ファイアワークス②
着替えてからしばらくは味覚以外の五感でたっぷりと美園の浴衣姿を堪能させてもらった。一緒に写真も撮った。
「今の内にしとかないと花火どころじゃなくなるから」
「もう。またそういう事を……」
ベッドに腰掛けた美園は、顔を赤くしながらも少し呆れたような上目遣いで僕を見ている。
そんな美園の横にゆっくりと腰を下ろしながら、「ほんとだよ」とその手を握ると、「もうっ」と親指の辺りをつねった彼女がそのまま指を絡め、僕の肩にそっと頭を預けた。
可愛らしさの中に大人びた魅力を含んでいる一年ぶりの浴衣姿、貴重な普段と違う髪型、浴衣に合わせて初めてつけたという清潔感のあるかすかに石けんのような香りをさせる香水、その一つずつでさえ必殺の威力を持っている。
「でも、ちょっとだけわかるかもしれません」
「だろ?」
「はい。浴衣姿の智貴さんも素敵です。なので、今の内にちゃんと見ておかないと花火が記憶に残りそうもありませんから」
僕の肩から頭を離し、美園はえへへとはにかんでから目を瞑る。
一瞬だけ唇を触れ合わせて離すと、「えい」と美園が僕に抱きついてきて、そのままの勢いで二人してベッドへ倒れ込んだ。
体にかかる美園の体重が心地良く、僕の胸元に顔を埋める彼女の背にそっと右手を置き、左手は美園と指を絡めた。いつもと違う香り、いつもと同じやわらかさを感じながら小さな背中を撫でると、美園はくすぐったかったのか僅かに身をよじる。
「これ、就活で忍耐力アピールに使えるよなあ」
「どういう事ですか?」
しみじみ呟いた僕を、顔を上げた美園が不思議そうに見ていた。「なんでもないよ」と頬を撫で、自慢の忍耐力が限界を迎える前にゆっくりとその華奢な肩に手を添えて彼女を起こす。
「ちょっと早いけどご飯にしようか。美園がせっかく作ってくれたんだし、余裕をもって味わいたい」
「はいっ。すぐにご用意しますね」
体を離された事で一瞬だけ頬を膨らませたが、美園は嬉しそうに顔を綻ばせて立ち上がり、食事の支度を始めてくれる。彼女が作ってくれた弁当は、浴衣を意識してか二段重ねのお重で用意されている。
そして僕の方は念のために持って来ていたレジャーシートを床に敷いた。今いる部屋はダブル仕様なので枕は二つある。ベッドもその分広い。しかし椅子は一つしかないのでこうする他ない。
「椅子の事を全く考えてなかったよ」
「ちょっと狭いですけど、その分智貴さんとの距離が近いですから。楽しいですよ」
二人でレジャーシートに腰を下ろしながら苦笑すると、ふふっと笑いながら、言葉通り楽しそうな美園が包みを開いて重箱の蓋を外した。
「和食ばかりなので、普段と比べるとちょっと自信が無いですけど……」
「いや、凄いよ」
美園は洋食全般が得意なのだが、それは和食が苦手という訳ではない。むしろ洋食が大得意で和食は得意と言っていい。本格的な物を作ってもらった事はないが、家庭料理の具合から考えれば多分中華もそつなくこなす。
だからお重の中身の味が楽しみで仕方ない。それに加えてやはり見た目もいい。稲荷寿司や煮物などで茶色成分も多いのだが、きっちりと仕切られた重箱の中には鮮やかな色がバランスよく使われていて、全体的に見てとても綺麗に仕上がっている。
「綺麗だし、お金取れるよ、絶対」
「そこまでじゃありませんよ。でも、ありがとうございます」
照れ隠しなのか、美園が一口サイズに切られた稲荷寿司を差し出してくれる。白く細い指で綺麗に持たれた箸に左手を添え、「はいどうぞ」と僅かに体を寄せる。
せっかくなのでとそのまま食べさせてもらうが、やはり美味い。甘みと酸味の比率が完璧だ。
「どうですか?」
「ありがとう。すっごく美味しいよ」
「良かったです」
咀嚼し飲み込むまでをじっと見られて少し恥ずかしくはあるが、不安と期待が混じった眼差しに対して素直な感想を告げると、美園の頬が少しだけ弛む。
「次はどれにしますか?」と楽しそうに僕を見上げる美園を制し、「次はこっち」と今度は僕が稲荷寿司をつまんだ。
「え。私はいいですよ。自分で食べられますから」
「それだと僕が自分で食べられないみたいじゃないか?」
思えば美園から僕へはたまにあるが、逆はほとんどなかった。しかも箸でとなると初めてだ。
だからだろうか、美園は恥ずかしそうに頬を染めながら、空いた左手をぱたぱたと振って遠慮の意を示してくる。しかし、当然僕はそれで退かない。
「ほら、僕の自慢の彼女が作ってくれたご飯だから、とんでもなく美味しいよ?」
僅かに瞳を潤ませた美園が「それ、私の事じゃないですか」と恨めしげな調子で呟くのだが、僕が見れば喜んでいるのだとわかる。だから遠慮なく箸を差し出す。
「あんまり見ないでくださいね」
「善処する」
恥ずかしそうにそう言う美園に心構えを伝えたところ、彼女は少し頬を膨らませた。だから微笑みかけてみると、「うぅ」と小さく口に出してから「お願いします」と顔を朱に染めた。
「はい」
先ほど僕が食べた物より少し小さめの稲荷寿司をじっと見つめ、覚悟を決めたようにぱくっと口にした美園から箸を引き、控えめに視線を送ると赤い顔のまま小さな顎を動かす彼女の葛藤が見えた。顔を隠したい、背けたいけれどそれは行儀が悪い。早く咀嚼してしまいたいがそれも行儀が良くないし何より恥ずかしい。
だから、本当はずっと見ていたかったがこちらが顔を逸らした。
「恥ずかしかったです」
「ごめん。でも僕も恥ずかしかったんだけど」
「すみません。でも、智貴さんが美味しそうに食べてくれる姿を見る事が私の幸せなので」
上目遣いの美園がおずおずとそう口にした。その後で「ダメですか?」と問われれば「ずっとじゃなければね」と返すのは当然の事で。そもそも僕の場合はそこまで恥ずかしくないし、言葉で褒め足りない分を表情で伝えられるならそれはそれでありだと思えた。
「ありがとうございます。それじゃあ、次は何を食べますか」
「え。美園も自分の食事がある訳だし、大丈夫だよ」
「花火が打ち上がるまではまだまだ時間がありますから、余裕を持って食べられますよ?」
ニコリと微笑み、可愛らしく首を傾けてみせる美園。自分で言った事だけに否定のしようがない。
「美園のオススメからお願いしようかな」
「はいっ。ええと、それじゃあ……これにします」
観念して箸を置くと、嬉しそうに笑う美園は「どうぞ召し上がれ」と僕の口へと煮物を運んでくれる。
こうして、普段よりだいぶ長く、元々素晴らしい料理の味以上に食事を楽しませてもらった。少しの羞恥心と引き換えにではあったが。
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