第113話 今日1日を一緒に
4時少し前、目覚ましをセットした時間よりも30分以上早く目が醒めた。正直体は重いが、頭の方が起きてしまったのだから仕方がない。隣では、耳をすまさなければわからない程小さな寝息を立てる美園が、きっちりとした姿勢で眠っている。
美園からは、「明日同じ事をしたら片付けの後に添い寝してあげません」と言われている為、今日はこのまま髪を撫でつつ彼女の覚醒を待つ。
部屋が暗く寝顔を見られない事が不満ではあったが、髪を撫でると美園が少し笑ったような気がして、早朝からなんとも幸せな気分になる。
「ん……うぅん」
僕を起こさないようにと音を消したスマホが震え出し、美園は少し気怠そうでありながら妙に色っぽい声とともに、半分以上寝ているであろう状態で枕元に手を伸ばした。
僕はと言えば、そんな美園の右手を捕まえて指を絡ませた。当然スマホの振動は止まらず、彼女は「ぅん……うぅ」とまたも僕の脳を甘く痺れさせる。
「智貴、さん……」
絡ませた指にほんの少し力を入れると、美園の方も無意識ではあるがきゅっと手に力を入れてくれる。それが嬉しくて指を絡めたまま、空いた手で彼女の頬をつついていると、流石に美園も本格的に目が醒めてきたらしい。
「何を……しているんですか?」
「おはよう、美園」
「おはようございます。智貴さん」
繋いだ手を離し、訝しげな美園の代わりにスマホの振動を止めて、そのまま今の時間を見せると、彼女は「安心しました」とかすかに笑って起き上がろうとした。
昨日は美園を休ませようという一心だったからか気付かなかったが、美園が布団を捲った部分から、二人の体温が逃げていくようで、気温だけでない冷たさを感じてしまい、無言で彼女を押しとどめ、温かく柔らかい、それでいて力を入れたら折れてしまいそうな程華奢な体を、そのまま抱き寄せた。
「智貴さん?」
「あと5分」
「5分だけですよ?」
呆れたように「もう」と言いながらも、美園の声はとても穏やかで優しく、「ありがとう」と伝えると、そっと伸ばした手で僕の髪を優しく撫でてくれた。10分と言っておけば良かったと心から思う。
「今日も楽しみですけど、明日の楽しみも増えましたよ」
「明日?」
耳元でまたも僕の脳を痺れさせる美園に尋ねてみると、彼女はくすりと笑う。
「明日はどれだけ甘えてくれるのかなって、楽しみです。智貴さんはお疲れじゃないとあんまり甘えてくれませんから」
「僕も楽しみにしておくよ」
「はい」
一瞬だけ唇を触れ合わせ、そのまま美園の体温を感じていると、5分はあっという間に過ぎてしまった。
◇
「お疲れだな」
「そりゃ、3日目ですからね。準備期間から深夜作業と睡眠不足が続いてるんで、流石にきついですよ」
第1ステージ付近の休憩所の掃除をしながら、近くで欠伸をした志保に声をかける。もちろん欠伸をしているのは彼女だけではないし、疲労困憊なのはほぼ全員同じだ。
「疲労でハイになってる人もいますけどね」
「そうだな」
苦笑する志保の視線の先にはハイテンションのサネと雄一。ただ、サネの方は疲労から来る面もあるのだろうが、雄一は間違いなく昨日のデートによるものだろう。上手くいったと言っていたし。
「それになんだか朝っぱらからイチャイチャイチャイチャした空気を漂わせてる連中もいますし」
「へー」
休憩所は単純な造りで、長机2本をくっつけた上にチラシやポスターを置き、その上から透明なビニールシートを被せて、傍にパイプ椅子を置いている。あまりに汚れていれば取り換えるが、今日は拭くだけで済みそうだった。
「多分その人達一緒に寝てて、朝『あと5分』とか言いながら抱き合ってイチャイチャしてから来てるんですよ。きっとそうです」
「エスパーかよ」
「うわ。適当に言ったのにマジですか?」
「志保だって似たような事してるんじゃないか?」
自分で言っておいてちょっと引いたような志保に言い返すと、「いえ」とあっさり否定が飛んで来た。
「準備期間も含めてですけど、私より航くんの方が先に起きて色々やってくれましたんで。誰かさんのとこみたいにイチャついたりはしてないですね」
「成さん、献身的だな」
「ねえ。私はいいって言ったんですけど、『俺はどうせ二度寝できるから、志保は少しでも休め』って」
最初は少し呆れたように開いた口から、今はデレデレとした声が漏れている。これも疲労のせいなのだろうが、僕の知る限り成さんのいない場所で、志保がこれだけ隙を見せるのは初めてだ。
「さ、惚気はその辺にして次のテーブル行こうか」
「あ……一生の不覚です。バカップル代表にこんな事を言われるなんて」
「そうだな」
僕達はバカップルかもしれないが、志保のところも大概だ。と言うよりも多分年季の分だけ向こうの方がバカップルだ。僕はまだ学食で平然と美園の頭を撫でるなんて出来ないだろうし。
「悔しいんで後でさっきの事美園に言って恥ずかしがらせます」
「やめ……こっそりムービー撮ってくれるならありだな」
「ゲスいですねえ」
「冗談だよ」
半分本気だった。すまん。
「まあでも、朝からそんな事ばっかしてるから美園が元気なんですね」
「そうだったら朝から甘えた甲斐があるな」
「自分がしたかっただけのクセに」
呆れてため息を吐く志保に、僕は苦笑以外にする事が無かった。
◇
「朝の作業お疲れ様でした。それじゃあ、いよいよ今日が最終日です。本当は全部終わってから言うべきなんですが、片付けの後は集まらないんで今言います。みんな今日まで本当によく頑張りました!だからあと1日、怪我無く楽しく乗り切りましょう!」
朝の準備完了後、それぞれの担当の持ち場に向かう前に、部長の隆から挨拶があり、一部から「オーッ!」という声も上がったが、基本的には拍手が起こった。
「今のみんなでオーッて言う流れじゃなかったか?」
「そうっすよねえ?」
先程の一部からはそんな声も上がるが、皆それをスルーして笑い合う。
体力的にはほぼ全員がかなり辛い状態にあるせいで、笑いの沸点が下がっている事もあるのだろうが、それでもきっと皆、今この瞬間を楽しんでいる。
「あと1日、ですね」
「ああ」
隣に来た美園に頷いて見せると、彼女は視線を笑い合う仲間達の集団に向けたままふふっと笑う。
「どうかした?」
「楽しいな、って思いまして」
「ああ。うん。でも、今日1日、もっと楽しもう」
「はい。そうですね。一緒に」
「うん。一緒にだ」
僕を見上げた美園に優しく頷いて見せると、美園は「はい」と穏やかに笑った。
時刻は8時15分。間も無く文化祭最後の1日がスタートする。
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