27.下柳瑛子(円)


 ニコの編入試験が近づいてきている。


 兄としては手伝いたいところ。だが残念なことに、俺も期末考査でいっぱいいっぱいだった。中間考査が終わったら、すぐに期末が始まる。勉強ばかりで嫌になる。


 図書室で竹満と一緒に、色杏先輩がくれた過去問と戦っていた。俺はバイト、竹満は映画撮影の資料を集める手伝いで、勉強に関しては野晒のざらしになっていた。


「何で色杏先輩があんなに余裕なのか、俺にはさっぱり分からない」


 寝不足の目をこすりながら、竹満はペンを走らせていた。


「ずっと映画の脚本練ってて、何で成績にほころびがないのか訳が分からない」


「俺たちが頭悪いだけかもしれないぞ」


「失敗したかなあ。高校選び」


「校則が緩いからここにしようって言ったのはお前だろ」


「だった。そうだった」


 竹満は青白い顔をあげると、ボソリと言った。


「すまんなあ。いつも付き合わせて」


「それは言わない約束だろ」


 そう言葉を返すと、竹満は黙ってうなずいて再び試験問題を解き始めた。こいつは暗記科目になかなか手こずっている。俺は数学がさっぱりだった。


 しばらく頭を悩ましていると、図書室に女子の一団が入ってきた。


「げ。刺又さすまた隊だ」


 竹満が亀みたいに首を引っ込める。

 見ると、この前俺たちを縄でグルグル巻きにした映像研究会の女子たちだった。


「マド隠れろ。縛られるぞ」


「そんな訳ないだろ。図書室だぞ。無法地帯じゃないんだぞ」


「女苦手なんじゃなかったのか」


「苦手なのは変わらないけれど。俺が言いたいのはそう言うことじゃない」


 俺が嫌いなのは痴話喧嘩ちわげんかだ。


安生あんじょう


 再び過去問を続行しようとすると、入ってきた誰かが俺を呼んできた。


「ほら見つかった」


 竹満がブルブルと身体を震わせる。


 見るとこけし頭がちょいちょいと俺を手招きしていた。


 下柳瑛子しもやなぎえいこ


 天道さんたち映像研究会の突撃隊長。

 彼女が俺たちと同学年で、隣校舎のD組だと言うことをこの前初めて知った。


「え、俺?」


「そう。ちょっと来て」


 何だろうと立ち上がる。竹満は「ご愁傷様」と言って、俺を見送った。瑛子は俺を図書室の外に呼び出すと、ずいっと詰め寄ってきた。


「聞いたよ。天道会長から。あんた映像研究会に入るんだよね」


「あー、その話。いや入らないよ。映画に出るだけ」


「どう言うつもり?」


「どう言うつもりって?」


「どっちの味方なのよ。天道会長か。そっちのB級マニア部長か」


 腕を組みながら、瑛子は言った。B級マニア部長というのが、色杏先輩だと言うのは分かった。


「もしかしてスパイ?」


「まさか。手伝うだけだよ」


「怪しいなあ」


 さらに詰め寄ってきた。


「スパイのスパイとか。こっちに取り入るフリをして、映画の脚本を盗もうって言う腹じゃないよね」


「バカ言え。色杏先輩が他人の脚本盗むような人かよ」


「うーん、それは確かに。じゃあ何でまだそっちに在籍してんの」


「むしろ俺には天道さんにそこまで肩入れする理由が分からんけど」


「はあ。分かってないなあ」


 やれやれと肩をすくめると、瑛子は天道さんの魅力について10分以上語り始めた。


 頭が疲れていたので3分の2聞き流した。 


「ね。分かったでしょ」


「分からん」


「物わかりの悪い。そっちに何のメリットがあるんだか」


「色杏先輩はともかくとして、竹満はそこそこ魅力あるぞ」


「あそこでリスみたいに縮こまってるけど」


「お前口悪いなあ。竹満はめちゃくちゃすごいんだぞ」


「どこがよ」


 竹満の魅力についてだったら、10分以上語れる。


「とにかく優しいんだ、あいつ」


「例えば」


「ほら小学校の頃さ、プレゼント交換とかやらなかったか」


 やったよ、と瑛子はうなずいた。


「俺んち金なくて。親にねだるのも申し訳なくて、消しゴム一個だけ入れたんだ。それがたまたま竹満のところにいった。俺もう内心ビクビクしてさ。バカにされるんじゃないかって。そしたらあいつ何て言ったと思う?」


「さあ」


「俺ちょうど消しゴム欲しかったんだ。めっちゃ嬉しいってさ。そう言ったんだよ」


「へえ」


「普通そんなこと言えるか。小学生だぞ」


「本当に欲しかったんじゃないの。単純に」


「いやいや。それ以外にもあるぞ。例えばさ」


「あー。分かった分かった。分かったよもう」


 竹満の魅力について語ろうとすると、瑛子はおかしそうに笑いながら、制止してきた。


「とにかく。協力する以上はちゃんとやってよね」


「やることはやる」


「頼むよ、天道会長すごくはしゃいでるんだから。まだ脚本は書き途中らしいけれど。そのう。テーマがさ」


 何かを気にするようにキョロキョロと辺りを見回した後で、俺に耳打ちした。


「恋愛映画だってさ」


 自分で言ったくせに顔を赤くして「きゃー」と言った彼女は、すぐさま表情を変えてキッとにらみ付けてきた。


「ね。まさかとは思うけど、会長とできてるとかないよね」


「いやいや」


「だよねえ。いや、本当はそれだけ聞きたかったの。安心した」


 だよねえとは何事だ、と言葉を返してやりたいところだったが、これ以上話をややこしくしたくなかった。釣り合わないのは事実だ。自分でも思う。


 俺が黙ってうなずくと、瑛子はスタスタと図書室に戻っていた。


「恋愛映画ねえ」


 一体、天道さんがどんな映画を作る気でいるのか。気になるところではある。


 図書室に戻っていくと、相変わらず身体を縮こまらせた竹満がボソリと言った。


「どうだった」


「なんでもないよ。世間話」


「世間話たって色々あるだろ。お前、もしかして向こう側に寝返るつもりじゃないだろうな」


「まさか」


 もともと、色杏先輩の味方になったつもりはないし。


「お前がどれだけ良いやつか話してた」


「なんだよそれ。気持ち悪いなあ」


 それから「方程式の使い方が違う」と竹満は俺のノートを見ながら練習問題を解いてくれた。


 俺が天道さんと映画に出ることを知ったら、こいつはなんて思うだろうか。


 色杏先輩にチクリそうな気がする。


 ちょっと気が引けるのは確かだったけれど、あの1万円はどうしても欲しい。


 ニコの合格発表がすぐ先にある。彼女に合格祝いを送るための、軍資金が必要だった。

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