第143話虎徹と兼定

居間でチヨが煙草をふかしている。祐介が


「お母さん、いい加減煙草を止めなよ」


息子の意見も一蹴いっしゅうする。


「アタシの楽しみなんだよ」


「でも副流煙も有るし、周りも迷惑だよ」


ハイハイすみませんね、と言って灰皿で残りを消した。祐介は切り出した。


「近藤さんの虎徹こてつと土方さんの兼定かねさだ、いくらで売れたんだい」


「聞きたいかい」


祐介はうなずいた。


「虎徹は九百三十万、兼定は五百万」


「そのお金は今どこに」


「あたしが自腹を切って刀泉堂から買い戻した」


「なんだって!お母さんが買い戻したのかい」


大金である。チヨは新しい煙草を取り出し、火を着けた。


「あのな、祐介。自分の差料さしりょうを手放すってのは余程の事が無い限りするものじゃなかったのさ」


それは幼きチヨが曽祖父から受け継いだ思想である。刀は侍の魂である。だから多くの者は業物わざものを求めた。


「何、安い買い物だよ。あたしゃ金の使い道もなかったからね」


チヨが煙草をふかす。詩織も何時の間にか側に居る。給仕の合間をぬって聞いていたのだ。


「優しいね、おばあちゃん」


「詩織や。金の使とはこういうものだよ。よく覚えておきな」


八十を過ぎてなお頑健なチヨは時折道場へ顔を出す。道場生は大先生と言ってしたう。しかし稽古は厳しい。


「私が死んだら八百屋も魚屋も畳むつもりだよ。できた金で温泉行くなりすれば良い」


薫が言う。


「お義母さんが何時になく弱気ですね」


「アタシは新選組の未来を思うと涙が出そうだよ。あの人らは現代で楽な生活するより過去に戻ろうとする。その意気地いくじを買っているんだよ」


美味そうに煙草を吸うチヨは道場へ目を向けた。沖田が居た。


何処どこまで聞いた?」


「大体聞きました」


「口外無用だよ」


はい、わかりました、と沖田は下がった。一番口が軽そうだが沖田は口に出して良いかどうかの分別はある。例えチヨのやり方に非が有るとしても隊士は小野田家に身を預ける事が出来たのである。全てはチヨの心一つにかかっているのだ。


「だからあたしは話をしたくなかったんだよ。ま、何時かはバレる事だけどさ」


チヨは伝法でんぽうな口調で言った。

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