第40話 ぎこちない父娘
ルーリアは残りの生地でオリジナルのクッキーを12個作った。魔力もかなり使ったから、なかなかの労力だ。
「……はぁっ。出来ましたぁ」
一つずつ焼いたから時間はかかったけど、見た目も綺麗だし、自分では良く出来たと思う。
蜂蜜が入っていて栄養もたっぷりだし、食べ応えは十分あるだろう。みんなが帰ってきたら食べてもらって感想を聞いてみたい。
「この後は何をしましょう」
焼き上がったクッキーを棚に入れ、エプロンと三角巾を外して自分の部屋に向かった。
……みんなまだしばらくは帰ってこないですよね。
さっき作ったクッキーのことを自分のレシピノートに書いておく。ちょっとずつだけど、作れる料理も増えてきた。
「ふふっ」
増えていくレシピに笑みがこぼれる。
今は特にやることもないから、フェルドラルに魔力供給でもしようと思った。
……全部の魔法陣に供給が終わったら、どうなるのでしょう?
魔術具の武器のことはよく知らないけど、ちょっぴりワクワクした。
エルシアが『遊び道具にしても良い』と言っていたくらいだから、たぶん何もないと思うけど。と、ルーリアはかなり軽い気持ちでいる。
深緑色の魔石に少しだけ魔力を流し、大きな魔法陣を目に映した。三つ終わっているから、残りは九つだ。
「……綺麗ですね」
改めて目にしても、つい声が漏れた。
魔法陣に左手を置き、ゆっくりと魔力を流していく。前回と同じで、やっぱり魔力の減る感覚はなかった。
「……ふぅ」
何事もなく二つ目の魔法陣に供給を終えたところで、下の階から扉の開く音が聞こえてきた。
ベルが鳴っていないから裏口の扉だ。
たぶん、ガインだろう。
昨日、あれから何か分かったかな?
ルーリアはフェルドラルを机の上に戻し、一階へと下りて行った。
「お父さん、お帰りなさい」
「ただいま、起きていたか。……具合はどうだ?」
ガインは心配そうにルーリアの顔を覗き込んだ。じっと見つめてくる金色の瞳に、ルーリアは思わず顔を伏せる。
「大丈夫です。あの……心配をかけてしまって、ごめ……っあ、えと。ずっと側に付いていてもらって、ありがとうございました」
エルシアから謝罪より感謝だと言われていたことを思い出し、ルーリアは耳まで赤くなりながら、何とかガインに礼を伝えた。
だがその様子は、どこか他人行儀だ。
ガインはそんなルーリアを見て、少し複雑そうな顔をした。
「……俺はお前の親なんだから、心配するのは当然だろ。変な遠慮はするな」
「は、はい」
昨日の話をするため、店のテーブルに二人で座る。膝の上で両手をギュッと握り、ルーリアは目に見えて緊張していた。
「あれから森の奥を見てきたが、エルシアが言うにはルーリアが見た闇のようなものは、もう何も残っていないそうだ。特に警戒する必要もないらしい」
何も残っていない。
そう聞いて、ルーリアはホッと息をつこうとした。しかし、
「……だが、俺たちが見て回った時に何もなくても、ルーリアが一人で行った時に何もないとは限らない、と俺は思う」
ガインは苦い顔で続けた。
「……え? それは、どういう……?」
「エルシアは自分の目で見たものを信じる。俺は少しでも危険性があるのなら、それを疑うし油断したくない。それは分かるか?」
「……はい」
二人ともざっくりとした性格ではあるが、ガインの方が慎重だ。それはルーリアも知っている。
「俺は少しでも疑いが残るものにルーリアを近付けたくはない。親馬鹿だと思ってくれても構わないが、俺は『ルーリアに何かあったら』の『何か』を、思いつく限り全て排除したいんだ。……忘れて欲しくないのは、俺もエルシアもルーリアが一番大切だということだ」
ガインはまっすぐにルーリアを見据えた。
本気で心配しているのだと痛いほど伝わってくる真剣な目だ。
「……お父さん。はい、分かりました」
両親が自分を心配してくれていることは、小さい頃から全身で感じていた。だからルーリアはこれ以上、自分のことで二人を悩ませたくなかった。
「わたしはずっと家の中にいた方がいいのでしょうか? そうすれば、お父さんたちに何の心配も──」
「それは違う! 俺はお前を家の中に閉じ込めておきたい訳じゃない」
俯いて出されたルーリアの言葉をガインは慌てて遮った。続く言葉を探して、髪を荒く掻き上げる。
「ルーリアが外に出る時は、当分の間、俺が側に付いていようと思っただけだ。だが、それだってずっとじゃない。ひと通りルーリアが歩いてみて、それで安全が確認できたら、あとは今まで通りでいいと思っている」
黙って話を聞いているルーリアを見やり、ガインはため息に似た息を吐いた。自分でも知らない間に入っていた肩の力を抜く。
