第58話 不破と灰谷は地底洞窟で雌雄を決する④

 彩藍に一矢を報いたハイドラは、表情を読み取り辛い未確認生物の顔面を大きく歪ませた。

 状況から判断するに、恐らくは嗤っているのだろう。


「ハッ!

 ちょびっとばっかり僕に傷を入れたから云うて、そないに勝ち誇られたら逆に引くわ。

 ホンマにキミはドタマの悪い子なんやねぇ、人から怪物の頭になって……余計とアホさ加減が増したんちゃうか?

 こんなん見た目が派手なだけの切り傷で、痛くも痒くもあらへんで。

 僕の背広スーツを破かれたんは、かなり痛いんやけどなぁ」


 相変わらずの不真面目な反応リアクションで、対峙するハイドラを挑発し続ける彩藍。

 その彩藍を横目に見ながらハイドラは、更なる損傷を蓄積させるために両掌の十指を振り回す。

 輻輳ふくそう錯綜さくそうする甲高い風切り音が彩藍の耳に纏わりつき、隙を見つけては彩藍の躰を撫でるように切り裂いて行く。


「グゥバァッファッファッ!

 灰谷彩藍よ、その口では何とでも云えようが、我の攻撃を防ぎ切れてはおらぬようだな?

 その身を細切れミンチに切り刻んでくれるわ、覚悟しやれ!」


 異形の口から発せられるは、勝ち誇った嘲笑の言葉。

 その声を聞きながらも彩藍は、何故か相手を馬鹿にしたような顔のままで、その所作からは余裕のある雰囲気を漂わせている。


「せやからチマチマとした攻撃なんか、僕にはまるで効いとらへんって言うとるやん。

 ハイドラちゃん、次は僕の番で構わんやんなっ!?」


 ただ立ち尽くすだけだった彩藍の躰が、ユラリと右側に倒れるように揺れた。

 その刹那、鋭い踏み込みと共に彩藍がハイドラとの距離を詰める。

 右手の黒烏丸を左下から斬り上げた彩藍は、ハイドラの右触手の五本を掬うように斬り捨てる。

 そして左手の小烏丸を、触手を失いガラ空きとなった右半身に向けて突き入れる。

 小烏丸の切先がハイドラの右肩の付け根を抉り、退魔の力でハイドラの身を灼いた。


「ゴッバァァァァァァッ!!」


 ハイドラは痛みに叫びながらも、残された左掌から五指の触手を彩藍に対して振り下ろす。

 そして瞬時に再生された右掌の触手を、彩藍の左肩へと突くように伸ばした。


「ヘッ!

 見え見えの単純な動きやなぁっ!

 そないなモンが僕に届くと思うんかいなっ!?」


 鼻で笑う彩藍は左からの振り下ろしを、引き抜いた小烏丸で弾き飛ばし、右からの突き込みを黒烏丸を用いて受け止めた。

 その時、攻撃を防がれた筈のハイドラが確かにニヤリと片方の口を歪めて嗤う。

 黒烏丸に受け止められたハイドラの右触手が、グニャリと形を失い黒烏丸の刀身を包み込む。

 彩藍は固着された黒烏丸を引き抜こうとするが、ガッチリと包み込まれた黒烏丸はピクリとも動かない。

 次の瞬間、ハイドラの赤い眼窩が殺意の光にギラリと光ったかのように見えた。

 その眼の光に連動するように、ハイドラの右腕が仄かに青白く発光した。


「うおぉぉぉぉぉぉっ…………」


 何かをされた訳でもなさそうな彩藍の躰が、小刻みに痙攣し……その痙攣に引きずられるように彩藍は苦痛の叫びを上げる。

 彩藍の躰からはブスブスと白煙が立ち昇り、彩藍の嗅覚に自身の肉が焦げる臭いが届いた。


「で……電撃とか……使うんかいや…………。

 これ……は………堪ら……んな…………」


 その場でガクリと片膝を付く彩藍に、左掌の触手も再生し終わったハイドラが告げる。


「灰谷彩藍、神を神とも思わぬお主の所業に、天罰のいかづちが墜ちたのだ。

 神の怒りに灼き尽くされて、永劫に明けぬ闇の中へ堕とされるが良いわっ!」


 力が抜けたようにひざまずく彩藍に、ハイドラは再生したばかりの左手触手を一本に纏め、スルリと彩藍の首へと巻きつけて持ち上げて締め上げる。


「グッ……グゥゥゥ…………」


 呼吸もままならぬ彩藍は、獣のような呻き声を出してハイドラの成すがままの体勢となった。

 未だに先刻喰らわされた、電撃の後遺症から立ち直れてはいない模様だ。

 ニヤァと邪悪な笑みを深くしたハイドラの左腕が、先程の右腕とは違い赤く輝く。


「アアアアァァァァァッ…………」


 首を締めつけられたままの彩藍の口から、声にならぬ苦悶の音が漏れ出す。

 締められたままの首筋から、細く棚引くような黒煙が上がり、彩藍は苦しみから逃れるように力なく両脚をバタつかせる。

 ハイドラの左手から高温が発せられ、もがく彩藍の首筋を焼いているようだ。


「瞬時に首を焼き切られるかと思ったが……その身に冷却の術を仕掛けて耐え忍ぶか…………。

 愚かな、即死すれば苦しみが長引くこともあるまいに」


 ハイドラの言う通り彩藍の躰には、自身を冷却するような青白い霜が付着し……熱せられた首筋からは白い水蒸気が上がっている。

 苦しみもがく彩藍の抵抗は、頸部の圧迫により弱々しいものとなって来た。

 意識を半ば失いながら、彩藍は左手を上げて小烏丸を差し上げた。

 その時、突如として小烏丸の刀身が白く輝き始めた。

 眩いばかりの小烏丸の輝きは、時間の経過と共に激しさを増して行く。

 そして、光の塊が彩藍とハイドラの両者の全身を包み込み光の奔流となり、音のない爆発のように膨張し………拡散した。



___________________________________



 意識朦朧としていた彩藍は、小烏丸の爆発する光を見ていなかった。

 ただ自分の喉を圧迫していたハイドラの触手が、その拘束を解いたことに気付いて不審そうに眼を開く。


「ど………どない……したんや……これは…………」


 気道と共に声帯も圧迫されていた彩藍の、途切れ途切れの声に応える者は誰も居ない。

 そして彩藍の眼前には、頭部の半分以上……上顎から上部を吹き飛ばされ、ビクンビクンと痙攣しながらペタリと座り込むハイドラの姿だけがあった。


「うん…………?

 小烏丸が……光っとる…………?」


 彩藍の左手に握り込まれた小烏丸は、爆発的な発光を引き起こした後も……その掌中で白く輝いていた。


「僕は……お前に……助けられたんか…………」


 ぼんやりとしたまま呟く彩藍に、小烏丸は明滅する光で応えているようだった。

 よろめきながらも立ち上がった彩藍は、何かに引き摺られるようにハイドラの前に進み出た。

 彩藍の意識外でその左手が持ち上がり、頭部を再生も出来ず座り込んだままのハイドラに、小烏丸の切先を突き入れる。

 頭部を失い声も出せないハイドラを、彩藍の左手は機械仕掛けのようなぎこちない動きで何度も突き刺す。

 刺される度に躰を硬直させ、その場から逃れようとするハイドラに対して、彩藍の左手は追撃の突きを何度も繰り出す。


「お前………僕を……無理矢理に動かしてでも………ハイドラに止めを刺せって言うとるんか…………?」


 彩藍の言葉に応えるでもなく、小烏丸は身動きが取れなくなったハイドラの胸を腹を……その頸部を何度も何度も刺し続ける。


「あぁ……お前はこの陽ノ本に、害を成すハイドラを許されへんのやな。

 せやから……僕の躰を操ってでも、コイツを刺しとるんか…………」


 感慨深げに呟く彩藍の落ち着いた口調とは裏腹に、ハイドラの肉体は度重なり貫かれる退魔の刀の前に瀕死の状態となったようだ。


「小烏丸……使い手が弱くてゴメンやで…………。

 こんだけ刺したったら………ハイドラも……もう終わりやろ…………」


 彩藍の言葉と連動するように、自動機甲オート・マタの如く執拗な攻撃を続けていた小烏丸と彩藍の左手は、その動きをピタリと止めた。

 その直後、彩藍の背から地響きを伴う轟音が聞こえて来る。

 物憂げな表情の彩藍がうっそりと振り返ると、そこには血塗れの童士が天星棍で這い寄る混沌ナイアルラトホテップを両断した瞬間が眼に入った。


「童士君も……やりよったなぁ…………」


 ほぅっと一息吐いて呟いた彩藍、その後に起こった一連の這い寄る混沌ナイアルラトホテップが起こした執念の攻撃も、彩藍は動けぬ躰でただ見守るしか出来ない。


「童士君っ!

 華乃ちゃんっ!」


 叫ぶ彩藍だが行動は起こせず、もし自分の躰が動いたとしても……華乃の上へと迫り来る巨大な岩石から、華乃を救い出すことは叶わなかっただろう。


「ア……アカン…………」


 彩藍が絶望の声を漏らした瞬間、彩藍の視界の端を白い影が走り抜けたような気がした。


「え…………?」


 果たして彩藍の横を駆け抜けて、華乃に向かって疾った影は……先程まで彩藍の攻撃で虫の息だったハイドラの姿であった。

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