第80話 祭りの誘いと嫌な予感


「神様のレシピって、クッキーやパスタと同じような?」

「うん、そう。タルトのレシピは、元は神様のレシピの試験課題だったの」

「……試験課題?」


 シャルティエが言うには、前に話した学園に入るための試験があり、その課題がなんと神から出されるらしい。


「タルトの課題の年に私のお父さんが最優秀に選ばれて、その権利を手に入れたんだよ」

「最優秀?……権利?」


 当たり前のように話されても、ルーリアが学園の試験のことを知っているはずがない。

 シャルティエは子供でも分かるように丁寧に説明してくれた。


 学園では毎年、春に菓子学科の試験が行われる。その時、合格者とは別に最優秀者を一人だけ選ぶらしい。

 最優秀に選ばれた者には褒美として5年間、その年の試験課題となったレシピに関する、あらゆる権利が与えられる。

 店に商品として出すのはもちろんのこと、その権利を人に売ることも自由なのだとか。


 そして10年が過ぎるとレシピは神のものとなり、一般の人々に公開される、という流れで世に出てくるらしい。


「あー、だからアーシェンさんは公開されたレシピって言い方をしていたんですね」

「公開されたレシピは誰が作ってもいいの。今ではタルトも家で作る人が多いよ」


 ふんふん、なるほど。……って、あれ?


「えっと、5年から10年の間って、どうなっているんですか?」

「その間は、かなり微妙な期間なの。腕に覚えのある人が味を盗んだり、他のお店が似たような商品を作って売ったり出来るんだよ」


 それでも努力なしでは真似なんか出来ないんだけどね、とシャルティエは目を光らせる。


「もし、最優秀の人に権利がある5年間の内に、他の人がレシピの真似をしてしまったら、どうなるんですか?」

「……知りたい?」

「はい、気になります」


 シャルティエは内緒話をするように声を潜めた。


「そのレシピが公開されるまで、全く味を感じない生活を送ることになるらしいよ」

「……え」


 なにそれ、怖い!

 味のない食事なんて想像もつかない。


「もしくは罰金かな。そのレシピの保有者が納得するだけの金額を納めないといけなくなるの」

「……それを聞いてホッとしました。ちゃんと話し合いは出来るんですね。……それでも、大変なことには変わりないですけど」

「そのお話ですが、シャルティエさんのお父様がそういった事件に遭われたのですか?」


 ルーリアたちの会話を静かに聞いていたフィゼーレが、真剣な顔で話に加わる。

 こういった当事者しか知らない話は、なかなか表には出てこないそうだ。


「幸いなことに、ウチはそういったこともなく無事に権利期間が終わったの。さっきのは他の人から聞いた実話だけど」

「そうですか」


 安心したようにひと呼吸つき、頬に手を当てたフィゼーレは、すっかり葉の落ちた枝の広がる窓の外へ目を向けた。


「そう言われますと、もうすぐ課題発表の時期ですわね」

「……そうだね」


 フィゼーレの呟きに応えたシャルティエは真剣な顔付きとなっている。


「あれ? 試験は来年の春じゃないんですか?」

「試験そのものは春に行われるのですが、試験内容の発表は前の年の冬に行われるのです。課題の内容を見てから、挑戦するかしないかを決める方も多いようですわ。今年の課題発表は十日後となっています」


 今年もきっとすごい人出になる。

 そう、うんざりした顔で話すシャルティエに、ルーリアは首を傾げた。


「そんなに試験を受ける人がいるんですか? アーシェンさんは前より受ける人が少なくなったって言っていたような……?」

「神様のレシピの課題発表は、テイルアーク様が自ら行われるのです。ですから、そのお声を耳にするために、毎年この時期は世界中からたくさんの人が、このダイアグラムに集まるお祭りになるのですわ」

「えっ! 神様にお会い出来るんですか!?」


 困った顔で答えるフィゼーレの言葉に、ルーリアは目を丸くする。神は天上界だけにいるものだと思っていたのに、まさか地上界で会うことが出来るなんて。


「残念だけど、テイルアーク様は姿をお見せにはならないよ。いつも声だけなの」

「……それでもすごいです。神様と同じ場所で、同じ時間を過ごせるなんて」


 ルーリアは感動して、神々が住むという天上界に思いを馳せ、天井を見上げた。

 それを見たシャルティエはクスッと笑う。


「街の中は祭りを目当てに集まった人で、すでに賑やかになっているよ。宿を取るのも難しくなってるだろうね」

「シャルティエさんの所のお店はどうですか?」

「ウチは忙しいって言っても、一日の内に作れるタルトの数に変わりはないから。いつも通りに営業して、早く売り切れた分だけ閉店が早くなるって感じかな」


 三人の会話が落ち着いてきた頃合いを見計らい、メイドが紅茶を淹れてタルトと一緒に並べていく。


「シャルティエは忙しい時に、ここに来ていて大丈夫なんですか?」

「今の時期は、お店にいる方が従業員の邪魔になるの。とにかく本当に人が多いんだから」


 ダイアグラムは少ない土地に多くの人が押し詰めて住んでいる。それとは別に、さらにたくさんの人が外から集まるから、街中が人が溢れるそうだ。

 ミリクイードの広々とした自然や村の景色しか知らないルーリアには、これもまた想像するのが難しかった。


「我らが世界の神にして創造主、テイルアーク様に祈りと感謝を捧げ、今日この糧をいただきます」


 話がひと区切りついたところで、ルーリアはシュファルセックのタルトを頬張る。


 ……んんん~~、最っ高。


「やっぱりわたしは、このタルトが一番好きです」

「そう言ってもらえると、頑張ってシュファルセックを持ってきた甲斐があるね。大通りを抜ける時、人に押し潰されないか心配だったの」


 あんなに人がいるなら転移の魔術具を使えば良かった、とシャルティエは苦笑いする。


「そんなに人が多いなんて。課題発表には、いつもどれくらいの人が集まるんですか?」

「そうだね、毎年多いけど、今年の予想は2、3百万人てとこかな?」


 …………え。今、なんて?


