経験値不足

「智貴の母です。気軽にお義母さんて呼んでくれていいからね。智貴、こんっなに可愛い子が本当にあんたの彼女なの? 騙してない? この前帰って来た時にちゃんと言わないから! 急にこんなに可愛い子連れて来たらびっくりするでしょ。あ、ごめんなさいね。お名前をまだ聞いてなかったけど――」

「ちょっと黙ってくれ」


 美園を紹介する為に実家に連れて来た訳だが、玄関で出迎えた母さんの長い長い第一声がこれである。

 僕が「ただいま。こちらはお付き合いしている」まで言ったところで、スイッチの入った母さんがまくしたてた。お名前をまだ聞いていないどころか、美園は一言も喋れていない。それでも何とか笑顔を浮かべてくれているところは流石だと思う。


「改めて、こちらは僕がお付き合いしている君岡美園さん」

「君岡美園と申します。智貴さんとお付き合いをさせて頂いております。本日はお招きくださいまして、本当にありがとうございます」


 柔らかく微笑み、何度見ても見惚れる丁寧で綺麗なさまで腰を折る美園。

 母さんもそんな所作に感心というよりも驚きを禁じ得ないといった様子で、ちょっと固まっていて、隣の父さんに肘で突かれていた。


「美園。この二人が僕の両親、まあ何と言うか、よろしくしてほしい」

「改めましてですが、よろしくお願い致します。それから、本日はお世話になります」

「智貴の父です。息子がとてもお世話になっていると聞いているよ。ありが――」

「さあさあ、こんなところで立ち話もなんだからとにかく上がって上がって。狭い家だけど今日はゆっくりしていって」


 父さんの言葉を遮り、母さんが美園の手を引く。靴くらいゆっくり脱がせてやれ。「え、あの」と流石に狼狽える美園に、あとは任せてくれとアイコンタクトを送ると、彼女は眉尻を少し下げて笑い、そのまま母さんに身を委ねて扉の向こうへと消えて行った。


「智貴。すまん」

「いや、いいよ。あの人の行動を読み切れなかった僕のミスだよ」

「それを言うなら抑えられなかった俺のミスだな」


 苦笑する僕に、父さんも同じような表情で返してきた。


 実は今回の訪問では、美園には内緒だったがきっちりと段取りをつけておいた。父さんと母さんと事前に電話で打ち合わせをし、僕が美園を紹介するタイミングや、この後の食事の際の話運びの大まかな流れなどを決めていた。……はずだった。


「この感じじゃ、後の段取りも無駄になりそうかな」

「すまんな。交換条件のはずだったのに」


 今は2月最後の金曜の夜。当初の予定であれば外で美園と両親を交えて食事をし、その後は僕と美園で宿に泊まり、翌日は二人で観光をして帰る予定だった。

 しかし、母さんが「それなら家に泊っていけばいいでしょ」と言い出した。もちろん断固拒否の姿勢を崩さなかったのだが、あちらも意外と頑固であり、美園の印象が悪くなってもいけないと結局僕が涙を飲んだ。


 しかしもちろんタダで従った訳ではない。その交換条件がきっちりとした段取りを用意し、美園にとって居心地のいい時間を作る事だった。

 一応母さんとしても大歓迎の意を表する事で、それをしようとしてくれてはいるのだろう。大分空回っているが。


「いや、もういいよ。何だかんだで美園が喜んでくれてるし。僕にとってはそれが一番だから」


 まだ会った事も無い彼氏の両親に紹介してもらった当日、その実家に泊まるというのはどうかと思ったが、美園は緊張こそ大きかったようだが意外にも喜んでくれた。

「少なくとも現時点で悪印象は無いと言う事ですし、認めて頂けているようで嬉しいです。もちろん、ダメなところは見せられませんけど」と言ってくれた笑顔に嘘は無かった。


「どうかした?」


 あの時の事を思い出して自然と弛んだ頬を引き締めると、父さんが目を丸くして僕を見ていた。


「お前……成人式の時にも思ったが、変わったなあ」

「そう?」

「あの時は成人の高揚感がそうさせたかとも思ったが。あの子がお前を変えてくれたんだな」

「美園の為ならいくらでも変わるし、なんだってするさ」

「お前……いや、まあいい」


 そう言って小さく息を吐いて歩き出した父さんの後を、僕も美園の荷物を持って追いかけた。



 母さんに捕まっていた美園を救出し、一旦僕の部屋に荷物を置いて再度リビングへと戻ってくると、丁度母さんが夕食を並べているところだった。


「すみません。ご飯時にお邪魔して、お手伝いもせずに」


 そんな様子を見た美園は顔を曇らせながら頭を下げた。

 正直即座に「気にしなくていいよ」と言ってやりたかった。そもそも元は外食の予定だったのを向うの希望で家に変更したのだし、両親の帰宅前に家に上がる訳にも、夕食の準備中に出迎えさせる訳にもいかなかったのだから。


 それを言えなかったのは、美園の味方――今回は美園に全く非が無いので少し違うが――ばかりしていいのかと思ったから。

 美園は僕の両親と良好な関係を築きたいと考えてくれているし、僕もそうあってほしいと思って一緒に来てもらった。

 こんな事で両親が気を悪くするとは思わなかったが、それでも迷う。


「ああ、いいのいいの。全然気にしないで。じゃあ、もしよかったら片付けをちょっと手伝ってくれる?」

「はい。ありがとうございます」

「こっちのセリフじゃない?」

「あ……いえ、やっぱりありがとうございます」


 あっさりと言った母さんに、美園は少し照れた様子を見せながら軽く頭を下げた。曇った顔はもう見えない。

 段取りを無視した時はこいつどうしてやろうかと思ったが、今度は心中で感謝を告げた。


「智貴さん。髪留めを取りに行ってきます。お部屋に入ってもいいですか?」

「うん。一緒に行くよ」

「いえ、大丈夫です、待っていてください。でも、ありがとうございます」


 両親に「少し失礼します」とまたも頭を下げ、嬉しそうな顔をして僕の部屋へと向かって行った美園を見送ると、父さんと母さんが笑いながらこちらを見ていた。


「話には聞いてたけど、いい子だね」

「ああ。ありがとう、母さん」

「……本当に、いい子なんだね」

「だから、何度もそう言ってるだろ」

「はいはい。それじゃ私は支度しちゃうから」


 母さんの眼差しに、なんだか子ども扱いされたような気がして僕は目を逸らした。


「お前も大人になったと思ったが、まだまだ経験は足りないな」

「痛感してるよ」


 先程何も言えなかった事もそうだが、僕は美園の実家に挨拶に行った時に、気圧されてばかりで手伝いを申し出なかった。言う機会も確かに無かったかもしれないし、男女の違いもあるのかもしれないが、一つ年下の彼女がやはりとても大人なのだと実感する。


「智代に限って大丈夫だろうが、さっきのも嫁姑問題の予習には丁度良かっただろ?」

「因みにああいう時はどうすればいい?」

「さあな?」


 父さんは肩を竦めて見せた。おい。


「父さんは経験が足りてるんじゃないのか?」

「問題は起こってから対処するんじゃなくて、起こらないようにしておくものだからな」

「そうするつもりで段取り組んだんだけどなあ……」

「そうだったな……」


 今度は父さんが僕から目を逸らし、キッチンを見ながら苦笑していた。

 その視線の先には、何とも上機嫌な母さんがいた。

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