第9話 シャッター音

 数メートル先には片手にスマホを持ち、身体を小さくしている小町先輩の姿と、お構いなしに笑顔で話しかけている二人の男性が見えた。

 距離が近づくと小町先輩の困っている表情が鮮明に見え始め、【助けて】という文字が頬に書かれている事に気付く。

 それは小町先輩が今、助けを欲しているという事だ。

 俺はそのまま無我夢中でその間に割り込んでいった。


「すすす、すみません! 彼女は俺の連れなんです! ですからっ! 申し訳ないですけどっ!!」


 小町先輩の前に躍り出ると二人の男性に視線を向ける。


「何? 君だれ? 見てわかんないの? 今俺達、話してる最中なんだけど」


 二人組の内、短髪の男が敵対心むき出しで俺を睨みつけてきた。

 どう見ても俺よりも年上で、見た感じで判断するなら大学生だろう。

 洋服もバッチリと決まっており、いかにも遊んでいそうな雰囲気が溢れ出ている。

 髪型も流行を取り入れている感じで、男としての魅力で言えば圧倒的に彼等の方が上だ。


 男性が睨み付けてきた理由は大体わかる。

 ナンパを邪魔されて苛立っているのだ。


「でっですから、彼女は今日、おっ俺と此処に来ているので…… 声を掛けるなら別の女性にして下さい」


 俺の言葉を受けて、短髪の男は睨み付けていた目を更に細めた。

 俺は今日までこんな修羅場を経験した事は無いので、正直に言えば怖い。

 しかし小町先輩を助けたいという想いから、恐怖を無理やり抑え込み声を振り絞った。


「ほら、だから言っただろ? こんな可愛い子が一人の訳がないって! お兄ちゃん悪かったな。俺達はこれで帰るけど、君もこんな可愛い子を一人だけにしていたら、同じ事が起きるから気を付けた方がいいよ」


 暴力沙汰になったりしたら不味いと考えていたが、幸いな事にもう一人の男性が優しくそう言ってくれた。


「えっ? あっはい! ありがとうございます」


「ほら俺達も行くぞ。周りの人も見ているだろ! 恥ずかしい事はするなよ」


「チッ、わかったよ」


 俺に啖呵を切って来た男性も仕方がないと言った様子で、何事もなくそのまま去ってくれた。


「何も無くて、本当によかった……」


 気付かない内に心の声が漏れていた。

 今日まで荒事に巻き込まれた事もない小心者の俺にとって、今回の騒動は、なけなしの勇気を全て使い切ってしまう程の大事件である。


 そして安心した瞬間、俺の身体は膝から震えだしていた。


「あわわ、どうなっているんだ? 足の震えが止まらない」


 必死に両手で膝を押えて、震えを止めようとしても止まらない。

 さっきまでは何ともなかったのに今は身体中が震えだしていた。


(小町先輩の前でこんな情けない姿を見せるなんて!!)


 俺は自分の情けない姿を小町先輩に見られて恥ずかしいと思ってしまった。

 そして小町先輩の方へ身体を向ける事が出来なくなってしまう。


 しかしその瞬間、背中から温かい熱を感じた。


「米倉君…… 守ってくれてありがとう」


 なんと小町先輩が後ろから震える俺に寄り掛かってきたのだ。

 

