第316話 平和なデート回

 暁さんから原画の擦り合わせが終わったところで本格的に3Dモデル制作に着手する。その矢先だった。師匠から電話がかかってきた。今正に仕事か恋人かどっちを選ぶかという単なる2択と言うトロッコ問題ですらない命題が俺に降ってかかってきた。


 電話は緊急性が高い可能性があるし、別に俺は締め切りがある仕事に着手しているわけではない。この場合は、恋人を選ぶのが正解。俺は師匠からの電話に出た。


「もしもし、師匠。どうしたんですか?」


「ああ。Amber君。その……時間が少し空いたからキミの声が聞きたくてな」


「そうですか。ショコラの配信見れば電話かけずとも聞けると思います」


「そういうことではない。話をしたいという意味だ」


「そうですか。それなら俺も師匠の声が聞きたかったです」


「っ……! その……私は次の土曜日の昼間時間が取れそうなんだ。そのAmber君の時間さえあえばデートでもどうかなって」


「ああ、いいですよ。俺も久しぶりに師匠に会いたいですから」


 現在、着手している仕事があるし、余暇の時間はそれに当てたい気持ちもあるけれど、それよりも師匠の方が優先だ。この機会を逃したら、次またいつ師匠に会えるかわからない。ライフワークバランス的にも……まあ、問題ない範囲だろう。


「ちょっと行きたいお店があるんだ。結構SNSでも流行っているサンドイッチ屋で1度行ってみたかったんだ」


「良いですね。そこに行きましょうか」


 そんなこんなであっさりとデートの場所と日時は決まった。土曜日に楽しみができたことで、作業に対するモチベーションが向上したような気がする。今ならば最高効率で仕事ができそうだ。



 電車が遅延してもいいように1本前の電車に乗る。社会人のマナーと言うかある種のブラックな慣習だと個人的に思う。個人的には経営者の方が、労働者が遅延で遅くなったとしても全体の仕事に支障をきたさないような仕組みを作るべきじゃないかと強く主張したい。そして、俺は経営者になるつもりはない。つまり、責任の丸投げ。


 まあ、そんなどうしようもない思考に至っているのは、現在電車が遅延しているせいだ。日本の鉄道会社は病的とまで言えるほどに正確に電車を走らせている。1分早かったらアウト1分遅くてもアウト。そんなチキンレースを毎日のようにやっていると俺なら頭がおかしくなると思う。だから、まあ何らかの事情で遅延したとしても俺は鉄道会社の人には文句は言わない。でも……電車内で暴れて電車を止めるやつ。お前らは許さない。「お客様同士のトラブル」を起こすやつは2度と電車に乗るな。


 と、1本前の電車に乗ったにも関わらず間に合わないレベルでの遅延が発生したので、俺は師匠に遅れる旨を伝えた。遅れるとしても……2、3分程度か。師匠を待たせてしまうのはなんとも罪悪感を覚えてしまう。師匠が今までどれだけ俺のために時間を割いてくれたのか。それを思うと今回もまた待たせてしまうのは、本当に申し訳ない。


 いつか免許を取って車でデート場所まで向かえばこんなことにはならないのかな……でも、車でも渋滞や工事で思わぬ遅れを取ることはあるか。じゃあ、ダメかー。



「むー……」


 Amber君は電車による遅延のため、今日のデートは遅刻してくるそうだ。これはAmber君の責任ではないし、仕方ないか。


「あれ? こんにちは」


 聞き覚えのある声が聞こえた。スマホからその声のする方へ視線を移すと、そこにいたのはAmber君の妹さんの真珠ちゃんだった。


「ああ、こんにちは」


「リゼさん。こんなところで何をしているんですか?」


「人を待っているんだ」


「そうなんですか。私も人を待っているんですよね」


 どことなく楽しそうな笑顔だ。確か、聞いた話によるとこの子には彼氏がいるらしい。もしかして、デートなのか?


