第98話 自慢の時計と指輪、恋人

「それじゃあすいません。お先に失礼します」

「お疲れ」

「気を付けてな」

「お疲れ様」


 全体会の休憩中、友人二人と屋外の自販機で飲み物を買っていると、志保が通りかかった。バスの時間があるので帰ると申し訳なさそうに言う彼女を見送り時計を見ると、もう22時30分になろうかとしていた。


「ご自慢の時計では今何時ですかな?」

「……22時30分だよ」

「長引くね」

「まあ一番重いの出てるからな」

「だね」


 全体会のレジュメで場が荒れがちになるのは、広報から出てくるデザインや装飾の類の時――特に装飾は安全面を含めた話になるので長引く――だが、去年の経験から一番長引くだろうと予想していたのが、今日出された委員会企画主導イベントの詳細だ。


「問題点がポコポコ出てくるよな」


 そう言ってサネは飲み干したコーヒーの缶をゴミ箱に入れた。僕とドクはまだ中身が残っていたが、そろそろ戻ろうかという事で一気に残りを飲み下し、棟内へと戻る。

 会場まで戻る途中でこれから自販機へ向かう連中とすれ違ったが、「早くしろよ」「まだ余裕あるだろ」程度のやり取りをして、彼らは外へ向かって行った。


「ご自慢の時計で何時まで休憩でしたかな?」

「……45分までだ。よく見ろよ、自慢の時計だぞ」


 休憩時間は20分だが、この長さは休憩の為だけに取っている訳ではない。レジュメ発表で受けた多くのツッコミへの返答を担当が考える時間としても充てられている。

 サネの眼前に美園からもらった自慢の時計を突き付けてやると、ニヤリと笑ったサネが「だってさ」と曲がり角の方へと視線を向けた。


「お前、狙ったな」

「美園が来たタイミングが良かっただけで完全にマキの自爆でしょ」


 ニヤケ面のサネの視線の先には、ちょうど角からやって来た美園がいた。


「センスいい時計だよなあ。こいつずっと自慢してるぞ」

「あ、ありがとうございます」

「それじゃあ俺達は先に戻ってるから」

「10分以内には戻って来いよ」


 そう言ってニヤケ面の友人達は先に教室内に戻って行った。

 俯きがちの美園の頬が僅かに赤い。僕の方もそうだが、直接褒める事には慣れたつもりでも、本人のいない所で褒めていた事を聞かれるのは、些細な内容ではあるが何故か気恥ずかしい。


「ええと……自慢の時計だよ」

「嬉しいです。私の指輪も、自慢の指輪です」


 手首を返して黒い腕時計を見せると、言葉通り嬉しそうに笑った美園が僕と同じようにして指輪を見せてくれる。


「血行悪くなったりしてないか?」


 まだ少し鼓動の早い僕に対して美園はもう平常に戻ってしまったので、照れ隠しで質問をぶつけてみた。


「大丈夫ですよ。指輪をもらってからはハンドケアにより一層気を付けています。委員会の仕事でも手が荒れやすいですし、せっかくの指輪に見合う指を保ちたいですから」

「次の指輪のハードルが上がるな」


 僕が贈った指輪は1ヶ月のバイト代で賄える程度の額。美園の白く細くしなやかな指をより上品に見せてくれるが、比べれば指輪よりも彼女の指の方が当然ずっと綺麗だ。


「次の指輪、ですか」

「うん」


 半分軽口のつもりだったが、何故か美園は先程よりも顔を赤くしている。


「楽しみにしています。あ、でも無理はしないでくださいね」


 弛んだ頬に手を当てた美園が待ち遠しいと言いたげな表情で笑う。

 毎年贈るような物ではないだろうし、次は彼女の卒業祝い辺りだろうか。社会人ともなれば指輪も学生用とは多少違った物の方がいいのかもしれない。


「わかったよ。楽しみにしててくれ」

「はいっ」


 僕の手を取った美園が、嬉しそうに大きく頷いた。



「あれ、僕の荷物は?」


 休憩終わり5分前に教室に入って先程まで座っていた机に近付くと、僕の荷物が無かった。


「悪いなマキ。この机は二人用なんだ」

「さっきまで三人で座ってたろ」

「マキはあっち」


 ドクに指差された方は先程美園と志保が座っていた辺り。まさかと思って見てみると、少し眉尻を下げて苦笑する美園の隣に僕の荷物が置かれていた。彼女の周囲の一年生の女子達も、グルだったのかニヤニヤしている子が多い。


「志保が帰って美園の隣が空いただろ? 彼女に寂しい思いさせんなって」

「させるつもりなんて無いが」

「だよねえ」

「はいはい。とにかくあっちな」


 有無を言わさぬサネに押し切られ、結局美園の隣に座る事になった。

 周囲の一年生達からは「いらっしゃいませ」だの「ようこそ」だのと迎え入れられたが、全員視線が生暖かい。「前見づらくないか」と後ろの子に聞いても、「私達の事は気にしないで下さい」「いないものと思って存分にどうぞ」などの返答が返って来た。人前でイチャつくバカップルだと思われているのが悔しい。完全に否定しきれないのがもっと悔しい。