「えっ!? 先輩?」


「私も怖かった……」


 そう言うと背中に押し当てた小町先輩の手も少し震えていた。

 小町先輩も俺と同じで怖かったのだ。

 その時、俺は自分の事だけしか考えていなかった事に気付いた。

 一番怖かったのは当事者である小町先輩なのに……

 それがわかった瞬間、俺は不思議と落ち着きを取り戻し、少しづつ身体の震えが収まっていくのを感じる。


 そして数秒後には、震えは完全に収まっていた。


 震えが収まり、俺はようやく普段の自分を取り戻す事ができた。

 しかしそれと同時に複雑な気持ちにも襲われていた。


 一つ目は小町先輩を助けられて良かったという気持ち。

 二つ目は男として、小町先輩の前で震えて情けない姿を晒した恥ずかしい気持ち。

 最後に自分の事しか考えず、小町先輩の気持ちに気付けなかった腹立たしい気持ちだ。


 やはり俺は駄目な男だと思った。

 結果、俺のテンションは下がり、自己嫌悪に陥ってしまう。


 それからすぐに目の前の席が空いたので、俺達は休憩を兼ねて席に座る事にした。


 小町先輩はもうさっきの事は何も無かった様に振舞ってくれている。

 しかし俺の方はまだ引きずっており、落ち込んでいた。


 小町先輩は鼻歌まじりで、商品が入っている箱を開け始める。


「うぁー、近くで見ると本当に可愛い~ 写真とっとこ」


 そう言いながらパンダとワニを並べて何枚か写真を撮り始める。


「可愛すぎて、めちゃくちゃ映える。後でアップしてもいいよね。パンダくん、お前を今から喰ってやるぞ。ウォォォォォォォ」


 小町先輩は寸劇を始めたりして、何枚も写真を撮りながら楽しんでいた。


 一方、落ち込んだ俺は遠くを見つめて反省をしていた。

 テーブルの上に肘をついて手の上に顎をのせている。

 さっきの事を思い返して、どうしてもっと上手く立ち回り出来なかったのだろうと何度も悔やんだ。


 隣からは何度もシャッター音がリズムよく聴こえてくる。

 だけど俺は自己嫌悪に陥っていたので、自分の世界に入り込んでいた。


 カシャ

 カシャ

 カシャ


 そして少し間があいてから至近距離からシャッターを切る大きな音が聞こえた。


「えっ!?」


 その瞬間、俺の意識は呼び戻された。

 そしてシャッター音の方へとゆっくりと振り返ってみると、耳を真っ赤に紅潮させ、下を向いている小町先輩の姿がある。


「今、何かしたんですか!?」


「何もしてないよ。ほんと」


「でも、さっき俺の近くでシャッター音が聴こえましたよ」


「気のせいだって」


「本当ですか?」


「本当、本当だって」


「嘘ついてませんか? だって耳が真っ赤になってますよ」


「もう、勝手に見ないで!!」


 必死に否定する小町先輩は全然顔を上げてくれない。


 その後、しばらくしてから小町先輩はゆっくりと顔をあげた。

 その時には紅潮していた耳も元に戻っており、いつもの元気な小町先輩だ。


「米倉君、そろそろ食べよっか」


「そうですね。食べましょう」


 いつまでも自己嫌悪に陥っているのは駄目だと考え直して、気分を変えてシュークリームを食べる事にした。

 お互いが買った商品を半分に割り交換する。


 俺は最初にパンダのシュークリームを食べてみる事にした。

 

 シュークリームを頬ばると、最初に表面の生地はかさっとしているが、内面は柔らかなシュー皮の食感を感じた。

 そのままかじると溢れんばかりのカスタードクリームがとろりとあふれでてくる。

 たまご色のカスタードクリームはなめらかで甘味が強くトロトロだった。

 どこか懐かしさのある昔ながらのカスタードクリームがとても美味しく、間違いなく当りの一品だ。


「美味しいですね」


「うん、美味しい。私これなら何個でもイケちゃうかも」


 次にワニのエクレアを食べようと手に持つ。

 小さい割にはずっしり重く、断面を見てみるとシューとクリームの間にすき間がないほどみっちりとカスタードが入っていた。

 シュー自体の固さも最適で歯ごたえも良く、表面にトッピングされているチョコレートが良いアクセントを作ってくれている。

  

 当然、ワニも当りである。


 俺達がシュークリームを食べ終わる頃には、二人ともいつもの調子に戻っていた。


 何かの本に書かれていたが、美味しい物には不思議な力があり、沈んだ気持ちを前向きに変えてくれるらしい。

 その言葉が間違いないと俺は実感していた。

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