「彼氏でも待っているのか?」


「いえ。今日は、デートじゃなくて……」


「お待たせしました……って、あ、こんにちは」


 真珠ちゃんの待ち合わせの相手らしき人物がやってきた。この人は確か……写真展にいた人だな。兄貴の会社の従業員っぽい感じの人だ。


「こんにちは。この前写真展で会った人ですよね」


「ええ。その節はどうも……」


 この2人の関係性は私にはわからない。真珠ちゃんが言うには、趣味での繋がりらしいが、その趣味とやらは秘密のようだ。まあ、女の子が秘密にしていることを無闇に暴くこともないか。


「では、私たちはこれで……また会いましょう」


「ええ。では、また」


 それにしても、Amber君を待っている間に知り合いに会うなんてな。片方は、そこまで関係性が深い相手ではない。でも、兄貴の会社で働いているなら、また何かの縁で会うかもしれないな。挨拶しておいて損はないか。


「師匠。お待たせしてすみません」


 私の好きな声と姿がやってきた。少し息を切らしているから、ちょっと駆け足でやってきたのか。


「お疲れ様Amber君。災難だったね」


「ええ。まさか、遅延が起きても大丈夫なようにしたつもりが、遅延が発生してもダメだったなんて思いもしませんでした」


「まあ、その辺の話は後でするとして……早くお店に行こうか。人気のお店だから早くいかないと混んでしまう」


「そうですね」


 私たちは目的のお店へと向かった。店内は昼前だと言うのに少し混み始めている。もうちょっと遅延時間が長ければ、それこそ待たされていたかもしれない。


「サンドイッチとドリンクのセットで1000円以上するのもある……なんというか少し前の俺だったら絶対に行きたくない値段設定ですね」


「店内もオシャレだし、この辺は地価も高い。何より、食材に拘りがあるみたいだから、この強気の値段設定なんだろうな。流石に高校生にここのお金を出させるのは酷だから、私が奢るよ」


「いえ、大丈夫です。俺、高校生とは思えないくらい稼いでますから」


「流石だなAmber君」


「師匠のお陰ですよ」


 私のお陰か……それは違うな。私はAmber君にきっかけを与えたに過ぎない。その才能を開花させて、お金を稼げるようにまで実力を伸ばしたのは間違いなくAmber君の努力によるものだ。でも……Amber君に感謝されると良い気分だからこのまま否定しないでおこう。


「でも、Amber君。たまには年上の経済力でキミをリードさせてくれ」


「いえ、俺は男ですから、彼女に奢られるわけには」


「いやいや私が年上だから……」


 そんな押し問答の末、ジャンケンで決めることになり、私がジャンケンに勝ったのでAmber君に奢ることに成功した。


 注文したサンドイッチとドリンクが届いたところで、Amber君がなにやら相談したいことがあるようだった。


「師匠ってフリーランスですよね」


「まあ、そうだな。今はフリーでやらせてもらってる」


「それってある程度自分の仕事の裁量を決められるんですよね? 仕事とプライベートのバランスってどうやって取ってるんですか?」


「ふむ、難しい質問だな」


「例えばですけど……締め切りに余裕がある状態で友人や恋人に遊びに誘われた時は行きますよね? でも、その誘いが1回だけじゃなくて、2回3回と続いたら確実に仕事に影響が出るじゃないですか。そうした時にどのタイミングで仕事を優先するべきなのか。そのバランスの取り方ってありますか?」


 確かにそのバランスを取るのは非常に難しい。案件が入ってない時だけ遊べるとなると、確実に人間関係は希薄になってしまう。かと言って、人間関係を優先しすぎてもやがては締め切りに間に合わないという失態を犯してしまう。


「そのバランスを取るためにはまずは案件の難易度と自分の実力を正確に把握することだな。この案件に対して、自分ならどれだけの時間と力を注げばクリアできるのか。それさえわかっていれば、逆算でおおよその目安がわかる。後はその目安を元に余裕を持ってプライベートの予定を入れれば、バランスはとりやすいな」


「なるほど。逆算ですか……確かにそれは必要ですね。師匠ありがとうございます。参考になりました」


 Amber君の役に立てたようで良かった。最近、彼の成長は著しい。いつか、私を追い越してしまう日が来るだろう……そうなった時、いつまでも彼の師匠でいられるかわからない。だからこそ、今はこの師匠という立場を大事にしたい。この関係性がAmber君との最初の絆なのだから。

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