33.おやつを作ろう(ニコ)


 学校から帰ってきたのは昼過ぎだった。汗ばんだ額をぬぐう。やっぱり日本の夏は暑い。クーラーをつけっぱなしにしたおかげで、家の中は涼しかった。


「お兄ちゃん、お昼ご飯どうしよっか」


「えーと、パスタとかあったかなあ」


「あ、ごめん。乾麺、この前使い切っちゃったんだ」


 どうしようと、冷蔵庫を開けたら良いものを見つけた。


「ね。スィールニキ作れるけど。どうかな」 


「何それ。初めて聞いた」


「チーズケーキというかパンケーキ。バーバの家で良く作ってたの。美味しいよ」


 前にグラタンを作った時のチーズが冷蔵庫に残っていた。これだけあればたくさん作ることができる。


 食べてみたい、とまどかがテンション高めに言ったので、早速小麦粉と卵とチーズで生地を作っていく。


「へえ。こんなにチーズ入れるんだ」


 生地を混ぜながら、円は珍しそうに言った。


「どのくらい混ぜれば良いんだ」


「あともうちょっとかなあ」


「了解」


 ヘラで生地をこねていく。キッチンにチーズの良い匂いが漂う。フライパンに火を入れておく。


 2人で協力してたくさん生地を作った。生地をこねながら、子どもの頃を思い出していた。


「バーバと一緒に良く作ってたなあ。学校から帰って、おやつに作って食べてた。お腹いっぱいになっちゃったりして」


「あー、俺もせんべいとか食べ過ぎて、母さんに怒られてた」


「分かる分かる」


 そんなことを話しながら作っていると、思っていた以上の量ができていた。


「あああ。作り過ぎちゃった」


「まあ、食べられなかったら明日にしようぜ。とりあえず腹へった」


「そうだね。後は焼くだけだから」


 できた生地をフライパンで焼いていく。見た目はホットケーキとそんなに変わらない。こんがりと色が変わるまで焼いていく。


「できた」


 いれておいた冷たい紅茶と一緒にテーブルに置く。

 生地にチーズを使っているから、味は割とさっぱり系。粉っぽくなくて、しっとりしている。


 仕上げにジャムをかける。色杏さんと良く行く喫茶店で、分けてもらったブルーベリージャムが冷蔵庫にあった。


「美味しい」


 円はあっという間に最初に焼いたスィールニキを完食した。


「めちゃくちゃうまいよ、これ」


「本当? 良かった」


「甘過ぎないから。いくらでもいける」


「どんどん焼くから、たくさん食べてね」


「うん」


 もくもくと食べる姿を見て、すうっと幸せな気持ちになる。


 我ながら良くできたと思う。しばらく作っていなかったけれど、レシピはちゃんと覚えていた。 


 それを美味しいと言ってくれる人がいて、とても嬉しい。


「我ながらうまくできた」


 酸っぱくて甘い。

 甘くて酸っぱいの繰り返し。


 冷たい紅茶を飲む。いつの間にか、ボウルいっぱいに作った生地は空っぽになってしまっていた。


「食べ過ぎた」


「食べ過ぎたね」


 お腹がぱんぱんになっている。時計を見ると、3時を過ぎてしまっていた。


「もうこんな時間なのに。これじゃあ晩ご飯食べらないね」


「適当に買っちゃおうぜ」


「じゃあ商店街の焼き鳥にしよう。朋恵さん、前にあそこのつくねが美味しいって言ってたの」


「そうだな。軟骨とつくね買っとけば文句言わないから」


「一緒に行く?」


「あ。うん」


 一拍置いて、円はこくんとうなずいた。


「その前にちょっと休憩」


 お腹を抑えながら、彼はゴロンと床に横になった。


「眠くなってきた」


「食べてすぐ寝るのは良くないよ」


「ちょっと。ちょっとだけだから」


 そう言ってすうすう寝てしまった。


「もう。お兄ちゃんたら」


 あ。

 今の台詞、なんか妹っぽかったんじゃないかな。


 自然に言えた気がする。だんだん慣れてきたのかもしれない。


 わざわざ起こすのも悪いので、起きるまで図書館で借りてきた本を読むことにした。


 カバンを引っ張ると、綺麗なイラストが書かれた冊子が落ちているのが目に入った。


「アリアドネの初恋」


 手書きの文字でそう書かれている。

 小説だろうか。手にとってパラパラとめくると、映画の脚本だった。


「そっか。天道さんのやつだ」


 チラッと円の様子をうかがう。すやすやと気持ちよさそうに寝ている。起きる様子はない。


 別に読んでどうこうするつもりはないし、大丈夫だと思う。読んでないふりをすれば良い。


 好奇心には勝てない。

 ページをめくっていく。天道さんの映画は、彼女の姿が思い浮かぶような綺麗で、不思議な作品だった。


 主人公は海沿いの町に住む女子高生。

 彼女には好きな人がいる。昔からの幼なじみで、同級生の男の子。でもその男の子にはもう恋人がいる。


 物語はその町から2人を残して、全ての人が消えてしまうところから始まる。主人公の女の子と男の子は、町に起こった異変を解くために奔走ほんそうするけれど、謎を解く鍵はなかなか見つからない。


 そして2人はずっと一緒にいるうちに、だんだんと恋に落ちていく。


 そんな話だった。


 面白い。

 思わずパラパラと読み進めていって、最後のシーンまでたどり着いてしまった。


「波打ち際でキスかあ」


 これでおしまいと書いてある。ちょっと謎を含んだ終わり方だった。


 でもロマンチックな話だ。キスシーンで終わるだなんて、天道さんも大胆なことをする。


 パタンと冊子を閉じる。


「あれ」 


 再び冊子を開く。最後のシーン。


「つまり天道さんとお兄ちゃんが」


 この脚本だと、そう言うことだ。


 あー、なるほど。


 落ち着きたい。

 落ち着きたいけれど、手がプルプルと震えている。頭の中にポワポワとそう言うシーンが浮かんでいる。


 頭から消えてくれない。

 円はこのことをどう思っているんだろう。気にしていないのか。呑気に寝ている。


「もう。お兄ちゃんたら」


 さっきみたいに怒ってみる。


 何に怒っているんだろう。頭が熱い。


 洗面台に走っていて、冷たい水を顔から浴びる。ずぶ濡れの顔をタオルで乾かす。


「はあ」


 鏡に映った自分の顔は、すごく焦った顔をしていた。もっとしっかりしないと。パンパンと顔を叩く。


 動揺し過ぎにもほどがある。

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