第37話 ぼっち先輩とあの日のクレープ

 美園を探しに来た二人が戻ってから20分程、僕は意図して彼らの話題には触れなかった。年下相手に大人げないが、癪だった。


『サネさんと話して二次会はマッキーさんの家を開けてもらう事に決まりました』


 そんな時、スマホが震えたので確認をしてみると志保からメッセージが届いていた。


『家主の許可は取ってあるのか?』


 開ける事自体は構わないが、その話は初耳だ。


『任せてください』


 何が任せてくださいだ、そう返信しようと思い入力を開始した時だった。


「あ、すみません電話です。もしもし、しーちゃん?」


 美園が僕に断って電話に応答した。お相手は志保のようだが、「うん、うん」と相槌を打つ美園が「え!」と大きな声を出したと思ったら、嬉しそうな様子で「うん、私も行く」と続けて、「それじゃあまた後でね」と締めて電話を切った。


「二次会は牧村先輩のお家なんですね。楽しみです」


 キラキラとした笑顔が僕に向けられた。


『家主の人の許可は取れましたか?』

『取れたよ』


 ウザい顔をしたウサギのスタンプに、そう返すしかなかった。



「去年の話とか聞きたいです」


 二次会会場の僕の部屋に集まったのは、僕を含めて8人。僕、サネ、ドク、隆の2年男子が4人。美園と志保を含めた1年女子が4人という構成だ。

 適当に始まった二次会もそれなりにいい時間になって来た頃、1年生から去年の話を聞きたいとの声が上がった。


「そうだなぁ」


 そう言ってサネが話し始めた内容を、2年生皆で補足していく。

 基本的には無難な思い出話だが、たまにここにいない奴の笑える失敗談などが混ざる。文化祭本番が近くなると、忙しさと疲労と睡眠不足により、言動に支障を来す者もそれなりに出て来る。流石に本格的にヤバいところまで支障が出る前に周りが焦って休ませる為、基本的には誰も笑えるレベルの失敗で済んでいるが。


