第43話 落ち着かない先輩とプレゼント
試験前最後の勉強会、僕は勉強に集中出来ないでいた。
視線の行く先は手元のノートや教科書ではなく、対面に座るこの部屋の主。正確に言うのなら、彼女のその白く細い指とその周りを、何度も何度も盗み見ていた。
綺麗だからというのももちろん少しはあるが、それだけが理由ならば美園に綺麗でない所など無いので、手元だけを見る理由にはならない。
理由は僕の鞄の中に入っている青いリボンの付いた白い化粧箱。中身は水色のシャープペンと白のボールペン。勉強会の会場提供と料理のお礼に用意した、美園へのプレゼントだ。
勉強会のお礼を口実にするので、文具を贈る事は決めていた。喜んでもらえるようにと、美園の好む色を選んだ。使ってもらえるようにと、彼女が使っていた物と近いサイズの物を買った。
しかし選んだ時は自信満々のはずだったが、今日になってヘタレの部分が主張を始めた。これどうやって渡すんだ、と。
因みに、テンションがおかしかったせいなのか、昨日の僕はメッセージカードまで添えていやがった。今日来る前に正気に戻って抜き取れたのは本当に良かった。
「どうかしましたか?」
どうやって渡すかに悩んでいらた、盗み見ていたはずの美園とばっちり視線が合ってしまった。
「ええと、前から思ってたけど字が綺麗だなと思って」
「そうですか? お友達と比べても女の子らしくない字だなと思っていましたので、牧村先輩に褒めてもらえるのは嬉しいです」
「丁寧で綺麗で、美園みたいな字だと思うよ」
今になって思い返せば、美園を最初に意識したのは字が綺麗だったからだと思う。
「ありがとうございます。あの。紅茶淹れてきます」
赤い顔の美園はそれだけ言うと、早々にダイニングに歩いて行った。
これはチャンスだと思う。面と向かってプレゼントを渡すのは勇気が湧かないので、こっそりと彼女の席に置いておく事にする。
ダイニングにいる美園を窺うが、こちらを向いてはいない。視線を彼女から外さないまま、鞄を漁りプレゼントを取り出す。
「あ」
ちらりといった感じでこちらを見た美園と目が合った。慌てて箱を隠そうとしたが、それより早く美園が顔を逸らしてしまった。恐らく見られてはいない。
こっそりと、テーブルの横に置かれた美園の教科書の上に箱を置いて、あとは彼女が気付くのを待つ。自分で考えておいて情けない気がするのは、この際目を瞑る。
物自体はただの――僕の普段使いと比べるとそこそこ値は張るが――文具。普段使いでなくとも、どこかで使えるだろうと思う。比較的デザインのシンプルな物を選んだので、見たくもない程センスが合わないという事も無いはずだ。
僕と美園は、あくまで僕の主観だが、それなりにいい関係が築けていると思う。先輩が仲のいい後輩に、お礼の意味も込めて試験勉強お疲れ様、試験頑張ってな、とペンを贈るというのは多分セーフだ。
美園の性格からしてもまず嫌がるという事は無いし、恐らく喜んでくれると思う。
だと言うのに、不安で仕方がない。好きな女の子にプレゼント一つ贈る事が、こんなに精神的に疲れる事だとは思わなかった。
それでも、贈るのを止めればよかったとは何故か思えない。きっとそれだけ好きなのだろう、と恥ずかしい事を考えていると、美園がダイニングから戻って来た。
◇
休憩の最中、美園はプレゼントには気付かなかった。
その為、勉強会を再開した今も、僕はそわそわしている。いつ気が付くかなと、休憩前よりも高い頻度で、美園をちらちらと見る事を抑えられない。
いっそ言ってしまえ、と囁く自分もいる訳だが、そんな事をするくらいなら最初から直接渡している。直接渡せなかったからこっそり置いたのに、相手が気付いてくれないからそれを指摘する、というのは少しカッコ悪い気がする。つまらない意地だ。
「牧村先輩?」
またも目が合った美園が、再び「どうかしましたか?」と微笑みながら首を傾げる。
「綺麗だなと思って」
「ありがとうございます」
「さっきも聞きましたよ」と、美園はくすりと笑ったが、さっきとは綺麗の対象が違う。
出会った頃と比べて、美園は少し髪が伸びた。思い返せば6月に入ったくらいからではないだろうか。以前は僕が変化に気付かない程度の頻度で整えていたのだと思うが、今は少し伸ばしているようだ。
そのせいなのか、美園はたまにではあるが顔にかかる髪を耳にかけるような仕草をする。それが艶っぽくて、今も綺麗だと言葉が出てしまった。勘違いしてくれて助かったと思う。
