第30話 詩織の想い
「大丈夫よ。あたし実は四本腕の【剪断の手】と友達なの。連絡しておいたから彼がきっと助けに来てくれるよ」
詩織はみんなに聞こえるように明るい声で言った。
プレイヤー同士ではアイテム「以心伝心の石」を使って囁きを入れることができる。
彼女が言った『連絡』とは、それだろう。
「え!? 僕その人知ってるよ! アルカナボスを一人で倒した人でしょ!? 詩織姉ちゃん、本当に友達なの?」
10歳ぐらいに見える男の子が大きな声で反応する。
「そうなの。彼なら、どんな化け物でも一発よ」
詩織はその少年の頭をなでながら言った。
もちろん俺にそんな連絡など来ていない。
「かの英雄か。ワシも噂には聞いているが、実在だったのかね」
老いて生え際が後退した店主も話に参加してくる。
「ええ。よく一緒に狩りをしていましたから」
詩織は大きく頷いた。
「でも詩織姉ちゃんって、どうしてその人と知り合いなの? ……もしかして恋人同士?」
腕を組みながら、男の子がませた様子で詩織に訊ねた。
「ぶっ」
「ぶっ」
詩織と同時につい俺も吹き出してしまい、俺はゴホンゴホンと、とっさに咳き込んだ人に変化した。
ここで赤の他人のはずの俺が笑ったとしたら、かなり感じが悪い。
「……うーん、そうだったら良かったんだけどね」
意味深だった。
花のような詩織に言われると勘違いしたくなる。
「なんだ、お姉ちゃんの片想いか……」
「あ、こらー」
詩織に追いかけられ、逃げ回る男の子を見て、皆も笑った。
片思いなんて言葉、よく知ってるな。
そんなふうに空気がこのひと時だけ、和んだように見えた時のこと。
「……ねえ、こんな湿っぽいところ嫌よ。旦那のところへ戻りたいわ」
詩織が通りすがりに連れてきた人が不満そうに言った。
年は40代の中頃ぐらいで小太りの女性だった。
耳に真っ赤なピアスをし、黒髪を男性のように短く刈り込んでいる。
ワニ皮でできたジャケットに黒い革のズボンを穿いていた。
「今はまずいわ。強い敵が扉のそばに隠れているの。誰かが助けに来てくれるか、少なくとも三日はここでしのいだほうが無難だわ」
「三日!? 冗談じゃないわ! 勝手に連れてきといて何よそれェ!」
女性が近くにあった樽を蹴飛ばし、癇癪を起こす。
聞くとその女性はこの店の入り口で旦那と待ち合わせをしていたという。
「旦那は帝国剣士長よ。強いんだからこの辺の蛇なんてもうやっつけて私をきっと探してるの。さっさと出してちょうだい」
「詩織、ここには食料はあるが水の予備がほとんどないんだ。一日持つかどうかだぞ」
店主の男が厳しい表情で言う。
「ああ、あたし少し持ってます。それでしのいであと二日だけ待ってみましょう」
「水なら俺も――」
「――だからなんで二日も待つのよ!」
俺の言葉を容赦なく遮り、短髪の女性は声までイライラした調子で叫んだ。
こんな大きな声で話されては、敵にここにいますと言っているようなものだ。
さすがの詩織も整った眉をひそめて、複雑そうにしていた。
◇◆◇◆◇◆◇
食糧庫に避難してから3時間ほどが経過し、今は20時になろうとしている。
食糧庫は寒さをしのぐことができるものの、風通しが悪く、日も当たらなかった。
部屋の隅には厚い蜘蛛の巣ができていてカビ臭いし、地面は暗く湿っている。
それでもこんなのに慣れた俺は苦にならなかった。
今の俺は詩織とともに手近な布地や木箱を使い、簡素な寝床を作っているところだった。
「ありがとう。後は布を掛ければいい感じね」
「あれを使って枕にしてみたらどうかな」
俺は奥で埃を被っている小麦の入った麻袋を指差し、詩織に言った。
「……あたしもそう思ってたの。運ぶの手伝ってもらっても?」
詩織はニコリと笑い、目を合わせてくれた。
二人で息を合わせて運び、人数分の枕を配置する。
「あとは燭台を……」
詩織がきょろきょろと、灯りの位置を考えている。
「ここでいいかな」
俺はつい、いつもやっていたように詩織の考えを先取りした。
燭台を持ち、詩織が寝るだろう場所の枕元の左手に置いた。
詩織は左利きなのだ。
「……え?」
詩織は固まっていた。
「う、うん……でもどうしてわかるの? カジカさんってまるで……」
「まるで?」
詩織は一瞬、切なそうな顔をしたが、髪を両手でかきあげて取り繕った。
「……う、ううん、いいの。あたしの古い友達に似ている気がして。もういるはずないのに……」
詩織は作り笑いを浮かべた後、俯いた。
「亡くしたのか」
詩織は頭を振ってすぐさま否定した。
「半年ぐらい前から連絡がつかないだけよ」
死ぬわけがないという言い方だった。
詩織はデスゲーム化、という言葉を使わなかった。
俺をNPCと思っているのかもしれない。
「カジカさんが今したように、あたしの考えていることがいつもわかるぐらい、親しい人だったの」
「そうか」
「思い出さないように、していたのだけれど……」
詩織の声が最後の方で潤んだ。
「必ずINしていた時間だったし、あの人が死ぬ訳ないと思うんだけど……」
詩織は紅潮した顔を髪で隠しながら、悪い方向にばかり考えてしまうの、と言った。
こうやって悲しんだり照れたりする時、顔を髪で隠すのは詩織の癖だった。
「その人はきっと詩織さんを探しているよ」
俺の言葉に、詩織は肩を揺らすのを止めた。
「……ありがとう。でもね」
小さく笑った詩織は、信じられない様子だった。
「あたしのことを忘れて、どこかで誰かと幸せに過ごしているのでもいいの。生きてさえいてくれれば。また逢えれば、それだけで……」
最後まで言えずに詩織は手で口を覆った。
胸の奥が
あんなに明るく振る舞っていたから、今の今まで気づけなかった。
詩織も俺と会えない半年を同じ気持ちで過ごしてくれていたことに。
詩織は詩織なりに、俺が現れない理由をいろいろ考えたのだろう。
本来なら、この世界に囚われたとたん、真っ先に俺から連絡がある、と思っていたはずだ。
「忘れるわけ……ないだろ」
「……え?」
八方ふさがりだったとはいえ、俺の無為が詩織を深く傷つけていた。
それでも、詩織は俺を探し続けてくれていた。
「詩織……俺が――」
打ち明けようと口を開きかけた、その時だった。
「――し、詩織さん! 扉が……!」
切羽詰まった声が耳をついた。
振り返ると、店主の妻が扉を指さしている。
「……!?」
はっとした詩織と俺が、入り口に目を向ける。
なんと扉が、小さくだが開いているのだ。
そして、次の瞬間。
「ぎゃああああ……!!」
扉のそばから壮絶な悲鳴があたりに響いた。
血が室内に流れ込んでくる。
俺と詩織は扉へと駆け寄る。
そして、扉の先で何が起きているかを知る。
早く出して、と騒いでいたあの女性が息絶えていた。
襲ったのは体長5メートルはある、紫と黒のまだらを持った
それは、見ている間に獲物を丸呑みにしていく。
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