第102話 間者の思惑
閉め切られたカーテンの奥で、夜雨がバチバチと窓を叩いている。
ここはとある城の大広間だった。
普通なら色とりどりに着飾った娘と騎士たちが料理を片手に談笑するような場所である。
しかし今は廃墟のような静けさが支配していた。
天井から下がっている栄華を極めた巨大なシャンデリアには、蝋燭が1本も立っておらず、周りに佇む豪華な調度品すら、皮肉のように感じられる。
そんな真っ暗な大広間に、ひとりの男が石壁に背を預けて立っていた。
腰には愛用のS級短剣「ルルデミンの一等」が自慢げにぶら下がっている。
ドワーフの鍛冶師ルルデミンによる製作武器で、軽量化の魔法がかかっている。
この男の名をゾッカーという。
今、彼の右手には小さな紫色の石が握られていた。
(長かった任務もこれで)
任務の始まりは二十日ほど前。
【姿隠し(ハイド)】を継続できる自分に任された任務は、敵軍の内情の把握だった。
城内がこれほどに寒いとは予想外だったが、見回りは手薄で居心地は悪くなかった。
ゾッカーはこれで、一生遊んで暮らせるだけの金を手に入れる。
妻子はいないが、この後は獣人奴隷と欲にまみれた日々を過ごそうと決めていた。
とある幼女の顔が浮かんでくる。
奴隷商人のところでひとめ見た時から、喉から手が出るほどにその幼女が欲しかった。
自分でもどうかしてると思うのだが、あんな幼女に恋をしてしまったのかもしれない。
(あとはあいつとのんきに暮らすだけだべ)
ゾッカーは喜色に満ちた笑みを浮かべ、室内をぐるりと見渡す。
大広間の隅には馬鹿が作ったとしか思えない金の牢があった。
さっきまでその中にオークロードのような、巨体のプレイヤーが座っていたのを思い出す。
巨体は数日前、全く意図せずこの城に出現してしまったようだった。
初見だったので、味方ではない。
それにしても、実に間抜けで弱い男だった。
さっさとリコールするかと思いきや、リフィテルが気に入ったのか、随分と牢の中で過ごしていた。
最後はリフィテルと痴話喧嘩らしきことをして消えたようだった。
ゾッカーはそういう男と女のジトジトしたところが、うざったくて嫌いだった。
ぎゃーぎゃー喚いていた最後の方では、聞く価値がないと判断して自ら広間から出てしまったくらいだ。
(でもな……)
昨日聞いた話で、皇女も山賊に襲撃を受けたというような話をしていた。
さっきの話ではアルマデルという奴にその時、助けられたという。
新王の乗っていた馬車が山賊に襲撃され、ギルド『北斗』の連中に救出された話は有名だ。さっきの話からすると、リフィテル第二皇女も乗っていたのだろうか。少なくとも、皇子を救出した『北斗』の連中にアルマデルなんていう名前はなかった気がしたが。
(……まあいいべ)
掘り返すには、随分古い話である。
ゾッカーは【索敵】に引っかかる者がいないことを確認し、広間の隅でカーテンに包まるように隠れると、手のひらにある石を使用した。
会話する時は、どうしても姿が現れてしまうのでこういった配慮が必要だ。
石が紫色に淡く発光し始める。
「ゾッカーだけんど」
そのまま、無言で返答を待つ。
外と変わらない冷たい春の夜気が頬にささっている。
「……待っていましたよ」
しばらくして、落ち着いたトーンの男の声が返ってきた。
「報告いいべか」
一国の王相手に慣れ慣れしい言葉遣いだが、相手も気にしていない。
ゾッカーにとっては、ただのプレイヤーの一人だった。
「なにか変化はありましたか」
「明日の降伏は間違いねぇべ」
ほっと安堵の溜息が聞こえるようだった。
「そうですか。安心しました。内部に不審な様子はありませんか」
ゾッカーが少し、間を空けた。
「……あんたの耳にいれるべきかわからんが」
「ふむ。どうしましたか」
「オークロードみてぇな巨体のプレイヤーが数日前に城に迷い込んで来てな、牢に囚われとった」
「オークロード? しかも迷い込んだと言いましたか?」
「んだ」
「……名はなんというのですか」
「カジカ」
「ふむ。聞いたことのない名ですね……。あなたの言い方だと、その者はもういないということですか」
「んだ。昨晩、おらの目の前で
「ふむ」
司馬は無言になった。
いつものように見たことのない鳥の羽根で作られた扇を扇いでいるか、顎髭をしごいているかどちらかだろう。
「あなたをそこに入れるのにあんなに苦労したのに、その男はどうやって城に……。飛行騎乗動物は『北斗』の連中しか持っていないはずですが」
ギルド『北斗』は同じプレイヤーながらも、一貫して中立を保ち、戦争には参加しない旨を表明している。
ちなみに、ギルド『北斗』は今や2000人とも言われる、現存する最大のギルドである。
司馬と言えども無視できぬ存在と化しているのだ。
「
「……そんな方法が? ふむ……試していなかったので、ないわけではない気がしますが……」
司馬がしばらく無言になると、また口を開いた。
「それで、リフィテルたちはその侵入者を殺さなかったのですか?」
「奴らも飢えてたべ? 命助ける代わりに巨体の持っとった食糧と水をもらったんだべ。あんた、『異空間の滝』知っとるか? おらは初見だったが」
あんたと呼ばれた王は、気にせず応じた。
「知りませんが、何ですか」
「やっぱ知らんべな」
ゾッカーは見たままに、そのアイテムの詳細を説明する。
「ふむ……もしかしたら古参のプレイヤーかもしれませんね。少し、嫌な予感がします」
司馬がまた黙り込み、ゾッカーも一緒に首を捻った。
考えてみると、そうだ。
(んだ、そういや……)
あの時もそうだった。
ゾッカーが会話を聞こうと近づきすぎて、迂闊にも蝋燭を消してしまった時。
リフィテルの方は一つも気づかず、俺の目の前まで来て火を灯していったが、牢の中から見ていたあの男とは、はっきりと目が合った。
ぶれずにまっすぐこちらを捉える視線に戦慄し、【姿隠し(ハイド)】が解けていたかと慌てた。
それがただの偶然だったことに気づくと、今度はあんな奴に怯えた自分が阿呆に思えた。
蝋燭の火など、昨日のように無関係に消えることもあるのだ。
火が消えたくらいで、人が隠れているなどとは、普通は思いもよらない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます