第147話 決断と女子の噂話
「……分かった。軍事学科にも顔を出す。ただし、ウォルクス。出るからには本気で相手しろよ。さっきみたいな手抜きは無しだ」
ジロリと視線を向けるレイドに、ウォルクスは軽く笑って返す。
「なんだ、バレてたのか」
「お前、対戦中に一度もルリを見なかっただろ」
もし一度でもルーリアを狙うような素振りがあれば、戦闘は長引き、全く違う戦い方になっていた、とレイドは話す。ウォルクスが苦戦しているような顔をしていた時も、演技っぽくてわざとらしかったそうだ。そのことに、ルーリアは全く気付いていなかった。
「レイドも全然、本気じゃなかっただろ?」
「いや、それは買いかぶり過ぎだ」
聞けばウォルクスは、リュッカが学園であまり調子に乗らないように、釘を刺しておこうと今回の決闘を利用したらしい。一度でも痛い目を見れば、今後は大人しくなるだろうと考えたそうだ。
でも、そのために自分の胸を対戦相手に貫かせるだなんて……。軍部はルーリアが思っている以上に恐ろしい所のようだ。
「良かったら、ルリもレイドと一緒に軍事学科に来ないか? 先生たちはルリにも来て欲しいって言ってたんだ」
笑顔で誘ってくるウォルクスに、ぶんぶんと首を振って見せる。
『冗談じゃないわ。あんな遊びにもならない所なんて、お断りよ』
「うーん、遊びかぁ。もうそろそろ、みんなも本気を出してくると思うんだけどな」
ルーリアは透かさずタスキを掴み、ウォルクスに向けた。『怖いから嫌だ』と言ったつもりなのに、なぜにこの口は挑発してしまうのか。
「ははっ。分かった。これ以上は止めておく。あまりしつこく誘ったら、レイドを怒らせてしまいそうだしな。けど、先生たちがルリにも来て欲しいって言ってたのは本当だから、気が向いたらいつでも顔を出して欲しい」
ルーリアは頷くこともなく、ただ困った顔だけを返した。それを見たウォルクスは苦笑いすると、レイドに「今度は授業で会おう」と言い残し、部屋から出て行った。
病室には、再び静けさが戻ってくる。
(……どうして軍事学科に行くことにしたんですか?)
ルーリアには、ウォルクスに何かを言われたから、レイドが授業に出ることを決めたように見えた。もしかして自分を庇ったのでは……とか、変に勘繰ってしまう。
「単純に強くなりたいと思ったからだ。畑にだって魔物は出るからな。それに……」
そう言って顔を上げたレイドは、強い意志のこもった目をしていた。
「ここでなら、自分が知らない戦い方を見ることが出来ると思っただけだ。物のついで、といったところだ」
気にするな、と言って微笑むレイドに門まで送ってもらい、ルーリアはその日は家に帰った。
ちなみにタスキは、丁寧にたたんで門番に返してある。もう二度と掛けられないようにしようと心に誓った。
◇◇◇◇
自分の部屋に荷物を置き、台所で茶を淹れる。
今日は眠る前に、魔力をちゃんと回復させなければいけない。
ドライフルーツと紅茶の茶葉をガラスのポットに入れ、たっぷりの熱湯を注いだ。爽やかな甘い香りが辺りに広がる。
そこに魔虫の蜂蜜を足して店のテーブルで飲んでいると、ガインたちが外から帰ってきた。
「ルーリア、帰っていたか。今日はいつもより遅かったな」
「さっき帰ってきたところです。まだちょっと慣れていなくて、いろいろ教えてもらっていたら、つい……」
罰ゲームとか、決闘とか。詳しく話すと怒られそうだから、ここは濁しておこう。
「学園はどうだ? 上手くやっていけそうか?」
「な、何とか、頑張っています。お父さんたちは森へ行っていたんですか?」
「ええ、そうですよ」
「雪もすっかり解けたからな。冬の間に傷んだ所の補修と見回りだ」
お父さんとお母さんが二人で。
これはひょっとして……。
「それって、デートですか?」
そう尋ねると、ガインは昨日の朝と同じようにゲホゲホと咳き込んだ。
「フェルドラル、またお前か!?」
「失敬な。わたくしではありませんわ」
「ルーリア、お前、どこでそんな言葉を覚えてくるんだ?」
「シャルティエからですよ。男の人と女の人が二人きりで出かけたら、デートだって」
「そうなのですか? ガイン、私たちがしているのは、デイトというものなのですか?」
世間知らずなエルシアからの質問に、ガインは困った顔をする。そんな二人を、幼い姿のフェルドラルは呆れたような目で見上げた。
「それくらいの言葉なら、小さな子供でも知っているというのに。前から思っていたのですが、ガインとエルシアはその辺りの知識が絶望的に偏っているのではないですか? よく姫様がお生まれになりましたね」
「「なっ!?」」
フェルドラルからの指摘に、ガインとエルシアはそろってショックを受ける。閉鎖的な神殿で育った二人には、仕方がないとも言えることだが。
そんな二人はさておき、ルーリアはもう少しで眠る時間だ。挨拶をして自分の部屋に向かい、身体を洗って着替えて、すぐにベッドに入った。
フェルドラルも横になって目を閉じる。
セフェルは丸くなって寝息を立てていた。
眠りに就くまでの少しの時間。
これからのことを考える。
邪竜によるものと思われる呪い。
それを解くために創食祭に参加して、菓子学科に通うことになった。けれど今はまだ、その手掛かりに近付いているのかどうかも分からない。
このまま学園で授業を受けていていいのだろうか? 他に何かしなければいけないのではないだろうか? みんなと、楽しく過ごしていていいのだろうか?
