第103話 変わり行くもの
しんと冷えた空気の中、行き場のない沈黙が続く。
そんな空気を断ち切るように会話に入ってきたのは、それまで傍観を決め込んでいたフェルドラルだった。
「キースクリフ、と言いましたか。わたくしは神官の力を貸すという貴方の言葉を受け、わざわざガインをここに連れて来たのです。言葉を違えるつもりなら、すぐにこの場から離れますが?」
言葉遣いは丁寧だが、要約すれば『さっさと神官を呼んで来い』だ。その言葉を聞いたキースクリフは、驚くような速さでフェルドラルの手を取った。そして、むず痒くなるような甘い声を真面目な顔でフェルドラルに向ける。
「いいえ、美しい人。貴女との約束を違えるなど、我が生命に懸けてございません。長い間、音信不通だった薄情者との再会に、つい時を忘れてしまいました。すぐに手配いたしましょう。もう少しだけ、貴女のお時間を頂く無礼をお許しください」
…………こいつ……。
呆れ果てるガインの目の前で、キースクリフはフェルドラルの手の甲に口付けを落とした。
本当に見境がない。手当り次第か。
そう思った瞬間、バチッと激しい音を立て、キースクリフの手はフェルドラルの斬るような風に弾かれていた。
フェルドラルはゴミを見るような冷えきった目をキースクリフに向け、ただならぬ殺気を漂わせている。
「…………この、下衆が……」
ガインはそのひと言が出るまで、フェルドラルが男嫌いだということをすっかり忘れていた。
フェルドラルの手には見慣れた大鎌ではなく、初めて見る大弓と光る矢が握られている。
そしてその瞳も、黒色ではなく揺らめくような深い森の緑光に満たされていた。
弓だと!? まずい!!
直感だが、ひと目見てそう思った。
「これは何だ、ガイン?」
「いいから、着けてろ!」
枷にはまった不器用な手でズボンのポケットからフィーリアの首飾りを取り出し、叩きつけるようにキースクリフの首にかけた。これでとりあえず、即死は回避できるはずだ。
「落ち着け!」
ガインはそのまま、フェルドラルとキースクリフの間に立った。手を広げたいところだが、枷のせいで出来ない。
「…………退きなさい」
フェルドラルは弓に矢を
「そんなことをすれば、ル……あれが悲しむぞ!」
「……その男のことなど知り得ません」
そりゃそうだ。ルーリアの名前を出して止めようとしたが、さすがに無理があった。
それに、キースクリフの前でルーリアの名前は出せない。エルシアの名前も、フェルドラルの名前もだ。
どうする? 感情論はフェルドラルに通じない。止めるためには、フェルドラルを納得させるだけの存在価値が必要だ。それが
ガインは必死に考えた。
その中から慎重に言葉を選び、フェルドラルだけに聞こえるよう小声で訴える。
「頼む。今の俺には、こいつの協力が必要だ。これからのことにも神殿の情報は必要になる」
矢を
「少しでも先の危険を減らしてやりたい。その情報源をお前が潰してどうする?」
キースクリフからの情報は、ルーリアの助けとなるはずだ。ガインが言葉を並べると、フェルドラルはしばらく沈黙した。深く息を吐き、手を振り払うように弓を消す。
「…………二度は許しません」
そう呟くと、フェルドラルはガインとキースクリフから離れ、壁を背にした。
…………助かった。
ガインは大きく息を吐き、キースクリフの背後に回る。そして枷がはまった腕を目の前の首にかけ、そのまま思いきり絞め上げた。
「おーまーえーはぁー!」
「ぐぇっ、な、何!? ぐっ、苦しッ」
首を絞められたキースクリフはジタバタと抵抗した。そうされている理由を全く理解していない顔で、若い頃のままだ。こっちの調子が狂う。
「あいつは男嫌いなんだよ! 死にたくなかったら気安く近付くな、この色ボケが!」
「え、何で? ガインとは普通に話してるじゃないか。何、焼きもち? もしかして……ガインの彼女?」
…………何でだよ。
「違う。あのな、何でもかんでもそうやって、色恋だ何だと結びつけるのは止めろ。お前の悪い癖だ」
「ええ? ガインの彼女じゃないんなら、オレが話しかけたっていいじゃないか。オレ恋人いないし。人の恋路を邪魔する方がどうかと思うけど?」
……なに? ちょっと待て。
「なんでお前、まだ独身なんだ? 周りにあれほどいただろうが」
「なんでって……。そりゃ、みんな可愛くて1人になんて決められないからさ」
そう言って片目をパチッと閉じたキースクリフには、少しも悪びれた様子がない。
……こいつ、次は射殺されそうになっても放っておこう。いっそ本望だろう。
「まぁでも、彼女さんもああ言ってることだし。そろそろ本題に入ってもいいかな?」
「お前が先に話を放り投げたんだろうが」
ガインの腕を首から外し、キースクリフは懐から1枚の紙を取り出した。手元でその紙を折りたたみ、慣れた手つきで空中に浮かべる。
ガインもよく使う魔術具の手紙だ。
