第184話 海の家


 今日から海の家が開放される。

 ルーリアは早く海を見てみたくて、昨日からずっとそわそわしていた。


「おはようございます、レイド」

「どうした? もう少しで授業が始まるぞ?」


 昨日に引き続き、今日も朝から畑に顔を出したものだから、レイドに不思議そうな目で見られてしまう。


「あの、レイドは海の家が学園のどこにあるか知ってますか?」

「知ってるが……ルリは入園する時に渡された学園の案内書に目を通していないのか?」

「え、案内書……?」


 何、それ? と、フェルドラルを見ると目を逸らされた。あれは何か知っている顔だ。

 たぶんだけど、親に届けられた書類の中にでもあったのだろう。適当すぎる。


「その顔だと見ていないな。場所は大ホールの横だ。見たことないか? 木陰にひっそりと建っている、ちょっと風変わりな屋根の小さな建物なんだが」

「木陰にひっそり? 変わった屋根……」


 あ! 思い出した。

 フェルドラルが和風建築と呼んでいた、群青色の瓦とかいう屋根で入り口のない謎の店。


「あー。あれが海の家だったんですか」


 あの建物だけ周りから浮いてたから、覚えていた。あのあと近くを通ることもなかったから、すっかり忘れていたけど。


「案内書にあった説明だと、中で受付をしてから神が創った空間に移動するらしい」

「じゃあ、あの建物は入り口みたいなものなんですね」

「恐らく、そうだろうな」

「海って、どのくらいの水があるんでしょう?」

「それは口で説明するより実際に見た方が早いだろう」

「そんなにたくさんあるんですか?」

「放課後になったらすぐに分かる。特に用はないんだろ? ほら、もう食部に戻れ。ラピスは部活の前に教えてやるから」


 苦笑いするレイドに背中を押され、転移装置に向かう。


「あ、レイド。くれぐれも授業中にケガをしないでくださいね」


 そうそう。これを言いに来たのだった。

 ケガをされたら海に行けなくなってしまう。


「ルリこそ、浮かれ過ぎてケガするなよ」

「ぅぐっ。……は、はい」



 それから菓子学科の授業を終え、今日から料理学科に代わり薬学学科の授業を受けるため、理部の区域にある研究棟へと向かう。


 理部の生徒は80名ほど。

 薬学学科に在籍している人は、その半分くらい。……研究棟。どんな所なのだろう。


 薬学学科の授業への申し込みは、昨日家に帰ってから紙ヒコーキで送ったのだが、その際にいくつかの質問をされた。


 調合の経験はあるか。何の薬を作りたいか。

 その薬を使って何がしたいか。学園側に用意して欲しい物や素材、必要な道具は何か。

 その研究に指導する教師は必要かどうか。


 調合の経験はある。作る薬は、解毒薬。

 したいことは土地の解毒。

 それから用意して欲しい物を書き出し、先生抜きで研究したいと申し込んだ。


 薬学学科はちょっと特殊で、各生徒に『研究室』と呼ばれる場所が用意される。衣部でいうところの工房みたいな所だ。

 この研究室は存在する場所が現実とは異なり、時間は同じように流れるけど、切り離された別空間となっている。だから例え研究中に事故があったとしても、実際には何の影響も出ない。

