清洲城信長 鬼ころし ⑤
チーン
「いらっしゃいませ」
今日は雨がしとしと降っている。
梅雨入りも発表されたし、徒歩や自転車でくるお客さんも多いこの店だから、客足も遠のくだろうと思っていたが朝一から来店。
びちゃびちゃに濡れたあのおじいさんが店に入ってきた。
「いつもの酒頼むな」
体が濡れているのも気にせず、酒を要求してくる。
おじいさんの要求に僕はその場で固まってしまう。
僕はどうしたらいいのだろうか?
このおじいさんの娘さんが頼んでくるように、「売れません」と言ったほうがいいのか…
おじいさんに何も言わずに売ってあげたほうがいいのか…
二つを天秤にかける。
出来ることなら、僕が楽な後者を選んで逃げてしまいたい。
でも、天音が言っていたようなことになったとしたら…
逃げに傾きかけた気持ちを一気に引き戻す。
「すみません。お売りできません」
前者を選ぶことにしたのだ。天音の話を聞いておいて、何もしないのは違うような気がしたから。
「あー、なんだって?」
「お売りできません」
力強くおじいさんに向けて言い放つ。
「何で売れんのや!」
早速おじいさんが怒り始めたが、ぐっと歯を食いしばる。
「頼まれたからです」
「誰にだ!」
「娘さんが売らないようにって頼んで来たんです。ご家族がおじいさんを心配しているんです。どうか分かってもらえませんか?」
先ほどまで怒りがこみ上げていたのに、僕が娘と言うと一気に怒りが無くなって、弱々しくなっていく。
「そんなにワシが気に入らんのか」
力なく吐き捨てるように言葉を告げる。
「老い先短い老人の楽しみを…なんで取り上げようとするんじゃ… 嫁に先立たれたワシの唯一の楽しみなのに…」
「飲みたいなら、娘さんが買ってきてくれますよ」
「そうじゃないんだ。こうやって酒屋に来て、酒を買ってそれを飲むのが楽しいんじゃ。
その楽しみを奪わんでくれんか…」
言葉という鎧が無くなったおじいさんの背中はものすごく小さく見える。
そんなおじいさんを僕は突き放せない。
「分かりました…」
これ以上断ることは僕にはできない。
躊躇いつつも、鬼ころしが並ぶ棚へと歩を進める。
このまま売ってしまうのか…
でも、僕はこれ以上…
鬼ころしに手を伸ばしかけたその時———
チーン
誰かが店に入ってきた。
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