62.祭りの後(ニコ)


 なんだか夢を見ているような感じだった。気がついたら、着ぐるみのまま後夜祭へと向かう人と逆方向に歩いていた。


 日が暮れようとしていた。赤く染まっていく校庭を眺めながら、人気のない階段のところに座った。


 まさか、円があんなことを言い出すなんて。


 いや円にとっては、いきなりでもなかったのかもしれない。ずっと悩んでいたんだ。竹満くんと勘違いさせて、びっくりさせてみようと思ったのが悪い。


 口を挟むこともできなかった。


「どしたの」


 すっかり日が落ちた頃、誰かが私の着ぐるみの頭を外した。


 顔をあげると色杏さんがいた。カバンを持った彼女は、困ったような顔で言った。


「抜けがらかと思ったよ」


「色杏さん」


「後夜祭行かないの? 校舎もう閉まるよ」


「あ。もうそんな時間ですか」


「本当に抜け殻か」


 彼女は呆れたように肩をすくめた。私の隣の腰を下ろすと、ため息まじりに言った。


「賭けね。負けちゃったよ。向こうの圧勝」


「そうですか。じゃあ」


「うん。映像研究会は解散。映画研究会に吸収される。私も首輪を付けられちゃった。今までありがとうね。ニコちゃんのおかげですごく楽しかった」


「こちらこそ。すごく楽しかったです」


「それなら良かった」


 ふふ、といつも通り三つ編みをいじりながら彼女は笑った。


 教室の蛍光灯がだんだんと消え始めていて、窓の外からは静かな虫の声が聞こえていた。色杏さんは穏やかな顔で、私の隣に座った。


「色杏さん」


 声をかけると「なあに」とこっちを向いた。


「あまり悔しそうじゃないんですね」


「ああ、そのこと。そうだね、ここまでスッキリ負けるとかえって清々しいよ」 


「映画はまだ撮るんですよね」


「もちろん。瑛子に脚本の書き方も教えなきゃいけないし。とりあえずコンペを目標にして頑張って行こうかなと」


 楽しみです、と言うと色杏さんは嬉しそうにうなずいた。


「また出てよね」


「ぜひ。私で良ければ」


 色杏さんは上機嫌そうに微笑み返してきた。やり切ったと言う感じで、身体をググと伸ばすと深い息を吐いた。


「本当はね。もっと暗い雰囲気の映画になる予定だった」


「そうなんですか」


「『世界の果てまで君を追いかけていく』。最初考えていたのは、今とは違う脚本だった。森の妖精さんは、最初から普通の人間だった」


「それって、お兄ちゃんが天道さんたちの映画に出て、キャスティングを変えたからですか」


「それもあるけれど、単純に私には書けなかったから。まだ全然実力が足りなかった」


 設定を書いたは良いけれど、ストーリーが全然浮かばなかったらしい。


「真面目なのって本当に難しい。才能ないのかなあ」


「それでも『アリアドネの初恋』を描いたじゃないですか。あれ面白かったです、とっても」


「あれはねえ。はかりとの付き合いもあるから。役者が思い浮かびやすかった。どんな風に動くのかあの子ほど楽なのもないしね」


「ちなみにどんな話だったんですか。お兄ちゃん版の『世界の果てまで君を追いかけていく』」


 聞くと、彼女は言うかどうか悩んだ様子で首を傾げると、ポツポツと話し始めた。


「好きな人に思いを伝えると、消えてしまう男の子の話」


「それって」


「ね。悲しい話だよね」


 ヒヤリと冷たいものが頬に当たった気がする。それがどんな感情なのか分からなかった。浮かんだのはさっきの円の顔だった。   


 彼の思い悩んだ顔。


「伝えると消えてしまうから遠巻きに見てるしかない。不思議系ストーカーの話」


 魔女の呪いで誰も愛せない身体になってしまったらしい。ファンタジー混じりの恋愛ものだった。


「最後のシーンは考えたんだけれどなあ。主人公がヒロインの落とし物を駅のホームで拾うんだよ。直接か渡すかどうか悩むんだけど、彼は渡すことにする」


「それで彼は消えちゃうんですか」


「うん。「ありがとう」とヒロインが去っていく。その後に彼のいない空白のホームが映る。おしまい」


 悲劇といえば悲劇なんだけど、と色杏さんは言った。


「可哀想過ぎて、やめちゃった」


 ふ、と彼女は息を吐いた。


 それから真っ暗になった校庭を見つめていた。校舎の電気が徐々に消えていく。用務員さんが見回りをしているのだろうか。ここもそろそろ閉まりそうだ。


 後夜祭はまだ続いていた。パンと遠くでクラッカーが破裂する音がした。


 その後、また静かになった。


「色杏さん、もしかして何かお兄ちゃんから聞いていたりします?」


「聞いてないよ、何も」


「でも何か、さっきの話」


「なんだろうね」


 困ったように色杏さんは小さな声で言った。


「円くんが悩んでいるのは分かるよ」


 それが何か色杏さんは言わなかった。でも多分、彼女にはたぶん分かっている。円が何に悩んでいたか。


 私たちに何が起こったのか。


「あの、実はさっき」


「いやあ。私に言わない方が良い気がする」


 口を開こうとすると、色杏さんは手で制してきていた。珍しく真面目な顔をしていた。


「言うならもっと大事な場所の方が」


「でも。私どうしたら良いのか。分からなくて」


「私も分からないよ」


 優しい声だった。気を使っているのが分かる。


「ニコちゃんが決めると良いよ」


 言葉がストンと胸に落ちてくる。それもそうだ。大事なことだ。決めるのは他でもない私じゃないといけない。


 色杏さんは腰を上げて、カバンを持った。


「じゃあね。私は帰るよ。気をつけて」


「色杏さんは後夜祭出ないんですか」


「うん。興味ないから、家帰って寝る」


 色杏さんらしい、と言うと彼女はクスクスと笑った。


「あ。着ぐるみ脱いでおいてね。そのままだとちょっとあれだよ。そこの掃除用具入れに入れておいてくれれば良いから」


 踊り場にあるロッカーを指差して、色杏さんは階段を降りていった。コツコツと足音が遠ざかる。


 用務員さんだろうか。今度は別の足音が聞こえてきた。


 急いで着ぐるみを脱いで、ロッカーに押し込む。

 階段の電気が消えていく。逃げるように階段を上がっていく。足音を忍ばせる。目指す場所はなんとなく分かる。


「ビビビかあ」


 前に朋恵さんに教わったことを思い出す。 

 恋の電流。そんな瞬間は結局こなかった。人によって違うんだよ、とそんなことも言っていた。


 私が感じているのはなんだろう。


 微熱みたいなもの。風邪を引いた時に似ている。


 空き教室の机の上に座って、外を見ている円の背中が見えた。


「運命の分かれ道」


 ふと、その言葉を思い出す。


 そうか、今がその瞬間だ。


 開けるか、それとも黙って通り過ぎるか。


 教室の扉に手をかけた時、私はもう後戻りができないのだと確信した。


「お兄ちゃん」


 声をかけると、彼はゆっくり振り向いた。

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