第18話 発情白豚

 勢いに負けじとは倒れないように踏ん張る。


 が、残るウルフ二匹が踏ん張るだけだった俺の右腕、左大腿に噛みついてきた。


(ぐっ)


 神経を噛まれたのか、つい左足に走ったビリッとした痛みに俺は体勢を崩し、後ろ向きに倒れてしまった。

 敵側のクリティカルヒットだった。


(まずい)


 獰猛な唸り声を上げて、ウルフたちがいっせいに俺の上に群がる。


 複数との【接敵状態】にされてしまっていた。


 顔に温かいものがかかっている。

 俺の血以外にないことに気づく。

 

 俺はふと、自分が死にかけていることに気づいた。


 慌てて召喚の指輪を探ろうとするが、腕を噛まれたままで、右手が拘束されていた。

 

(まずい――)

 

 頭が真っ白になる。

 ただ焦っている間に、どんどんHPを削られていく。

 HP回復薬ポーション? いや、テルモビエを……!

 

 その時だった。

 首元に噛みついていたキラーウルフが、突然ぐにゃりと脱力した。


「………」

 

 それだけではない。

 次々と俺に接敵していたウルフたちが剥がれ落ちていく。


 あまりにあっさりと、戦闘は終了していた。


「やれやれ」


 声の方を見上げると、逆光になっていてわからなかったが、鎧を身に纏った人が立っている。


 誰かが俺を助けてくれたようだった。

 これほどの死の危険はかつて感じたことがなかった分、安堵が大きかった。


「助かった。誰か知らないが、ありがとう――」


 俺は上半身を起こし、その人に感謝の意を示そうとした時。


「――お前を助けるのは何度目かな」


 聞いたことのある声だと気づいた。

 重兜グレートヘルムをかぶり、重鎧プレートメイルを着込んだ女。


 ノヴァスだった。


 後ろにいたらしい二人の男が馬に乗ったままノヴァスに合流し、三人が血まみれで座り込んでいる俺を見降ろす形になる。


 剣の血を拭きながら、ノヴァスが呆れたように溜息をついた。

 一人の男が馬を下りて俺に駆け寄る。


 見たことがあった。以前俺を回復してくれた男だ。


回復魔法ヒールしてみるから、じっとしているんだ」


「……助かる」


 出血している首のところを押さえつつ言った。


 これほどの状態だったが、俺のHPはまだ2割ほど残っている。


「魔物が強くなったとはいえ、少々群れた程度のウルフに勝てないのは低レベルすぎるな。お前、【斬撃】とか【連撃】もないのか?」


 鉄の騎馬アイアンホースを引き寄せながらノヴァスが不思議そうに尋ねてくる。


 俺が戦斧バトルアックスを持っている事から近接系職業である火力職アタッカーの初心者だと思ったようだ。


 しかし、俺はそれよりも、ノヴァスの言葉の別なところが気になった。


「敵が強くなったといったか?」


「お前はそんなことも知らないのか」


 ノヴァスが兜の奥で溜息をついた。


「デスゲーム化してからモンスターが知性を獲得して攻撃方法も変化してきている。武装する者や我々の言葉を話す奴すらも出てきているのだ。この辺りでは『ノンアク』がいなくなったのも大きいのだぞ」

 

『ノンアク』とは『ノンアクティブ』のことで、接近するだけではこちらを攻撃してこない敵のことである。

 逆に『アクティブ』とは一定距離をこえて接近すると、攻撃してくる敵のことで、圧倒的にアクティブの方が厄介である。


「そうだったのか」


 確かに嫌な攻撃が多かった気がした。


「誘いを断って一人でいるからこのザマなのだ。太るだけ太ってこんな奴ら相手に死にかけるなど、全く見ていられないぞ。ギルドに入れ。私が一から鍛え直してやる」


 剣を拭き終えたノヴァスがキン、と言わせながらそれを鞘にしまった。


「助けてもらって感謝はしている」


 そう言うと、ノヴァスは大きなため息をついた。


「……失恋したぐらいで強情だなお前は。今、死にかけていたのをもう忘れたのか。次の助けはないかもしれないのだぞ」


「………」


 俺は口には出さなかった。

 

