第96話 疑惑の行方
「それにしてもさ、あのガインさんが犯罪者だなんて、何かの間違いとしか思えないんだけど」
露ほども疑っていない顔で、シャルティエが不満げにため息をつく。ルーリアはその様子に心底ホッとした。
「……でも、名前が出てるってことは、全くの無関係とも言いきれないんだよねぇ」
「わたしもそこが気になりました。ユヒムさんなら、何か知っているかも知れませんけど……」
それなら、とシャルティエは机の引き出しから2枚の紙を取り出した。
「ひとまず分かってることだけでも、ユヒムさんに伝えなきゃ。ルーリアも気付いたこととか、思いついたことを書いて」
シャルティエはルーリアに紙とペンを渡すと、自分も会場で起こったことを細かく書き始めた。
課題発表が終わったら、ガインがいなくなっていたこと。神殿の騎士と神官に尋問されたこと。今はシャルティエの家にいること。
それらを書き終わって顔を上げると、シャルティエが紙を複雑に折っていた。
「ルーリアも書き終わった? これはただの紙じゃなくて魔術具なの。決められた手順で折ると、届けたい相手に手紙としてすぐに送ることが出来るんだよ」
ルーリアから受け取った紙を自分の手元に置き、宛名の部分に『ユヒム・ケテル様』と書き込むと、シャルティエは同じように折っていく。
すると折られた紙は蝶の形となり、シャルティエの手の平からふわりと空中に浮かび上がった。ひらひらと舞い、見る間に透けて消えていく。
この魔術具は、秘密の文書などを送るのに便利なのだそうだ。
「これで後は、ユヒムさんからの連絡を待つだけだね」
シャルティエはひと仕事終えた顔で、ふんすと大きく息を抜いた。
「……そういえば、どうしてシャルティエは神官様の前で嘘がつけたんですか? お父さんがこの街で生まれ育った、だなんて」
「ん? 私は嘘なんてついてないよ?」
「え? でも……」
「あー、あれね。ウチの店の取引相手に、果物屋のガインさんて人がいるの」
同じ名前で、この街に実在する商人。
そして、そのガインとは取引をしているが、蜂蜜屋のガインとシャルティエは取引をしていない。
「私の蜂蜜の取引相手は、ガインさんじゃなくてルーリアだから」
「じゃあ、ルナエっていうのは……?」
「私の妹だよ。人見知りで、ガインさんのことはもちろん知らない。ついでに言うなら、ルーリアも嘘ついてないよ。それどころか声も出してないからね。……ね、何も嘘なんてついてないでしょ?」
そう言ってシャルティエは「えへっ」と、軽い笑みを浮かべた。可愛らしいが、小悪魔という言葉がよく似合う。
「…………シャルティエ、笑顔が黒い……」
平然と神官の目を誤魔化すなんて……。
シャルティエ、なんて怖いもの知らずな。
「あ。ねぇ、ルーリア。1つ聞いてもいい?」
シャルティエはベッドに座り、ルーリアは勧められた椅子に座った。
「いいですよ。何ですか?」
「どうしてフェルドラルさんまでいないの?」
…………あ。
「……その顔。もしかして忘れてた?」
「い、いっいえ。わ、忘れてませんよっ」
下手くそな笑顔を貼りつけたルーリアを、シャルティエがジト目で薄く笑う。
「ほんとに?」
「…………っごめんなさい。お父さんのことで頭がいっぱいでした。完全に忘れてましたー」
へへー……と、椅子に座ったまま身体を前に折り曲げる。
「うむ、素直で宜しい」
笑って誤魔化すなんて、シャルティエの前では10年早かった。「んー、でも……」と、シャルティエは続ける。
「ガインさんからルーリアの護衛を任されているフェルドラルさんが、この状況で側にいないのはおかしいよね? こんな非常時に側を離れるなんて……。ねぇ、ルーリア。フェルドラルさんとは、どういった契約を結んでいるの?」
そんなシャルティエからの質問に、ルーリアはキョトンとした顔を返した。
「え? 契約……? そんなものは交わしてませんよ?」
「えぇっ!? ずっと同じ部屋で過ごしてたんでしょ? 寝食を共にする護衛と契約もしていないだなんて……ルーリア、それ本気で言ってるの!?」
呆れを通り越して叱るような声を上げるシャルティエに、ルーリアは戸惑った。
「だって……フェルドラルは長い間、お母さんと一緒にいましたし。お父さんのことも、わたしが小さい頃からよく知っているから……」
それにフェルドラルは、本当は護衛ではなく武器だ。それをシャルティエには言えないから、ルーリアは言葉を濁した。
「いくら長い付き合いがあるからって、娘の護衛を任せるのに契約をしていないなんて……。慎重なガインさんらしくないよ」
そこでシャルティエは、ハッとしたように顔を上げた。正体を隠すために変身の魔術具を使ったのは、ガインだけだ。と、目の前のルーリアを見つめる。