「……たぶん俺は、エルシアの張った結界を過信していたんだと思う。もちろん疑う訳ではないが、今回のようなことが二度とルーリアに起こらないように、俺は最善を尽くしたいだけなんだ。……ただ、それだけだ」
「……はい」
「結界内と言っても森の広さは割とある。ルーリアがまだ歩いていない場所もあるかも知れない。鬱陶しいかも知れないが、しばらくは我慢してくれ」
ガインはルーリアから視線を外し、気まずそうに言った。
自分が触れたら壊れるとでも思っているような、ルーリアに嫌われていると思っていて、わざと自分から避けようとしているような話し方だ。
そこに見えない壁でもあるかのように、ルーリアの気持ちにはあえて踏み込まないようにしている雰囲気があった。そんなガインを見ていたら、ルーリアは口を開かずにはいられなかった。
「……あ、あの、お父さん」
意を決して声にする。
「……ん? 何だ?」
「お父さんは、わたしにどう思われていると思っていますか?」
ずうっと聞きたかったことが口を衝く。
「……どうした? 突然……」
思ってもいなかった突然の質問にガインは軽く目を見張った。
「何となく、ですけど。お父さんがわたしにすごく遠慮しているというか、気を遣い過ぎているというか。そんな気がしました。……違いますか?」
虚を衝かれたように腕を組み、ガインは椅子に背を預ける。ふぅっ、と吐息が漏れる音が聞こえた。
「……そんな風に見えるか?」
「はい」
ルーリアが真面目な顔で頷くと、ガインは視線を落とした。ひと呼吸つき、決心したように顔を上げる。
「正直に言おう。俺はお前に怖がられていると今でも思っている。本当はずっと俺の近くにいるのも嫌だったんじゃないか、ってな。……俺は昔、ルーリアの前でやらかしたからな」
『怖がる』という言葉で、ルーリアは避けられているように感じていた原因を確信した。
「…………鹿、ですね」
「……そうだ。俺が怖かっただろ? いや、今でも怖いのか。……あの後、ルーリアが俺を見る度に泣いて震えた時は、正直、自分自身を消したくなった」
当時、ガインは相当へこんだ。
怖がって泣くのを
ハリネズミのジレンマ、というやつだ。
近付けば相手を傷つけてしまう。
ルーリアとは別の意味で、ガインも心に傷を抱えてしまっていた。
「……俺が怖かったのは、ルーリアに嫌われることだな」
ガインは目を細め、淡く笑った。
──お父さんが、笑った。
ルーリアには、ガインの笑顔を見た記憶はほとんどない。いつだって難しい顔をして、眉間にシワを寄せ、ルーリアを心配そうに見ていて。
「わたしが怖かったのは、たぶんお父さんではありません。目の前の『死』というものが怖かったんだと思います」
「……死、か……。そうか……」
窓の外に向けられたガインの金色の瞳の中に、ルーリアはどこか寂しさのようなものを感じた。
ガインが今でも自分に怖がられていると感じているのなら、そこはちゃんと伝えなければいけない。そんな気持ちが強くなる。
小さく息を吸って、吐いて。
ルーリアは緊張した顔でガインを見つめた。
「あの、お父さんっ」
しっかりと視線を合わせ、息を吸う。
「わたしはお父さんが好きです。いつも守ってくれて、優しくて。お母様が羨ましく思えるくらい、お父さんは素敵な人だと思っています。だから、その……っ。もう、昔のことは気にしないでください!」
「ッ!!」
ガタッと音を立て、ガインは反射的に立ち上がった。
「…………お父、さん……?」
その反応に驚いたルーリアが下から覗こうとすると、ガインは即座に顔を逸らす。
「…………済まない、ルーリア。少し急用を思い出した」
出された声は低く、硬い。
それだけ言い残すとガインは顔を逸らしたまま、足早に裏口から出て行ってしまった。
「…………あ……」
……余計なこと、言っちゃったのかな。
急に今までのことを気にしないように言われても迷惑だったかも知れない。せっかく打ち解けられると思ったのに……。
外に出て行く時のガインの耳が、かすかに赤くなっていたことに気付いていないルーリアは、また避けられたように感じてシュンとなった。
……でも、ここで落ち込んだらダメだ。
それだと今までと何も変わらない。
あまり笑顔を見せなかったのは自分も同じだ。
今度からはもっと笑うようにしよう。
それに、さっき作ったクッキーをガインにも食べてもらいたい。今回、果実酒を使ったのは、酒好きのガインにも食べてもらいたかったからだった。
……ちゃんと愛情を込めることが出来ていたらいいな。
ガインが出て行った裏口の扉を見つめ、ルーリアは祈るように思った。
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