「それにしてもお前、ここのところ飼料と野草しか食べていないだろう? なぜそんな体型でいられるのだろうな」


 ノヴァスが不思議そうに俺の生活を暴露した。

 後ろから嘲笑が聞こえる。


「見ていたかのような言い方だな」


「もはや初心者らしく過ごしている者は限られていてな」


 お前は大きいから、見ようと思わずとも目に入る、とノヴァスは付け加えた。


「ノヴァスさん。こんな他人頼みのクズ、どうだっていいじゃねえか」

 

 後ろにいた大柄な男が、会話に割り込んできた。

 そいつはあからさまに見下した目で俺を見ている。


 ノヴァスが気づいたように振り返り、俺に言った。


「カジカ、一応紹介しておこう。ギルド『KAZU』から『乙女の祈り』の活動を手伝ってくださっているエブスさんだ」


「………」


 だが俺は挨拶をする必要をまったく感じなかった。


 近くで見ると180㎝以上はある長身で、黒く髪をオールバックにまとめていた。

 眼は人を侮蔑するのに慣れたような釣り上がった眼で、顎には短く切り揃えられた髭をこしらえている。


 右手でやすやすと保持しているのは背よりも大きい、両手斧グレートアックス


 エリートプレイヤーの証左として有名な、A級武器の『不撓の斧』である。


 第一印象では、こいつはミハルネ、彩葉に次いで高レベルだと思う。

 恐らくは最終職業、狂戦士バーサーカーに至っていると思われた。


 エブスの属するギルド『KAZU』は他サーバーにいても知らぬものなどいないギルドだ。


 PKK(プレイヤーキラーキラー)を次々と返り討ちにする、最凶と言われたPK(プレイヤーキラー)ギルドだったが、デスゲーム化したのちは一転して『乙女の祈り』に協調し、初期プレイヤーの保護に乗り出しているという。

 

 だが今目の前にいる男が、そんな良心的なプレイヤーだとはお世辞にも思えない。


火力職アタッカーなのに【斬撃】がないだぁ? おまけに斧の持ち方も知らんてか? 餌や草ばかり食ってて人じゃなくなったのかよ? ガハハ――!」


 その不快な物言いに、俺は眉をひそめる。


 こんな奴が初心者救済をしていると思うと、心底不思議だった。


「……コイツは本当に困った奴なのだ。我らの保護下に入らないのは勝手なのだが、我々もいつも助けられるとは限らない。冷や冷やしながら巡回するこっちの気持ちにもなって欲しいものだ」


 鬱憤が溜まっていたのか、ノヴァスは腰に手を当て、俺への批判に乗っかってきた。

 それに気を良くしたらしいエブスは、さらに続けた。


「そもそもなぁ、俺たちに尽くしもしねえで……助けだけ求めてくるんじゃねえ!」


「………!」


 エブスは地中にサッカーボールがあるかのように地面を蹴り、俺に大量の土埃がふりかかる。

 吸い込んでしまい、俺はゴホゴホと咳き込んだ。


 俺が土埃で目を擦りながら見上げると、そこには薄笑いを浮かべて俺に斧を突きつけているエブスがいた。

 そして奴は言ったのだ。


「――『リンデルに寝取られた発情白豚』。ガハハ――!」


 俺は何を言われたのか、最初はわからなかった。


「は、発情……ぷっ、アハハハ」


 それを聞いたノヴァスが吹き出し、兜の奥から甲高い声で笑うのが聞こえた。

 そこでやっと、俺は何を笑われたのかを知った。


「………」


 耳の奥がキーンと鳴り始め、体がわなわなと震えはじめた。

 自分は、かつてないほどに怒っているのだ、と知る。


「ああ、苦しい……」


 ノヴァスが兜の奥で目尻を拭きながら息を整えている。

 怒りで言葉が出ないというのは、生まれて初めてだった。

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