第109話桜

雨が降り続けて少しずつ気温が上がって来た。梅はもう見どころを終えて桜がつぼみを持ち始めた。小野田家の庭には桜が一本植えられているが、チヨは毛虫を嫌い、切ろうとしていたらしい。斉藤は勿体もったいないと思った。先日の件もあり、最近は斉藤も夜遊びしない。もっぱら詩織の手酌で飲む事になった。


日毎ひごとに桜の時期が続くな」


汗ばむほどの昼間の気温の高さは桜の開花にも影響したようだ。今日は特に暖かい。酒を飲みつつぼんやりしていると詩織はこう言った。


「斉藤さんの表情が優しくなっていますね」


まさか、と斉藤は思った。数えるのを止めたほど人を斬って来たが、現代の平和に感化されて知らず知らずの内に腑抜けになったのかもしれない。


「そう見えるのも困る」


酒も程々に切り上げ、小野田家にある木剣を手にして素振りをした。吉村を捕まえて稽古相手にした。忙しい吉村だが、嫌な顔一つせず引き受けた。道場中央に二人立ち、構えた。双方正眼から間合いを詰め始め、打ち合った。しばらく二人打ち合い、稽古を終えた。


「すまぬな、吉村君」


「いいえ、斎藤先生、私も良い稽古になりました。しばらく稽古もしていなかったので」


吉村も自分の開いた塾と夜間中学の勉強で忙しい。夜間の隊士の稽古にも顔を出さなくなっていた。


「皆忙しくなったの」


再び酒を飲み始めた斉藤が、午後の穏やかな日差しを浴びつつ庭の桜に気が付いて庭に出た。桜の蕾を見ると今にも咲かんとしている。


「もうすぐ春じゃ」


斉藤は四季の中で春が一番好きだ。穏やかな晴れの日など任務の非番の時など好んで酒を飲んだものである。珍しく近藤がやって来た。


「局長、一献いっこん如何いかがです」


「うむ、久しぶりに頂こう」


春の日差しの中、二人は穏やかな午後の日差しを浴びながら酒を飲んだ。詩織が


「珍しい組み合わせですね」


イカを丸焼きにして食べやすく切り、ねぎと生姜をあえたものを出した。


「うむ。良い肴だ」


近藤は満足げである。

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