「もしかしてガインさんは、自分が狙われてるって知ってたんじゃないの?」
「お父さんが?」
「うん。だって変身の魔術具で姿を変えたのって、ガインさんだけじゃない。ルーリアが知らなかっただけで、フェルドラルさんはガインさんを護衛していたんじゃないかな? だから契約者はガインさんで──……」
ああ、そうか。と、ルーリアは納得した。
自分はシャルティエに初めて会った時から、ずっと人族の姿に変身している。だからシャルティエには、ガインだけが警戒しているように見えたのだろう。この後も噛み合わない会話が続くんだろうな、と困った顔になる。
シャルティエにはフェルドラルの正体を明かせない。自分の血筋に関わることは絶対に誰にも話してはいけないと、きつく言われている。間違っても『実はフェルドラルは神殿の宝です。魔術具の弓ですよ』なんて言えない。
…………あれ、でも……ちょっと待って。
神殿の宝。その言葉と、ガインが狙われているという話が頭の片隅に引っかかった。
言われてみれば、どうしてフェルドラルはここにいないのだろう? 例え神殿の騎士が相手だったとしても、ガインなら1人でかわせるはずだ。フェルドラルに手伝ってもらわなくても、捕まることはないと思う。
ガインを狙っているのは神殿の騎士。
フェルドラルは神殿の魔術具。
会場には神官──ミンシェッド家の者も来ていた。
…………もし……。
嫌な感覚がルーリアを襲う。
もし、神官がフェルドラルを見て家宝の弓だと気付いたら? フェルドラルと一緒にいたガインは、神殿の人たちからどう思われる?
話を聞いてもらえなかったとして、盗んだと勘違いされ、犯罪者と呼ばれる理由には繋がる。
それより、もしフェルドラルに自分たちの知らない特別な機能か何かがあったとしたら?
例えば、神官だけに伝わるフェルドラルの正しい使い方、とか。考える内に、ルーリアの表情は凍りついていった。
……お父さんは、フェルドラルに勝てる?
フェルドラルが敵に回る。
その可能性を完全に見落としていた。
クレイアからの助言で、心ない人族に対してはお守りを作って警戒していたけど、それ以外の危険性を考えていなかった。
次から次へと、嫌な仮説が湧いてくる。
ルーリアは急いで、ガインとエルシアについて自分が知っている情報を頭の中に並べた。
真っ先に思い浮かんだのは、過剰なほどの警戒心。名前と住居を外に漏らさぬよう、取引相手に魔術具を着けさせ、森に隠れ住んでいた。……あれは何のため?
勇者パーティのことや、蜂蜜とは違う理由がまだ他にもあるのだとしたら? 何かから逃げていた?
ガインではなく、エルシアが勇者パーティに参加していることも、実はずっと不思議に思っていた。
ガインはエルシアのことを何よりも、自分の生命よりも大切に思っている。それなのに、外の世界に出て行くのはエルシアだけだった。ガインの性格なら、何をおいても付いて行くと言いそうなのに。
自分が外の世界に行くことで、エルシアが何かを守っているのだとしたら?
その何かとは──それは、ガインしかない。
エルシアもまた、ガインを何よりも大切に思っている。勇者パーティから離れ、たまに家に帰ってきた時も、すごく疲れているはずなのに、ガインのための魔術具を寝る間を惜しんで作っていた。その姿を、ルーリアは何度も見ている。
ガインが罪を犯したとは思えない。
けど、神に仕える神殿の騎士たちがガインを捕らえようとしているのなら、何か理由があるはずだ。
けどもし、何の罪もないのに追われているのだとしたら? その追っている相手が、神殿の騎士を手駒のように使う者なのだとしたら?
その相手とは……ミンシェッド家の人?
フェルドラルには、ミンシェッドの家紋がしっかりと刻まれている。今ここにいないフェルドラルは、いったいどちらの──……。
その時、フッと。目の前を何かが横切った。
音もなく、1匹の真っ白い蜂が飛んでいく。
シャルティエが手を伸ばすと蜂は淡い光を放ち、その姿を手紙に変えた。
「ユヒムさんからですか?」
「うん。白い蜂はユヒムさんだよ」
手紙には、『状況が確認できたら、こちらから迎えを出す。それまでは動かずに、シャルティエの所にいるように』と書かれていた。
ガインの安否について何も書かれていないところを見ると、ユヒムにも現状は把握できていないらしい。
…………お父さん…………。
じわりと嫌な汗が手ににじむ。何も出来ない自分が悔しい。ルーリアは言葉にならない焦りを、心の中に感じていた。
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