苦渋の決断(予定)
風呂から上がって部屋に戻ると珍しく美園が眼鏡をかけていた。テーブルの上に置かれたノートPCを真剣な目で見つめている。
先に入浴済みである美園は保湿用のパウダーをはたいた以外はノーメイクで髪もまっすぐ。淡い水色のカーディガンを羽織った状態でもまだ布面積の少ない白いネグリジェを身に纏った就寝用の姿で僅かに姿勢を前に傾かせているので、大きく開いた襟ぐりから覗く部分に目を奪われた。そしてバレた。
「おかえりなさい。智貴さん」
「ああ、ただいま」
顔を上げた美園は仕方ないですねと言わんばかりの苦笑を見せて姿勢を正した後、優しく微笑んで僕を出迎えてくれた。
隠す様子も無かったので問題無いだろうと判断して「調べ物?」と尋ねながら近付くと、美園は「はい」と隣に座った僕の方へ僅かにPCの向きを変える。
「今日行ったとこか」
「ええ。それ以外にも何ヶ所か見ていましたけど」
ブラウザ上に表示されていたのは今日見学させてもらった式場。加えて開かれているタブ上には式場の名称と思われる文字列が並んでいる。
「どこか気に入ったとこあった?」
「そうですね。どこも素敵ですけど、やっぱり実際に見学させていただいた所の印象が一番強いですね」
チャペルから披露宴会場を案内してもらい、またエントランスホールに戻ってアンケートに記入し終えるまで、美園はずっと楽しそうにしていた。白亜の建物をうっとりと見つめながら将来に思いを馳せる、そんな自分を言葉と態度で僕に示してくれていた。
式場を出て夕食を外で済ませる間もずっと、厳かなチャペルの、華やかな披露宴会場の、爽やかなガーデンの感想をずっと、頬を緩めながら僕と語り合っていた美園を思い出す。
「じゃあ……海外で象に乗ろうか?」
「……どうしてそれを推すんですか」
ブラウザ上にそれを表示してみると、美園は眉尻を下げながら「もう」と僕の手からマウスを奪ってタブを閉じた。
「智貴さんだってチャペルがいいって言ってくれたじゃないですか」
「まあね。美園のウェディングドレス見たいし」
「はい。私もです。智貴さんとならどんな式でもと言いましたけど、やっぱり私も智貴さんの隣でドレスを着たいです」
「うん。着てほしい」
言いながら美園の肩を抱き寄せると、日中よりも少し強い甘い匂いがふわりと香り、ゆっくりと僕の肩に頭が、そして次第に全身が預けられる。
「ドレスとかは見なくていいの? どんなの着たいとか」
「ドレスは今見ても私たちが結婚する頃には流行りも変わってしまうでしょうから、その頃に見たいと思います」
「流行とかあるんだ」
「当然、ありますよ」
体と顔を起こした美園はさらりと流れた髪に指で触れながら、「別に流行を追いたい訳ではありませんけど」とはにかみを見せた。
「一口にウェディングドレスと言っても種類は本当に豊富なんです。色だけでなくラインも、流行の物はデザインも増えますし、自分のスタイルに合った物をしっかり選びたいです」
僕と一緒ならどんな式でもと言っていたが、美園には美園の希望があったのだなと思うと今日見学に行って良かったと思う。大切な事は二人で決めるべきだという金言を思い出しながら、肩から移動させた手で頭を撫でる。
「スタイルって言うけど、美園触ったら折れそうなくらい細いから何でも似合うんじゃないか?」
「たくさん触る人が言いますか?」
言いながら冗談で美園のお腹に手を伸ばすと、眉根を寄せた彼女がぺちんと僕の手を叩く。
「全然問題無いと思うんだけどな」
以前のように断固拒否はされないが、まるで無駄な肉などついていないのにそれでも平時においてはあまり触れてほしくない部分らしい。
「気持ちの問題ですから」と口を尖らせる美園に「ごめんね」と謝り、今度はいつものように後ろから抱きしめた。これはもちろん嫌がるそぶりなど一切見せず、むしろ後ろからでも彼女の頬が弛むのがわかった。
「うん。やっぱり細い」
「比較する相手がいるような言い方ですね」
「……いないの知ってるだろ?」
「ええ、もちろんです」
やわらかでありながらもすっぽりと腕の中に入る美園はくすりと笑う。
「私の場合は背が低めですからね。高い人に映えるドレスは似合わないような気もしますし、それに」
「……ああ、なるほど」
「そういう事です」
言葉を切った美園は胸元に視線を落とした。
実際に普段の服選びでも失敗すると太って見えるため難しいと言っていた事を思い出すと、美園は苦笑を浮かべた。
「なので実際に試着をさせてもらって決めたいなと思うんです。もちろん事前にある程度は絞りたいと思っていますけど」
「なるほどね」
「その時は一緒に選んでくださいね」
「好みの物じゃなくていいの?」
「ええ」
しっかりと頷き、その勢いのままで美園は僕の腕の中で反転する。いつの間にか眼鏡のはずされた顔には自慢げな笑みが浮かんでいた。
「むしろ、智貴さんに一番綺麗だと思ってもらえるドレスが私の一番着たい物ですから。誇張抜きでそう思っています」
「……何着ても似合いそうだから困るな」
「もう。候補は絞りますから、しっかりとお願いしますね」
華やかな物や清楚なものなど、貧困な想像力を駆使してみるのだが、どれもそれを纏うのが美園であるならそれだけで僕にとっては最高なのだと思ってしまう。
美園はそんな僕を見てふふっと笑い、「約束ですよ?」と小指を差し出した。
「頑張るよ」
「はい。お願いします」
ただそれでも、美園の希望を叶えたいと思う。だから小指を絡めながら伝え、やわらかな微笑みを浮かべる美園に髪に触れると、彼女はゆっくりとまぶたを下ろした。
どんなドレスを着た美園も捨てがたいのだろうから、きっと選択は大変になるはずだ。そんな事を考えながらも楽しみで仕方が無く、そっと顔を寄せて彼女の唇を食んだ。
昼とは違う甘い香りの中で存分にやわらかな甘さを味合わせてもらってから顔を離すと、えへへとはにかんだ美園が顔にかかった髪に触れる。
美園はいまだ絡めたままの小指に視線を落として目を細め、少し名残惜しそうに眉尻を下げてから両腕を僕の首の後ろに回した。
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