春色の唇
ラルゴやレオンと別れた三人は、相変わらず広いエリスの部屋にて寛いでいた。
寮の談話室でも良かったのだが、良くも悪くも目立つことには違いない。そんな少女たちにとっては、一人部屋で空間を持て余しているエリスの部屋は丁度良かった。
「でも、流石にもうちょっと家具は欲しいよね」
リタはそうエリスに話す。この部屋にはベッドが一つと、机が一つ。もしかしたら、毎年こういう生徒がいるのかは分からないが、部屋のレイアウトからリタの部屋とは異なる。
とはいえ、流石にダイニングテーブルなどがあるはずもなく、エリスは机とセットになっている椅子に腰かけ、リタとキリカはベッドに腰かけているような状態だ。家から持って来ていた小さな物置をベッド脇に置き、サイドテーブル代わりに使っているくらいである。
土魔術で家具を成形してもいいが、終わった後に掃除が大変だろう。それに折角なら、職人の作ったお洒落で可愛いものがいいに決まっている。私も使うんだし、とリタは思う。
「うーん、でも武闘大会の後に退学者が出たら、もしかしたら部屋割りも変わるかもしれないよ?」
「そっか……。じゃ、終わってから考えよ?」
そんなリタの言葉に頷いたエリスは立ち上がると、紅茶のお代わりを淹れに台所に向かっていった。こんな時に、すぐに立ち上がれない私のことを、前世のアニメ風に言えば女子力が低いって言うんだろうな、とリタは遠い目をしていた。立ち上がっても、どうせまともに紅茶なんか淹れられないけど。
同じく動く素振りも見せないキリカは……うん、お嬢様だし、仕方無いか。そう考えれば私も前世は男だし。仕方が無い、よね? とりあえず今はそう納得しておこうと思い、リタは横を向く。
リタの隣に腰掛けるキリカは、入学式だからなのか、もしくは学院生活はそう過ごすつもりなのかは知らないが、髪型が少し変わっている。高い位置に細めの束が二つ、小さな赤いリボンで結ばれていた。よく手入れされた金髪は相変わらず美しい艶を放っている。
(確か、ツーサイドアップとか言うんだっけ?)
その髪の中に、顔を埋めて匂いを嗅ぎたい衝動に駆られるも、理性が勝った。
「キリカ、髪型変えたの?」
「ええ。折角だし気分転換にね? ちょっと結んだだけだけど」
「似合ってるよ! 可愛い!」
「そ、そう? ……ありがとう」
キリカはちょっと恥ずかしそうにしながら、髪の束から流れる毛先を細い指で弄り回している。なんだか、からかいたくなる顔だ。だが、リタは学習していた。自分が相手をからかうと、大体手痛い反撃を食らうことになるということを。
そんなキリカの艶やかな桃色の唇に、キリカにも女子力は負けてるなと思いながらリタは続ける。
「それから、その口紅の色もね」
「この色、春っぽくて素敵でしょ? 貴族街のルプツェルの新作。偶然見つけてすぐに買っちゃった! 貴方にもきっと似合うと思うわ」
「そうかな? じゃ、お揃い買おうかな!」
「とりあえず、試してみましょうか」
そんなことを言いながら、上機嫌で自分の荷物を漁るキリカの姿に、リタの心臓は撥ねる。これは、まさか……。
「ほら、こっち向いて」
そう言ってほほ笑むキリカの右手に握られていたのは、金属と硝子細工で造られた芸術品のような口紅であった。間違いなく、高いだろう。日用品にお金を掛けられるなんて、流石は公爵令嬢だ。尚、リタはどちらかと言えば、消耗品にはあまりお金を使わないタイプである。食事は例外として、服や武装などある程度長く使える物には惜しみなく使うのだが。
この流れは間違いないだろう。そう思うと、急に恥ずかしさが出て来た。顔が熱い。
(こ、これが、間接キッス――――!!)
