第124話 神様のレシピに挑戦


 ……っと、思い浸っている場合じゃなかった。


 ルーリアはにじんだ涙を拭い、シュークリームの皮にクリームと生クリームを詰めていく。

 粉砂糖は最後にまとめてかけた。

 大きさもそろっていて、見た目も綺麗だ。

 味もさっき確かめたから大丈夫だろう。


 ルーリアは完成したシュークリームを10個、丁寧に箱に詰めた。そしてそれをタイムボックス── 入れた物の時を止める魔術具の中にそっと入れる。


 本当なら当日の早朝に作り、出来立てのシュークリームを持っていく方がいいのだろう。けれど、ルーリアは朝早くに起きることが出来ない。だから、この方法しか選べなかった。

 それでも出来立ての状態で時を止めているから、今作ったシュークリームも当日の作り立ての物とそう違いはないはずだ。


 よし、これで試験の準備は全て終わった。

 あとはみんなにも食べてもらって感想を聞いてみよう。


 シュークリームは多めに作ってある。

 ルーリアは一つずつ皿に載せ、温かい紅茶と一緒に店のテーブルへと運んだ。



 明日、ルーリアとフェルドラルは課題の提出でダイアグラムの学園に行くことになっている。

 その打ち合わせのため、今日はユヒムとアーシェンが訪ねてきていた。


「ルーリアちゃん、終わったの?」


 台所から出てきたルーリアを見て、アーシェンが真っ先に声をかける。


「はい、無事に完成しました。これが課題のシュークリームです」


 テーブルの上にシュークリームの載った皿を置いていくと、みんな不思議そうな顔でそれを見つめた。


「これが……課題の品なのかい?」

「変わった形をしてるのね」

「随分と甘い匂いだな」

「私は良い香りだと思いますよ」


 そういえば、ここにいるみんなは課題発表を見ていないのだった。見本となるシュークリームを知らないのだから、残念ながら比べてもらうことは出来ない。ただの試食となるけれど、美味しいかどうかだけでも聞きたいと思った。


「良かったら食べてみてください。自分では、ちゃんと出来ていると思います」


 地図を眺めていたフェルドラルにも声をかける。


「フェルドラルもどうですか? セフェルも呼んできて一緒に」


 子供部屋にいるセフェルを呼んでくると言ってフェルドラルが席を離れたから、テーブルの上にあった地図を眺めてみた。

 どうやらダイアグラムの街の地図のようだ。

 けれど……うん、さっぱり分からない。

 小さい四角が建物なんだろうけど、いっぱいあり過ぎて思わず遠い目になった。迷路だ。


 明日はまず、課題発表の時に待ち合わせで使った店に転移して、そこから歩いて学園に向かうらしい。

 店の手配は、すでにユヒムがしてくれている。一度でも学園に行ってしまえば、あとはいつでも転移することが出来るようになる。

 とは言っても、学園内は転移禁止となっているので、学園の門前に転移することになるだろう。

 学園には、生徒の安全を守るためにいろんな決まりがある。学園内への転移禁止も、その中の一つだそうだ。


「馬車も用意できたんだけど、ルーリアちゃんが嫌がったって聞いたからね。本当に歩きで良かったのかい?」

「は、はい。目立つのは避けたいですし、馬車は揺れますから。シュークリームを運ぶのには向いていないと思います」


 たぶん、シュークリームより先にルーリアが潰れる。


「そうね。持ってみたら柔らかいのね、これ。見た感じでは硬そうに見えたんだけど」


 アーシェンが慎重な手つきでシュークリームを手に取る。それを見て、ユヒムも手を伸ばした。

 みんなに出したシュークリームは手を汚さないで食べられるように、一つずつ紙で包んである。


「このお菓子は、課題発表の時も紙で包まれていたの?」

「あ、それは手が汚れないように、わたしが包みました。初めて手で持った時に、崩れるかもって思ったので」

「なるほどね。そういう気遣いって、食べやすさを考える上ではとても大事よね」


 アーシェンは甘い香りを堪能した後、豪快にかぶりつく。ユヒムは皮を手で千切り、それでクリームをすくって口に運んだ。

 続くように、他のみんなも思い思いにシュークリームを食べる。


 シャルティエのレシピの菓子を作っていた時も、みんなには何回も試食をしてもらっていた。

 けれど、作った物を初めて口にしてもらうこの瞬間だけは、何度経験しても慣れそうにない。ついつい緊張してしまう。

 ユヒムとアーシェンは食べ終わると、静かに鋭い視線を交わし合っていた。


「あ、あの、どうしたんですか?」


 難しい顔をしている二人に、何か失敗でもしてしまったのかと不安になる。


「ユヒム、手を引いて」

「いや、無理だね。フィゼーレが楽しみにしているんだ」


 ……? 何の話をしているのか分からない。

 けれど、二人は商人の顔になっていた。


「ルーリア、とても美味しかったですよ。クリームをこぼさないように食べるのは、少し難しかったですが」

「課題発表ってのは、これを食べた記憶だけが残るんだろ? それをずっと覚えていて同じ物を作るのか。思ってた以上に大変だったんだな」


 ガインは腕を組み、「俺には無理だな」と呟いた。


「あの、お父さん。ユヒムさんとアーシェンさんはどうしたんでしょう?」


 言い合いをしている訳ではないが、どちらも譲れないと言って軽く睨み合っている。


「ああ、あれか。どっちがルーリアの菓子を販売するかで意見が割れているんだろ」

「……販売?」

「試験の合否に関係なく、これが商品になるとあいつらは思ったんだろうな。放っておけ」

「えぇっ!?」


 それは大変だ!