 良い意味で心置きなく何度でも失敗できるから、自分の身体を実験体にする、なんて無茶なことも出来てしまう、研究者にとっては夢のような場所だった。

 授業時間が過ぎれば、生徒は自動的に研究室の外へ追い出される仕組みだ。


 ここでルーリアはリンチペックの研究をしようと考えている。

 レイドが故郷の毒に対してしようとしていることは、とてつもなく時間がかかる方法だ。

 リンチペックを少しずつ取り除き、地道に土を入れ換え、毒を薄めて品種改良した植物を育てていこうとしている。


 ……とても、根気のいる話だと思う。


 自分が考えていることはレイドとは違う。

 リンチペックの一斉消去、もしくは無害化。

 そして、土地そのものの解毒と浄化だ。


 最終的に目指すところは同じでも、それにかける時間や手段は全く別物となる。

 レイドも本当なら、自分と同じ方法を選びたいのだと思う。だけど残念ながら、今のレイドではそれを選ぶことは出来ない。


「……ここですね」


 研究棟はつるっとした白い石壁で、円筒型の形をした三階建ての大きな建物だった。

 中は中央部分が吹き抜けとなっていて、そこで薬草などが育てられている。建物の中に小さな森があるような、そんな独特な雰囲気だ。

 その吹き抜けを囲んでいる円形の通路に沿って研究室は並んでいる。各階ごとに20部屋ずつ、といったところだろうか。


「2-5……」


 ルーリアは指定された番号の部屋に向かった。

 ここが、自分に用意された研究室となる。

 扉に手をかけると、カチリと鍵が外れたような音がした。本人以外には開けられない仕組みとなっているようだ。


 室内は自動で明かりがつき、扉が開いている間は何もない真っ白な空間だったのに、扉が閉まると大きな研究台と、その上に頼んでおいた道具や材料が現れた。


 そしてその研究台の真ん中には、瓶に入った研究対象──リンチペックが置いてある。


 この中でなら何でも試せる。

 この日から、ルーリアの秘密の研究が始まった。



 その日の放課後。

 ルーリアはレイドと一緒に、あの入り口がなかった小さな店の前に立っていた。


「うぅっ。ちょっと緊張してきました」

「海に行くだけなのに、大袈裟だな」

「だって、初めてですから」


 店は前に見た時とは違い、外に旗が立っていた。旗には『海の家、始めました』とある。今日は入り口もちゃんとあった。

 店先には綺麗な水色の布が目隠しのようにかけてあり、『海の家』と書いてある。

 曇りガラスがはめ込まれた店の扉は変わっていて、『横にずらす』という不思議な開け方をする物だった。


「何か、ちょっと不思議な雰囲気ですね」

「あまり見ない造りの建物だな」


 緊張した顔で中に足を踏み入れ、ふと違和感を覚える。


「……あれ? 何かお店の中が広いような? 外から見た感じだと、もっと狭いと思っていたんですけど」

「たぶん、ここもすでに別の空間なんだろ」


 店は木造のようで、柱には丁寧に磨き上げられた美しい模様の丸太が使われている。

 壁は生クリームを塗ったように真っ白で、下には綺麗な木目の焼き板が貼られている。

 窓には白い薄紙を貼った木枠の飾りがあり、外からの光を柔らかく店内に落としている。その紙の中には、木の葉が風で散ったように閉じ込められていた。影に葉の模様が浮かび上がり、どこか幻想的だ。


 その時、ふんわりと花のような良い香りが漂ってきた。


「この香りは……?」


 よく見ると薄く白煙が流れており、それを目で辿っていくと、店の中ほどまで進んだ所にカウンターがある。あそこが受付だろう。


「いらっしゃいませなの、お客様」

「二人か?」


 カウンターには、ルーリアより背の小さな男の子と女の子が立っていた。

 二人とも水色の髪に青い瞳で、大きな袖のある服に白いエプロンを着けている。ミニメイドのようで、とても可愛らしい。


「店番は子供だけか?」


 そうレイドが尋ねると、その子たちはムッとした。


「子供じゃないの、大人なの!」

「いきなり失礼なヤツだな」


 ええっ? と、ルーリアも困惑する。どう見ても子供だ。しかし、この見た目で子供じゃないとなると……。


「もしかして二人は小人族ですか?」

「違うの」

「どこからどう見ても立派な妖精だろ?」

「……妖精?」


 二人はくるっと後ろを向いて、透明な蝶翅をパタパタと動かして見せてくれた。


 ほ、本物の、妖精……っ!


 猫妖精ケット・シーなら家にいるけど、人型の妖精に会うのは初めてだ。

 物語を読んで想像だけしていた存在を目の前にして、ルーリアは嬉しくなり、興奮して頬を赤らめた。


「二人とも、とっても素敵な翅ですね。光が当たると虹がかかったみたいで、すごく綺麗です」


 ルーリアが感動して翅を褒めると、妖精の二人はとても嬉しそうに顔を綻ばせた。


「あなた、良い子なの」

「お前、良いヤツだな」


 ちょっとだけかがむように言われ、言われた通りにするとなぜか頭を撫でられる。


「……?」


 妖精にとって翅を良く言われるのは最上級の褒め言葉なのだと、レイドがこっそり教えてくれた。なるほど。


「二人はこれから海に行くのか?」


 男の子がレイドに尋ねる。


「ああ、そうだ。楽器を貸りられると聞いたんだが」

「それは『中』で言って欲しいの。ここは受付だけなの」


 そう言って女の子は台帳を棚から取り出して広げ、ペンをレイドに差し出した。


「ここに本人の直筆で名前を書いて欲しいの」

「分かった」

「海の家だけじゃなくて、海にも行くんだよな?」


 レイドが台帳に名前を書いていると、男の子がルーリアにも確認してくる。


「はい。行きたいと思っています」

「付き添い人は中に入れないからな。入れるのは生徒だけだ」

「えっ、そうなんですか?」


 振り返ると、初めからそのつもりでいた顔のフェルドラルは壁に背を預けている。


「わたくしはここでお待ちしておりますわ。もっとも、待つと言っても時間差はございませんので、ほんのわずかな間になりますが」

「あ、言われてみれば、そうですね」


 中で時間が経ったとしても、現実では時間が経たないのだった。


「あの、わたしはルリと言います。良かったら二人の名前を教えてもらってもいいですか? ここには、ちょくちょく来ると思いますので」

「ボクはバハル」

「アタシはラメールなの」

「バハルとラメールですね。これからもよろしくお願いします」


 軽く頭を下げると、バハルとラメールは驚いた顔を見合わせ、後ろを向いて何やらこそこそと話し始めた。


 あ、あれ……?


 何か変なことを言ってしまったのかと、レイドに小声で尋ねると、働いている妖精は従属契約をしている者が多く、その状態の妖精にわざわざ挨拶をする者はいないのだと教えてもらう。


 人に会ったり、お世話になるのなら、挨拶をするのは当然のことだと思うのだけど。……変なの。出来るだけ周りに合わせていたいけど、こういうことは無視してもいいと思っている。


「じゃあ、ルリ。ルリも名前を書いて欲しいの」

「あ、はい」


 台帳に名前を書き終わると、カウンターから左右に分かれている別々の入り口から中に入るように指示が出る。それぞれの入り口には棒に通した布がかけられ、『男』『女』と書かれていた。


「入り口が分かれているってことは、出る場所も別々なんですか?」

「いいや、出口はだいたい一緒だよ。確認だけど、ルリはこの男に騙されていないよな?」

「え、騙す? レイドが、わたしを……?」


 言われた意味が分からずにレイドを見ると、うんざりとした顔をバハルに向けていた。


「変な言いがかりは止めろ。オレはルリに楽器を教えに行くだけだ」

「男は海に行くと本性を現すから、ルリは十分に気をつけるの」

「……本性?」

「……はぁ。本当に面倒くさいな、妖精は。行くぞ、ルリ」

「あ、はいっ」


 ため息混じりのレイドの声に呼ばれ、ルーリアは待望の海へと向かった。


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