「ここにいる人達には何かそういう面白いの無いんですか?」


 1年生から何気ない、他意の無い質問が飛んでくるが、僕以外の2年生は全員目を逸らした。サネはさり気なく、ドクと隆は割と露骨に目を逸らした。


「あるんですね?」


 それに目ざとく反応したのは志保だ。

 とは言え2年生は皆歯切れが悪い。お互いにお互いの秘密を握り合っているので、迂闊に他人の秘密を喋ると自分も道連れになるからだ。


「牧村先輩にもあるんですか?」


 隣に座る美園が興味津々と言った様子で尋ねてきたが、僕にはその辺の失敗談は無い。


「こいつらと違って僕には無いよ」

「そうなんですか」


 美園は残念そうでもあり、ほっとしたようでもあり、というような複雑な表情をしている。


「ほら、あんな事言ってますけど、あの人の恥ずかしい話とか無いんですか?」

「そうは言っても、マッキーの失敗は知らないかな」

「そうだねえ」


 面白がる志保に反して、隆とドクの反応は鈍い。実際に無いのだから仕方の無い話ではある。


「じゃあ一番疲れてる当日なんかも何も無かったんですか? ほんとに?」

「なんでそんなに必死なんだよ。当日はシフト入ってない時も割とずっと見回りしてたから、余計に恥ずかしい話なんて無いぞ」


 そう言って志保を見ると、何故か微妙に生暖かい視線を向けられているのに気付いた。他の1年生二人も同様、違うのは美園だけ。


「やめろ。この人友達いないんだ、みたいな目で見るのはやめろ」


 その頃にはちゃんと友達はいたんだ。単に時間が合わなかっただけだ。

 恥ずかしい失敗をしていなかったはずの僕が、何故か今一番恥ずかしい思いをしている。


「そうだよ。牧村先輩は責任感が強いから見回りしてくれていたんだよ」

「美園……」


 優しい後輩の言葉が身に染みる。「ありがとう」と声を掛けると、美園は照れたように笑った。


「そういや、1ステのテントに差し入れくれたっけな」


 サネが「思い出した」と言って話した内容は僕もよく覚えている。ナイスフォローだ。


「あれ最終日だったよな?」

「そうだよ」


 あの子を理学部B棟の屋上に連れて行く時に、模擬店で買った物を荷物になると思ってサネに押し付けた時の事だ。


「マキが不味そうにクレープ食ってたのが印象的で覚えてるわ。丁度1ステみんな腹減ってたから助かったんだよ」

「牧村先輩。あのクレープを食べたんですね」


 横の美園が、誰かに聞かせる訳でも無いような小さな声で呟いた。僕が甘さ控えめを好む事を彼女は知っている。そんな僕が生クリームの塊であるクレープを食べていた、というのは意外だったのかもしれない。


「まあね。色々事情があってさ」


 流石にあの子の食べかけを差し入れる訳にもいかず、かと言って出店者がせっかく作った物を捨てるのもためらわれたので、結局僕が食べた。ドギツイ甘さだった事を覚えている。好みで無い食べ物を女の子の食べかけだから食べた、と思われるのは嫌なのでこれは言わないでおくが。

 誤魔化しつつ美園を見ると、彼女は顔を真っ赤にして俯いていた。


「大丈夫か?」


 返事は無い。美園は俯いたまま赤い顔でぽーっとしている。彼女が間違っても酒を飲まないよう、僕も志保もコップは美園から離して置いておいたので、この状況は酔ったからではないと思う。


「美園、大丈夫?」


 反対側の横に座る志保も、様子がおかしいと思ったのか美園の肩を揺すった。


「きゃっ」

「あ、ごめん」


 面白いくらいにびくんと震えた美園が声を上げると、当然ながら室内の注目は彼女に集まる。


「あ。あの。何でもないです。すみません、ちょっとぼーっとしちゃって」

「大丈夫か? 顔赤いけど風邪とか引いてないか?」


 赤い顔のまま、焦ったように首を振る美園を、他の皆も心配そうに見ている。


「いえ、本当に大丈夫です。ちょっとのぼせちゃったみたいなので、風に当たって来ます」


 早口でそう言うと、美園はベランダに出て行ってしまった。一瞬だけ開いた窓からは、室内よりは少しだけ涼しい風が入って来た。


「大丈夫か?」

「だと思いますよ。風邪引いてたら気を遣って来ないでしょうし、少し放っておいてあげてください」

「確かにそうか」


 誰かにうつす可能性があればあの子は来ないだろう。少し心配だが、志保は何やら察しているようなので、彼女の言葉に従う事にした。



 美園は数分で元通りになって戻って来た。「ご心配をおかけしてすみませんでした」と言った彼女は、完全に普段通りで安心した。

 とは言えその時点で23時を回っており、事前の買い出し分もほぼ尽きて来たので、それから間もなくして解散の運びとなった。


「体調は大丈夫?」

「はい、問題ありませんよ」


 いつも通り美園を送る道の途中、志保の言葉に納得はしていたが、万が一があっては嫌なので念の為尋ねてみると、美園は明るく答えた。


「来週はお勉強会もありますし、体調管理はバッチリです」

「それなら良かったよ」


 美園は胸元で小さなガッツポーズを取って見せた。そんな彼女に安心しつつ、自然と頬が綻んだ。


「時間は18時でいいんだよな」

「はい。お夕食作りますので、食べてから始めましょう」

「くれぐれも普通ので頼むよ」

「数学を見てもらうかもしれませんし、お礼の先渡しという事で」

「あんまり豪華な物作ってもらうと、行きづらくなるから程々で」

「それは困りますね」


 美園は全く困っていなさそうに笑うが、僕としては割と真面目な問題だ。週一で一緒に勉強会が出来て、なおかつ手料理までご馳走になれるという望外の機会なので、彼女の負担になって勉強会が無くなったり、勉強時間を削ってしまう方が困る。


「そんな顔しなくても大丈夫ですよ。ちゃんと普通のお料理でお迎えしますから」


 表情を読まれたのか、美園は苦笑しながら僕を見て、「信用無いんですね」と拗ねて見せた。

「信用してるからこそだよ」と言って笑い返すと、美園は「何ですかそれ」と微笑んだ。

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