まるで、いきなり中等教育を受けていたころの前世の自分が蘇ったような気がした。流石に家族である妹とは違って緊張感が尋常ではない。
私たちは女の子同士、これは普通! これは普通! そう自分に言い聞かせるリタの頬にキリカの白い指先が触れる。
「――――ッ」
思わず声が出そうになってしまった。
キリカは少し不思議そうな顔をしている。それはそうだろう。自分でも挙動不審になっている自信はある。キリカの顔と、右手に握られた口紅が少しずつ近づいてきた。キリカの視線は、きっとリタの唇を見ているのであろう。睫毛、長いなとリタは益体も無い事を考える。そして唇に冷たい感触が走り、思わず身じろぎをしてしまう。
「ひゃぅッ!」
リタの唇から漏れた声に、キリカは吹き出した。
「もう、じっとしなさい?」
笑顔でそう言いながら、キリカは思い切り左手でリタの顎を掴んだ。そうして、キリカの左手で顎を完全に固定されながら口紅を塗られるリタ。
(キリカ握力強すぎ……私のドキドキを返して……)
何だか、思い描いていたものとは少し異なるが、結果は結果だ。きっと前世で拗らせすぎて過度な期待を抱き過ぎただけなのだ。彼女とまた一つ仲良くなれた、それは純粋に嬉しい。
「うん、やっぱり似合うわ!」
満足そうに微笑むキリカの笑顔に釣られて、リタも笑う。二人は、エリスが茶菓子と紅茶を準備して戻るまで、肩を寄せ合って小さな手鏡を眺めていた。
「でさ、エリスは選択授業どれ取るの?」
日も落ちた学院の女子寮。キリカは夕方には自宅に帰った。ユミアと共に夕食を済ませた姉妹は、エリスの部屋で選択科目の一覧を眺めていた。
「とりあえず、魔術関連を全部。それでも結構枠余るし、適当に戦闘術とか魔道具作成のやつとか、その辺かな」
エリスは最初から決めていたようで、淡々とそんな返事を返した。
「えぇ~。応用魔術理論とか吐き気がするんですけど……」
リタはげんなりした顔でそう返す。流石は魔導戦術学院。魔術関連の授業はかなり多い。
そもそもこの世界の人間は、殆どの人間が魔力を持っており、理論上はかなりの数の人間が魔術を使える可能性はあるのだ。だが、稀に魔力を全く持たない人間も居れば、魔力量は多くても全く魔術の使えない人間も存在する。実際に魔術師として、戦闘や研究で生計を立てられる人間は最終的にはほんの一握りとなる。
だが、戦いに身を置くにせよ、そうでないにせよ、魔術が使えて損は無いのは事実。この学院では非常に人気のある授業である。
リタもまた、いつでも大切な誰かを守れるように、回復魔術などはもう少し使えるようになりたいとは思っている。かと言って、理論系の授業には全く興味が持てなかった。
「今更学ぶ必要は無いもんね」
エリスは苦笑いでそう返した。
「どうかな? 私は魔術そのものを深く理解してるわけじゃないよ? たしかに王国の魔術って、私が前世で覚えた魔術を下敷きにしてるのか、結構似てるんだよね。でも、結局今の平面構造体を基礎とする形だったら、大きく発展させることは難しいじゃん? だから途中で諦めて、自分で開発した訳だし」
「下敷きも何も、完全に源流だからね。だって、王国は元々ルミアスの親国王派の生き残りが建国した国なんだから。でも、お姉ちゃんの開発した魔法式だと、使える人が限定的過ぎて現実的じゃないし」
「ま、そうなんだけどさ」
相変わらず、エリスは物知りだなとリタは苦笑いを零す。それとも自分が、興味を持たなすぎるだけなのだろうか。ルミアスはノルエルタージュの出身国。彼女が死んで数百年後に内乱で滅んだらしいが、最低限の知識はあっても困らないかもしれない。
「私は将来その辺をどうにかしたいなって思ってるから。『魔法』を、理解できないものじゃなくて、本来の意味の『魔の理』に戻してあげたいなって、さ。……だから、とりあえずは既存魔術を詳しく学んでみるよ。先人たちの知恵からの気付きもあるだろうし」
エリスの言葉にリタも頷く。確かに、その言葉はノルエルタージュの本にも最初に記載されていた。魔法とは即ち魔の理そのもので、人の身で扱いきれぬものであると。だからこそ、エリスの決意には脱帽するしかない。彼女はいつか、その理の全てを解き明かしてみせると言ったのだ。この世界の人間が、それを理解し、いつしか何らかの方法で扱えるようにしてみせる、と。
だが、そのためには現在の体系化された技術が邪魔になる部分があるのも事実。何故なら、魔術はそもそも、前提として世界の在り方を勘違いした技術なのだから。
「でもエリス、前にも言ったけど――――」
「大丈夫。今更既存概念に囚われたりはしないから」
そんなエリスの自信たっぷりな笑みに、リタは強く頷いた。
確かに、今更心配する必要なんて無かったよね。
だってエリスは、天才で可愛い、私の自慢の妹なんだから。
それに比べて私は……何か前世から成長してるんだろうか。
成長した妹と、成長しない自分に、複雑な気持ちを抱くリタであった。
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