『智貴さんがみんなの前で私の頭を撫でてくれたりするからですよ』


 美園らしいシンプルでありながらどこか可愛らしいメモ帳の一ページに、そんな事を書いて寄越した。相変わらず字が綺麗で惚れ惚れする。


『この子達の前ではしてないと思うけど』


 先程意識させられた美園の白く綺麗な指に、僕が贈った水色のシャープペンが握られている。一緒に勉強する事も多いので見慣れた光景ではあるが、やはり何度見ても嬉しい。


『それでも、もうみんな知っています』

「マジか……」


 美園の字の横にあるとだいぶ見劣りのする僕の文字に、彼女はまたも綺麗な字でそう返した。思わず声を出して周りを見渡すと、いくつかの視線がサッと逸らされ、美園は呆れたように頷いた。



 再開された全体会では、休憩前と変わらず委員会企画の担当者達が質問攻めに遭っていた。

 スタンプラリーの企画詳細のレジュメは、まず委員会企画部内のイベント企画担当が話し合って作成した。それを委員会企画の部会で再検討し、通過した物が全体会に出されているのだが、部会に対して全体会は単純計算で三倍以上の目に晒されるので、それだけツッコミも増える。


 しかも委員会企画部とそれ以外では目線が変わる。どうしたって彼らは企画者側の目線が強くなるので、参加者側の目線であったり、他部の委員としての目線で見られると疑問点が多く出てきてしまう訳だ。

 たとえば広報からすれば、締め切りの迫ったパンフレットの事を考えて、企画の細かな部分よりも大筋を完全に確定させたがる。


「去年も企画はこんな感じだったんですか?」

「大体こんな感じだったね」


 前に座った一年生が振り返りながら聞いてきた。邪魔にならない小声であれば、近くの人と話す程度は構わない。もちろん当該レジュメに関する事に限るが。


「でも皆さんよくこんなに質問が思いつきますね」

「去年は僕もそう思ったよ。美園も来年は色々考えられると思う」


 僕がする前に他の誰かが質問をしているので黙っているが、二年生は去年の経験からか、「この場合はどうなるのだろう」という質問は割と思い浮かぶと思う。


「でも確かに、どんな人を対象にするかは難しいですよね」

「うん」


 大学内の各所を周ってミニゲームを行い、クリアする事でもらえるスタンプを集めて景品を貰う。それが企画の概要で、数を多く用意しなければならないので当然だが、景品もそれほど大した物ではない。イベントそのものを楽しんでもらう企画だ。


「ミニゲームが難しすぎると小さな子どもはクリアできませんけど、逆に簡単すぎると学生にとっては味気無いかもしれませんね」


 美園は僅かに眉根を寄せて、今ちょうど同じ事を質問されている担当者達と同じく真剣に悩んでいる。珍しい顔なので写真を撮りたい気持ちを必死に抑えていると、彼女と目が合った。


「牧村先輩はどう思いますか?」

「ごめん。正直わかんない」


 担当者達は当然全年齢向けで考えていたが、そのためか先程美園が言ったところの簡単すぎて味気無いミニゲームに当てはまってしまうと感じる部分があった。同じ印象を受けた人が多かったのだろう、今の質問者からこんな質問が飛んだ。


「終わった後にただ歩かされただけの印象を受けませんか? 特に一人で参加した場合は」


 クリティカルでありながら曖昧で返答がしづらい。自分がされても間違いなく「受けない」とは断言できない。


「あ。参加する方の目線で考えてみようと考えていましたけど、智貴さんと一緒に参加する事だけしか考えていなかったです」

「色んな目線で考えるのは本当に難しいからね」


 営利イベントであれば対象をきっちり決めて狙い撃つだろうが、開かれた地方の大学では来場者の幅が本当に広い。学生はもちろん地域の大人達、近隣の小中学生も多く訪れる。


「ステージは基本学生向けですから、こういう目線は新しいです」

「そうだね」


 ニコリと笑う美園に頷いて見せると、「智貴さん?」「智貴さんだって」「誰?」と囁くような声が近くから聞こえた。流石に関係の無い話なので騒ぐような事は無かったが、生暖かい視線だけはたくさん貰った。


「「あ」」


 同じように間抜けな声を出した僕と美園だったが、彼女の方は俯いてメモ帳で顔の下半分を隠し、視線だけで周囲を窺っている。これもレア美園なので写真に撮りたい。

 しかし、向けられる湿度の高い視線に晒されながら思うが、こういった周囲からの扱いはきっと僕だけのせいではないのだろう。


 24時が近くなったところで結局、企画のレジュメはパンフレットに乗せる概要部分だけを完全に詰めた後、次回の全体会に再度出し直しという事になった。

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