そんな疑問が浮かんでは消えていく。
もしこのまま何も起こらなかったら、自分はずっと今のままなのだろうか。
ユヒムやアーシェンだけでなく、いま学園で同じ時間を過ごしているシャルティエやみんなからも、置いてけぼりにされてしまうのだろうか。
どんなに大切に思っていても、自分の居場所が失くなっていく。どんどん置いていってしまわれる。それはルーリアが、何よりも恐れていることだった。
……みんなと同じ時間を生きていたい。
毛布を頭から被り、身体を丸める。
余計なことは考えないようにしないと、また身体が黒くなってしまうかも知れない。
自分の中にある焦りや不安を消すように、ルーリアは強く目を閉じた。
◇◇◇◇
次の日。午前の授業が始まる前の菓子学科の教室で、ルーリアはシャルティエを含む数名の女生徒たちと話をしていた。
人族の女性は、とにかく噂話が大好きで。
例えそれが嘘だとしても、面白ければいいと思っているようだった。
そして、すでにいろいろとやらかしているルーリアは、噂話の宝庫と化している。気になったことは直接本人に聞くのが一番のようで、さっそくルーリアは質問攻めに遭っていた。
「ねぇ、ルリのお兄さんが農業学科にいるって話、あれは本当?」
「えっ!? わたしに兄弟はいませんけど?」
これは……たぶんレイドのことだろう。
「ルリが情報学科の生徒を陰で操ってる、なんて言っている人がいたんだけど?」
なんて怖い噂を……!
「あ、はは、そんなまさか」
「この前のパン……ううん。愛好会の話はどうなったの?」
「ちゃんと『止めてください』ってお願いしてきましたよ。……穏便に解決しました」
約一名を除いては。
「そういえば授業の初日に、ルリとセルが一緒に歩いてるところを見たって人がいたんだけど。二人は知り合いなの?」
あんな短い時間のことまで!?
「あれは、他の学科の授業を覗きに行った時に、たまたま一緒になっただけですよ」
「そうなんだ。たまたまでもセルと一緒だったなんて。いいなぁ、羨ましい。何を話していたの?」
羨ましい? これといって、話らしい話はしていないと伝えると、勿体ないと言われる。何が勿体ないのか、さっぱり分からない。
「話しかけたくても、セルには付き添い人がいるから近寄り難いんだよねー」
「分かる。それにセルは写真に写らないって、芸部の子が嘆いてたわ」
「ああ、知ってる。勇者のリューズベルトもそうなんでしょ? 何かの魔法かしら? 芸部の子たちが『悔しいから絵に描く!』って言ってたわ」
……うーん、何だろう。
情報学科の人たちより、女生徒たちの情報網の方がすごそう。
「リューズベルトとセルは、放課後の部活に行けば見ることは出来るそうよ」
「そういえば昨日、シュトラ・ヴァシーリエの練習か何かが部活の時間にあったって聞いたけど」
「ええっ、見たかったぁ! 誰が出ていたの?」
「さぁ、そこまでは。急に行われたらしいけど」
何となくだけど、これは名乗り出ない方がいい気がした。黙っておこう。
みんなの話を聞きながら澄ました顔で冷や汗を流していると、シャルティエがニコッと微笑んだ。その顔には『あとで説明しなさいよ』と出ている。
何ですぐにバレるのだろう。解せぬ。
今日の授業ではクッキーを作ることになった。
クッキー生地は、いろんな菓子の土台として使われることも多い。生徒たちは基本的な物から応用的な物まで、いろんなクッキーを焼き上げた。
ルーリアが作ったのは、フロランタンとフルーツクッキーだ。
フロランタンは、薄くスライスした木の実を香ばしく炒り、キャラメリゼした物を載せて焼いた贅沢なクッキー。
フルーツクッキーには、旬の果物で作ったジャムを表面にたっぷりと塗ってある。生地にも少しだけジャムを練り込んだ。とても香りが良く、程よい甘酸っぱさがある。
ルーリアは出来立てのクッキーをタイムボックスの中に詰めた。彩りも綺麗で、我ながら良く出来たと思う。家に持ち帰ってエルシアたちに渡す分と、この後、レイドにあげる物とに分ける。
喜んでもらえるかな? と、ほくほくした顔でクッキーを詰めているルーリアを、シャルティエは黙って見つめていた。
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