「あ、あのっ、ユヒムさん、アーシェンさん。シュークリームは神様のレシピですから、他の人が最優秀に選ばれたら、最低でも5年間は作れなくなりますよ! もしそれを破ってしまったら大変なことに──」


 慌てるルーリアにアーシェンは微笑む。


「ふふっ。大丈夫よ、ルーリアちゃん。私もユヒムも、それくらいは知ってるから」

「そ、それなら良かったです」


 ちょっと焦った。もし知らなかったら、二人に味のない食事を10年もさせてしまうところだった。


「にゃ! 姫様、これ美味しいっ」

「わたくしには少し甘いですが、ちゃんとシュークリームですね」

「え、フェルドラルは分かるんですか?」


 みんなの反応は様々だけど、シュークリームを頬張るセフェルが可愛いから、ルーリアは満足だった。明日は、いよいよ本番だ。


「あとは明日、このシュークリームを学園に提出するだけです。ここまで頑張れたのは、本当にみんなのお蔭です。ありがとうございました」


 改めて感謝の気持ちを伝えると、みんなは笑顔で応えてくれた。

 セフェルからまじないの結果を伝えられた時は、どうすればいいのか分からずに途方に暮れたけど、こうしてみんなに支えられて、ここまで来ることが出来た。


 ……わたしは本当に幸せ者ですね。



 ◇◇◇◇



 ついに訪れた、試験当日。

 ルーリアはフェルドラルと一緒に、学園の門前に立っていた。


 ……ふあぁあぁぁ────……。


 厳重に高い金属の柵で囲われた学園は、広大な敷地を持つ一つの街のようだった。

 敷地の中には広い森や細い川、たくさんの建物などがあり、大きな正門から見ただけでは、その全容を知ることは出来そうにない。

 ただ一つはっきりと言えるのは、想像以上にめちゃくちゃ広いということだけだ。


 一人だったら間違いなく迷う。

 その自信だけは揺るぎないものとなった。

 フェルドラルがいなかったら、試験どころじゃなかっただろう。門から続く石畳の通りはいくつもの道に分かれ、その先は途中から見えなくなっている。


「ご用件は?」

「し、試験を受けにきました。菓子学科です」


 屈強そうな門番の男に問われ、緊張しながら答える。門番は手元の帳簿と照らし合わせるように、チラッとルーリアの顔を見た。


「お名前は?」

「『ルリ』です」

「そちらの方は?」

「付き添いです」


 学園に提出した書類と同じ名前を告げると、ギイイィィー……と重厚な音を響かせ、大きな門が左右に開かれた。


「どうぞ、お通りください。菓子学科の試験会場は、あちらに見える赤い屋根の建物です」

「ありがとうございます」


 門を抜けたルーリアは、タイムボックスをしっかりと持ち直した。ここまで来て落としたりしたら大変だ。


 教えてもらった赤い屋根の建物を目指して歩いていると、フェルドラルが急に立ち止まり、ルーリアを制止させるように手を伸ばした。


「姫様、少々お待ちください」

「……え?」


 試験会場の方に向かって左腕を伸ばすと、フェルドラルは小さな風を流した。

 なんだろう? と思って見ていると、木々の合間から何人かの男が飛び出してくる。


「うわわっ! 何だ、何だ!?」

「は、蜂だ! ひいぃっ!」


 男たちは頭を抱えるようにして、バタバタと走り去って行った。


「……? あの、フェルドラル。今のは?」

「用件は知りませんが、茂みに虫がいましたので。蜂の形を取った風で追い払いました」

「えぇっ!? な、何てことしてるんですか!?」

「あのような場所に隠れ潜んでいる方が悪いのです。姫様がお気になさる必要はございませんわ。そのようなことよりも先に参りましょう」


 そう言うと、フェルドラルは何事もなかったような顔で歩き出す。


「えぇえー……」


 そこにいた理由も分からないのに何て乱暴な……と、その時のルーリアは思っていた。

 しかし試験会場に入り、そこで目にしたもので考えはくるりと変わる。


「くそっ、あいつらのせいで……」

「せっかく、頑張って作ってきたのに……」


 試験会場の入り口で、潰れた箱を手にした悔しそうな顔の男性と、泣いている女性がいたのだ。

 どうやら先ほどの男たちにやられたらしい。


「やはり、こんなことかと思いましたわ」

「……こんなことって……」


 ルーリアは心の中に、ザワッと逆立つ風が吹いたような気がした。


「…………フェルドラル。さっきの男の人たちのこと、探すことは可能ですか?」


 いつもとは違うルーリアの低い声に、フェルドラルは眉を寄せる。


「姫様、まさか……」

「こんなこと、絶対に許せません!」


 ルーリアは自分の心の中に、小さな火が灯るのを感じた。


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