔をして長く息を吐いた。


「ルリは海の方を見てろよ」

「ええー。見ていたらダメなんですか?」

「オレがそれに耐えられると思うなよ」


 それは残念。という言葉は呑み込んで、大人しく海に向かって膝を抱えて座った。

 夕日はすでに、海に溶け込むように沈みかけている。自分が歌う訳じゃないのに、何だかそわそわしてしまった。


 ラピスの静かな音色が流れてきて、それに重なるようにレイドの歌声が聞こえてくる。


『叶わぬ願いを祈り捧げよう

 闇が満ちる夜 月の光に身を焼かれ……』


 ──魔法!? じゃ、ない!?


 話している時と違うレイドの声に、心と身体が揺さぶられるようにザワリとした。


『色の無い宴に集う者は無く

 胸の灯火ともしびは消え 瞳に暗き焔は宿る

 言の葉は深く 運命さだめは笑う


 音の雨が降り注ぎ 宴の幕は上がる

 千切れた夢を身にまとい 声と呪う


 望む銀の空が いくつ焼かれようと

 全てを捧げ 永遠とわに祈ろう

 孤独は果てのない道標みちしるべ

 毒を喰らい この身に咲かせよう


 記憶の影を拾い集め

 堕ちる光を泉に隠して


 使い古した夢に縋り 憧れを抱いて眠れ

 ここは魔女の森

 その身を砕き 消えた想いで満たせ

 今宵は魔女たちの宴ヴァルプルギス

 その願いが尽きるまで──』


 レイドの歌声を聴いている間中、なぜか胸のドキドキが止まらなかった。

 その歌声が、優しくて、切なくて。


 ──これが、歌。


 歌詞としての物語は、誰かの想いを音にして紡いだものだと聞いていたのに、不思議と自分の心に響いてくる。

 この歌の調べは、とても切ない。

 レイドの歌声を聴いている内に、膝に顔をうずめて泣いてしまった。


 誰ですか、歌は得意じゃないなんて言った人は。と、心の中で愚痴をこぼす。


 魔女たちの宴ヴァルプルギスの夜は短い曲だ。

 歌い終わると、レイドはすぐに違う曲を弾き始めた。チラリと盗み見ると、レイドの耳が赤い。

 自分が歌ったことを掻き流したかったようで、レイドが弾いているのは珍しく賑やかな曲だった。わざと雑に弾いている様子が照れ隠しのように見える。


「レイド、聴かせてくれてありがとうございました。とても素敵な歌声でした」

「~~~っ。わ、忘れろっ」

「ふふっ、はい。……あの、ちょっといいですか?」

「な、何だ?」


 ルーリアは今日の裁判のことをレイドに話し、相談に乗ってもらおうと思った。

 特に、セルのことを。


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