宛先などは、あらかじめ書いておいたのだろう。すぅっと消えた手紙を見送り、キースクリフはガインに向き直った。
「今のは合図だ。これで、ある人がここに転移して来るんだけど……」
「神官、か。……信用できるのか?」
疑うようにキースクリフの目を覗くと、不思議なくらい柔らかい微笑みが返された。
「オレがいま騎士として神殿にいるのは、その人のためなんだ」
「何? 神官だからミンシェッドの者なんだろう? お前がそんなことを口にするとは……。にわかには信じられんな」
神殿に仕える騎士の家系にあるキースクリフは、幼い頃から驕ったミンシェッド家の者を嫌っていた。そのキースクリフが認めた相手だ。どんな者なのか、自然と気になった。
「ガイン、先に大切なことを言っておこうと思う」
キースクリフは表情を引きしめ、真剣な顔をした。
「大切なこと? 何だ?」
ガインは思わず、固唾を呑んだ。
「惚れるなよ」
キースクリフは真顔のままだった。
「………………は?」
「彼女は可憐なんだ」
「お前はいっぺん死んで来い」
やって来る神官が女だということは分かった。
「来られたようだ」
それほどもしない内に、床に淡く光る魔法陣が広がり、1人の人物が転移してきた。
流れるような銀色の長い髪。薄い紫色の瞳。
尖った耳は間違いなくエルフの特徴だ。
神官の装束ではなく薄手の服装で、そのエルフは転移の魔法陣から数歩進み出た。
その薄着姿を目にしたキースクリフは慌てて自分の外套を脱いだ。すぐさま包み込むように、そのエルフの肩にかける。
「またそのような薄着で……。神殿と違い、地上の冬は冷えると、あれほどお伝えしていたではありませんか」
「…………クシュンッ」
「あぁ、ほら。風邪でも引いたらどうなさるんですか」
「……ごめんなさい。うっかりしてました」
…………は?
全く緊張感がない、ほのぼのとした2人のやり取りにガインは唖然とした。
神官が来るというから多少なりとも警戒をしていたのだが、丸ごと肩透かしを食らった気分だ。
2人は神官と騎士というよりは、世間知らずの令嬢と従者といった感じに見えた。
神官のエルフは手にしていた物をキースクリフに渡し、空いた手を引かれながらガインの前まで歩を進めた。
「初めまして。私は神官のクインハート・ミンシェッドと申します。この度は罪もない方に、神殿の騎士がこのようなご迷惑をおかけして……誠に申し訳ございませんでした」
謝罪の言葉を口にして、クインハートが深々と頭を下げる。その光景に、ガインは目を見開いて固まった。
嘘だろ。その呟きがぽつりと漏れる。
神官が、ただの地上人に頭を下げるなど。
ガインが驚愕の目で見ると、キースクリフはニヤッと口の端を上げ、声を出さずに口の形だけで言葉を伝えた。
『ほ・れ・る・な・よ』
やかましいわ! ガインは無言でキースクリフのふくらはぎを蹴った。
『
ガインの手足の枷を外すと、クインハートは念のためと言いながら、癒しの魔法を唱えた。
神殿のエルフとは思えないほど人が良い。
クインハートは初めて見る神官だが、同じ血筋というだけあって、少しだけエルシアに似ているような気がした。
「ガイン、これ」
キースクリフはクインハートが持ってきた神殿騎士の団服をガインに差し出した。その中から外套だけを受け取り、肩にかける。
差し出された団服は一式あったから、戻ってこいとでも言われるのかと思ったが、キースクリフは瞳に複雑な感情を映しただけで口には出さなかった。
「用が済んだのでしたら行きましょう」
ガインが絆される心配をしたのか、フェルドラルが帰りを急かす。するとクインハートは慌てた様子で、ガインを引き止めた。
「あの、お待ちください。貴方はエルシア様の行方をご存知なのでしょう? 私はエルシア様にお会いしたいのです。どうかお教えください」
ガインは目を伏せ、首だけを横に振る。
「なぜだ? 教えてくれ、ガイン。お前は知っているんだろ、エルシア様がどこにいらっしゃるのかを」
ガインに詰め寄り、縋るように声を上げるキースクリフに、同じように首を振って見せる。エルシアのことを話せる訳がない。
「……お恥ずかしい話ですが、今のミンシェッド家には、神の眼の使い手が1人もいないのです。私や他の神官たちも、嘘を見抜く
クインハートは長いまつ毛を伏せ、美しい横顔に悔しさをにじませた。
「エルシア様に害を為すつもりはございません。私はただ、神官としてエルシア様に教えを乞いたいだけなのです」
演技をしているようには見えないが、ミンシェッドの関係者にだけは、何があってもエルシアのことを話さないとガインは決めている。
「……申し訳ないが、貴女の力にはなれない」
「ガイン! どうしてだ!?」
悲痛な顔でキースクリフがガインをなじる。
…………家族を、守るためだ。
ガインは無言でキースクリフの目を見つめた。
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