「牧村先輩、今日はお疲れですか?」
「え? いや、そんな事は無いけど」
少し心配そうに尋ねてくれた美園に、僕は正直に答えた。勉強時間は増えたが最近はバイトも減らしているし――花火大会と引き換えに試験前の出勤可能日は増やしたが、気を遣ってくれたらしい――文実の活動も無いので、体調は悪くない。
むしろ美園との勉強会を体調不良で欠席という事が無いよう、体調管理にはかなり気を遣っているくらいだ。
「本当ですか? あまり手も進んでいないようですし、もし嫌じゃなければベッドで休んでください」
手が進んでいないのは全く別の要因によるものだが、非常に魅力的な提案だと思う。
「ほんとに大丈夫だよ。それに、頭ワックス付いてるし」
それだけではない。制汗剤で匂いは問題ないと思うが、夏の20時過ぎの自分が、
「そのくらい構いませんよ。体温計を持って来ますから、体温計ってくださいね。試験前ですから、体を大事にしないと」
心配してくれる美園に、非常に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。「プレゼント置いたんだけど、いつ気付いてくれるか気になって」と、情けない心中を告白するしかない、そう覚悟を決めた時だった。
「これ……」
立ち上がろうとした美園が手をついた場所は、置いてあった教科書の近く。その上に置かれた白い箱には青いリボンが巻かれており、何かと間違える余地はあまり無いだろう。
「牧村先輩、ですか?」
「……うん」
ゆっくりと白い化粧箱を手に取って尋ねた美園に、僕は少し視線を外しながら答えた。
「勉強会のお礼と言うか、ご飯のお礼と言うか、試験頑張ってと言うか……」
考えていた言葉はあったが、結局こんな風にしどろもどろな言葉になってしまい、自分のヘタレっぷりを再認識する。
「ありがとうございます。開けてみてもいいですか?」
静かな声にコクリと頷くと、美園は慣れた手つきで青いリボンを解いた。
ここに至って、早く中身を見て欲しい僕の心中とは裏腹に、美園は解いたリボンを丁寧に折りたたみ、テーブルの上にそっと置いた。しなやかに動く美しい指に、焦りを忘れて見惚れてしまう。
「素敵なペンですね。嬉しいです」
美園は化粧箱を開け、中で動いてしまわないように固定された台座から、まずは白いボールペンを取り出した。
嬉しそうに笑う彼女をじっと見つめると、またもや目が合った。
「だらしない顔をしてしまいそうなので、あんまり見ないでください」
照れ笑いの美園の頬が少しだけぴくりと動くのが見えて、その言葉と合わせてもう満足した。
「わかった」と笑って、美園の顔から少し視線を外したが、聞こえてくる「わぁ」や「可愛い」といった言葉に、僕の方がだらしない顔を晒してしまいそうだった。
「私の好きな色を選んでもらえて、とっても嬉しいです」
「喜んでもらえたならよかったよ」
美園のその言葉に視線を戻すと、満面の笑みで迎えられた。
彼女の右手には水色のシャープペンが持たれていた。
「今から使わせてもらいます。本当は大事にしまっておきたいくらいですけど」
少し眉尻を下げながらも、嬉しそうにペンを触る美園に、心が温かくなる。
「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、試験までは慣れたペン使った方がいいんじゃないか?」
僕の贈ったペンのせいで、彼女が成績を落としでもしたら耐えられない。仮にそうなったとして、美園は絶対に言わないだろうが、可能性すら考えたくない。
「いえ。持った感触もいいですし、何よりもうこのペンじゃなきゃ嫌です」
「ありがとう」
「ありがとうございます、はこちらのセリフですよ。こんな素敵な贈り物を頂いて、お返しのし甲斐がありますね」
気合を入れるような美園の表情に苦笑する。そう来ると思っていたからだ。
「お返しはいいよ。お礼なんだから、それにお返しされたら僕が困る」
「じゃあ私も牧村先輩にお礼をします。それなら構いませんよね」
むぅ、と拗ねていた美園は、いい事を思いついたと言わんばかりに笑ってそう言った。
「いやいや」
反論の為に口を開こうとした僕だったが、思い出したような美園の言葉に黙らざるを得なくなった。
「そう言えば牧村先輩。体調は大丈夫ですか?」
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