伝えたい幸せ
「二日間、自分のお家だと思ってくつろいでちょうだいね」
「ありがとうございます」
挨拶を終えて土産を渡したところ、美園のお母さんが朗らかな調子でそう言ってくれた。
相変わらず若々しい容姿ではあるし、ぽやぽやとした天然気味の独特な空気を纏ってはいるが、白を基調とした上品な恰好のせいか落ち着いた雰囲気も同居している。
お母さんの隣にはお茶を用意し終えて合流した乃々香さんが座り、僕の隣には美園がいてくれる。お父さんと花波さんは不在らしい。
去年も通してもらったリビングは相変わらず広く、ソファーの座り心地は抜群にいい。だがやはり、アイスティーの入ったグラスともども、周囲の物にはあまり触りたくない。
「せっかく来てくれて申し訳ないのだけど、主人は今日どうしても都合がつかなくてね。明日には戻るのだけど残念そうにしていたわ」
「いえ、とんでもないです。急なお願いを受けて頂いただけでもありがたいのですから」
「牧村君も試験前なのだし、主人がいない方が落ち着くかしら」
「……いえ、そんな事は……」
「お母さん」
大変失礼ながら少しだけ図星ではあった。今回の訪問で一番緊張していたのはお父さんにお会いする事だったのだから。もちろん認めてもらいたいので会いたくない訳ではなくむしろ話をさせてもらいたかったのだが、少しホッとしたのもまた事実。
だから上手い言葉を返せなかった。そんな僕への助け舟か、隣の美園が少しだけ咎めるような調子でお母さんへと声をかけた。
「美園は牧村君のお父さんとお母さん、どちらにお会いする方が緊張していたかしら?」
「それは……」
ニコリと笑ったお母さんの言葉に思い当たる節があったのだろう、美園が言葉に詰まる。
「やっぱりパートナーのご両親にお会いする時はね、どうしても同性の親相手の方が緊張するものよ。私も主人のお母様にお会いする時はいつまでも緊張があったものだし、主人も私の父に会う時はやはり緊張していたものね」
「そういうものなのでしょうか?」
「そういうものだわ。主人もそのくらいの事は承知しているから、気にしなくて大丈夫よ」
穏やかに笑うお母さんの表情には、経験に裏打ちされた自信が見えた。
美園のお父さんは二代目だと聞いていたし、お母さんも恐らくは育ちがいい。きっと互いの両親との付き合いというのは、今僕が想像するよりも大変なものがあったのではないだろうか。
つまり僕の美園のご両親とのお付き合いに関しても、今考えるよりも大変なものがあるのだろう。そんな事が頭をよぎる。
先ほどのお母さんの言葉に上手く返せなかった事のように、美園に恥ずかしい思いや気まずい思いをさせないように頑張らねばと思うと、身が引き締まる。
「牧村君が前に来てくれてからもうじき1年だったかしら」
「はい。ご無沙汰してしまい、申し訳ありません」
「牧村君も忙しいのでしょうし気にしないで。ごめんなさいね。今のはね、1年も経った気がしないという意味で言った言葉だから」
頭を下げた僕に軽く手を振り、お母さんは隣に「ねえ? 乃々香」と優しい顔を向けた。当の乃々香さんも「うん」と首を縦に振っている。
どういう意味だろうと不思議に思ってふと美園に視線をやったが、彼女の方もわからないのか首を傾げていた。
「美園がね、連絡をしてくる時は必ず牧村君のお話も聞かせてくれるから、なんだか牧村君とも会っているような気になってしまうのよね」
「うん。お姉ちゃん、牧村さんのお話になると長いから」
お母さんは苦笑、乃々香さんはどこか諦めたような笑い、そして美園は顔を赤くして俯いた。
「むしろ牧村君のお話をしたいから連絡をしてくるのじゃないかというくらい」
「そんな事ないよ!」
僅かにいたずらっぽい笑みを浮かべてからかうお母さんに、美園は赤い顔のまま反論するが「そうかしら」とあっさり返されて、「違うもん」と小さくなってしまった。
だが、実際に違う事は良く分かっている。美園は自分の家族をとても大切に思っているし、だからこそ僕もそのご家族に認められたい。
「ありがとう。嬉しいよ」
「もうっ。智貴さんまで」
「ごめんごめん」
朱に染まった頬と恨めしげな上目遣いの視線に思わず美園の頭に手が伸びたが、向かいの二人の視線に気付き慌ててそれを引っ込めると、美園はほんの一瞬少しだけ残念そうな表情を見せた。
後で、と目線で伝えると嬉しそうにはにかむ姿がとても可愛らしく、むしろその後でまで我慢するのは僕の方が辛いだろうと思えた。
「あら? 私たちの事は気にしなくていいのよ?」
「そ、そうです。いつもみたいに二人の世界に入ってください」
からかいの対象が僕に移ったらしい。
恥ずかしくはあるが嬉しい。それを言っても大丈夫だと、そういう仲だと思ってくれている。距離が近付いた事の証明のようで、誇らしい。
「花波と乃々香から牧村君に撫でられている時の美園が凄く幸せそうだって聞いていてね、私も見てみたいなあって思っていたの」
「乃々香?」
「カナ姉が言ったの! 私は頷いただけ!」
よく似た顔に三者三様の表情を浮かべる親子に自然と頬が弛んだ。
「智貴さんまでっ」
「ごめん」
頬を膨らませた美園の頭に、今度こそ手を伸ばした。
ほんの一瞬だけですぐに離した、撫でると言うよりは置くと言った方が近い行為。
「あ……」
「あら」
「わ」
またも三者三様の声。
今日一番顔を赤くした美園が少し恨めしげな視線を僕に向けるが、すぐに頬が弛む。
はにかみながらもっとといたずらっぽく求める視線に今度こそ後でと返すと、一瞬だけ口を尖らせた美園がすぐにやわらかく微笑んだ。
お母さんがいいと言ったからと言ってすべきではなかったかもしれない。
だが、温かなご家族に囲まれて、からかわれながらもどこか嬉しそうな美園がいた。
だから、僕と一緒にいる美園をご家族に見てほしかった。こんなに可愛く、幸せそうに笑うんだと。
そして美園と一緒にいる僕を見てほしかった。幸せだと、あなたたちの大切な美園と一緒にいられて、この上なく幸せなんだと伝えたかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます