ギネスビール ③
一度考える時間が欲しいと言って、ワンカップお兄さんには帰ってもらった。
名前は聞いたけど、今更呼び名を変えるのもなんか変な感じがするし、心の中ではワンカップお兄さんで通すつもり。
ワンカップお兄さんは正直苦手だけど、百合さんが絡んでいるなら拒めるわけがない。
だから、とりあえず天音に相談してみることにしたのだ。
機嫌を損ねないように、丁寧な感じで話しかける。
「あの~、天音さんちょっといいですか?」
「あ、なんだ?」
夕飯を食べ終えて、テレビに張り付いている彼女は、面倒くさそうに顔をこちらに向ける。
「ちょっと、聞きたいことがあるんですが……」
「はぁ」
僕が切り出すと、あからさまに面倒だと言った顔でため息をついてくる。
「なぁ、大輔。分かっていると思うが、ここは酒屋だ。お悩み相談所じゃない」
「うっ……」
僕の様子から言いたいことなどお見通しなようだ。
「人助けが悪いって言っているわけじゃない。でもな、自分に余裕がないような奴がそんなことするべきじゃないと私は思う」
彼女の言うことは正しい。正しいのだが……
「お願いします。前によく店に来てくれたお兄さんなんです。最近は店に来てくれなかったけど、問題が解決すればまた来てくれるようになる気がするんです。お客さんに酒を勧めると思って協力してもらえませんか?」
「はぁーーー」
先ほどとは比べ物にならないほど大きなため息をつくと、何があったか聞いてくれて、聞き終わると「分かった」と言って店の方へ行った。
程なくして戻ってきた天音は、買い物かごに何かを入れて戻ってきた。
座ると、机の上にかごから取り出した瓶と缶を置く。
どちらも、真っ黒でアルファベットで『Guinness』と書かれている。
瓶も缶も見た目は真っ黒なところを除けば、普通のビールと変わらないが今からどんな話が聞けるんだろうか。期待がこみ上げてきた。
「大輔、これが何か知っているか?」
「ビールですよね?」
「ああ、そうだ。これは『ギネスビール』って呼ばれる商品だ」
ギネスビール? あんまり聞きなじみのない名前だ。
キリンとかアサヒとかサッポロなら流石に知っているが、日本にギネスなんてあったっけ?
テレビのCMとかでも聞いたことが無い気がするし……
「日本のビールですか?」
「違う。アイルランドで作られている黒ビールだよ」
「普通のビールと何が違うんです?」
「黒ビールは黒っぽいビールの総称みたいなところがあるから、厳密には言いにくいけど、決まりとして『乾燥させる時に強く熱してつくった濃色の麦芽を原料の一部に使うこと』ってのがある。そのおかげで、香ばしい香りと、ふくよかな味わい、スッキリした後口があるんだ」
「なるほど」
昔、黒ビールが好きだと話していた母に、父があんまりと返していたので、その辺の特徴が好みを分けているのだろう。
「ああ、そうだ。大輔、これ持ってみろよ」
そう言いながら、持ってきた缶を渡してくる。
試しにもってみると、あれ? と違和感を覚える。
その違和感の正体を探るために、軽く動かしてみると中で何かが動いている感じがする。それに、カラカラと小さな音もしているのだ。
「天音さん! なんか入っています! 異物混入かも!」
何故だか、やばいものな気がして焦って報告すると、天音はケタケタと笑い出した。
「大丈夫、大丈夫だから落ち着け。あ~腹痛いわ~」
楽しそうにケタケタと笑い続けている。
「じゃあ、この音なんです?」
「ああ、それがギネスビールの独自の『フローティング・ウィジェット』だよ」
「何なんです?」
「丸い球体が入っているんだよ。それも、小さな穴の開いた中空の球がな」
「何のために?」
「球のおかげで、開けるだけで自然と繊細な泡がたつようになっているんだよ。詳しい仕組みが知りたいなら後は自分で調べろよ」
「はい」
「あの~それで……」
ギネスビールの特徴みたいなところは分かった。
中に入っている球はすごいと思う。
でも、肝心の『自信』については何も触れていないのだ。
「分かっているから、焦るなよ」
「すみません」
「このビールはな、出荷する前に官能試験ってのが行われているんだ。その試験で意図した味じゃなかったら、工場から出さないってのを徹底してるんだそうだ。そのおかげで『世界一の業』って呼ばれることもあるみたいだぞ」
「すごいですね」
「他にも、醸造者のトレーニングを徹底して、世界各地の醸造所の訪問も欠かさずやってるそうだ。だから、自信を持って販売できている」
「はぁ」
「『自信』なんて抽象的な物はどうやっても見ることは出来ない。でも、このギネスビールみたいに出来ることを全部やってやりつくしていけば、後から自信ってものが付いてくるんだと私は思うよ」
「天音さんは『自信』があるんですか?」
「ある。今やっている配達の半分くらいは私が勝ち取ったもんだ。親父が開拓できなかった客を私が新しく見つけたんだ。こつこつと売り込みをかけて、客の好みを聞いて必死に考えて、よさそうな酒が入ったら電話してってのを繰り返していたら、沢山の客が付いてきてくれた。
だから、私は私の仕事に自信を持っている。だからさ、相談に来た奴に行っておけ。
『自信なんてもんは、やるだけやって後からついてくるもんだ! ひたすら前に突き進め! うじうじ悩んでいる暇があったら、頑張れるだけ頑張れ』ってな」
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