「……に、2、3百人?」


 確認するように聞き直すと、ふるふると首を振ったシャルティエはニコッと微笑んだ。


「2、3百、万、人!」


 ひと文字ずつ区切り、『万』を強調する。


「…………な。…………え?」


 カシャン、と音を立ててフォークが皿に落ちた。

 驚き過ぎて動きを止めたルーリアを、シャルティエは面白そうに見つめている。


「あは、ルーリアが固まっちゃった」

「無理もないですわ。ルーリア様は先日、十数名の方がいらした部屋に入られただけでも、怖い思いをされたと伺っていますもの」


 ひらひらとシャルティエが目の前で手を振っても、途方もない数字を前にしたルーリアは固まったままだった。

 そんなことはお構いなしに、シャルティエはルーリアの服の袖を引っ張り、楽しそうな声を上げる。


「ねぇねぇ、ルーリアも一緒に行こうよ。神様のレシピの課題発表」


 その声で、ルーリアはやっと我に返る。


「…………え。わ、わたしが、ですか? む、無理ですよ」

「どうして?」

「どうして、って。お父さんの許可が下りるとは思えません」


 こればっかりは自分だけでは決められない。

 そう言って断ろうとすると、シャルティエは食い下がる。


「じゃあ、ガインさんの許可が取れたら一緒に行こう?」


 そんなに大勢の人が集まる所に自分が……と想像しかけて、ぶるりと身震いする。


 …………怖い。


 ルーリアは聞いたことのない人の数に、すっかり怯えてしまっていた。


「わ、わたしはいいですよ」

「ルーリアは神様の声を聞いてみたくないの? それに課題発表の時は、新しい料理を真っ先に見ることが出来るんだよ?」


 神の声は聞いてみたい。

 新しい料理だって知りたい。……でも。


「…………わたしは、怖いんです」


 俯いて絞り出した声でルーリアが怖がっていると感じたシャルティエは、無理強いせずに身を引いた。


「うーん、そっかぁ。ルーリアも一緒に課題発表を見ることが出来たら、その後、一緒に練習できるって思ったのになぁ」

「あら、シャルティエさん。課題に関する合同練習や共同作業は、神様によって禁止されているのではなかったですか?」

「あー、そうだったぁ」


 シャルティエが残念そうな声を上げる様子を、ルーリアはすでに他人事のような顔で見ていた。


 すると、


「それでしたら、姫様もガインと一緒に行けば良いではありませんか」


 それまでずっと黙っていたフェルドラルが、不意に口を挟む。


「姫様はもう少し、ご自分のされてみたいことに素直になられた方が宜しいかと思いますわ。その程度の願いも許さないガインではないのでは?」

「……それは、そうですけど……」

「迷われている理由が怖いだけというのでしたら、ガインを連れて行けば良いのです。姫様に頼られることを、ガインは望んでいるのですから」

「……お父さんは、言えば、わたしのわがままを聞いてくれると思います。……けど」


 ルーリアはその時、理由は分からないが、とても嫌な予感がしていた。


「…………もう少し、考えてみます」


 シャルティエは期待に満ちた目を向けていたけれど、ルーリアにはそう答えることしか出来なかった。



 ◇◇◇◇



 次の日から、シャルティエは毎日のように菓子作りの材料を持って、ルーリアを訪ねてくるようになった。


 今は家も店もバタバタしていて、菓子作りの練習には向いていないらしい。

 けれどそれは、ルーリアに心配をかけまいと気遣って言ってくれているように思えた。


 フィゼーレが教えてくれた話では、シャルティエは今まで積極的に友達を作ろうとしてこなかったそうだ。

 幼い頃に自分の父親がレシピの権利者となったことで、周りの環境が一変してしまったらしい。

 それまで友人と呼んでいた人たちとは、自然と距離が出来てしまい、そこからはずっと菓子作りだけに没頭してきたという。

 だから、そんなシャルティエがルーリアを友達と呼んだことに、フィゼーレはとても驚いたそうだ。

 それもきっと、蜂蜜が繋いでくれた縁なのだとルーリアは思う。



 そして課題発表を三日後に控えた、ある日のこと。


「今日もありがとう。シャルティエ」

「うん。じゃあ、また明日」


 朝から来ていたシャルティエは、これから用事があると言って昼前には帰った。


 と、そこへ。


「ルーリアちゃん、今日はこれからガイン様が来るよ」


 シャルティエを見送り、玄関から部屋に戻ろうとしたところで、ばったり会ったユヒムにそう告げられる。


「え! お父さんが?」


 何か急用でも出来たのだろうか?

 久しぶりにガインに会えると聞いたルーリアは、驚きつつも自然と笑みがこぼれた。


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