第269話 猶予3年の死刑宣告
コンテストのお題が海だということで、俺と師匠は海へと向かうことになった。俺としては映像の資料を使って済まそうと思っていたのだけれど、師匠が「でも実際の海は潮の香りだとか波の音だとか五感で感じる要素があるから、生で見た方がいい」としつこく食い下がってきたので一緒に行くこととなった。
移動手段は師匠の車だ。免許を持ってない俺は大人しく助手席に座っていた。
「師匠……今、俺は免許が取れない年齢だから、こうして送られることしかできませんが、18歳になったら真っ先に免許を取りますよ」
「え? ああ、うん。そうか」
師匠は何か言いたいことを押し殺していそうな顔をしているけれど、俺は構わず話を続ける。
「そして、最初に助手席に乗せるのは師匠だって決めてます。いつまでも師匠に頼ってばかりの子供じゃいられませんからね」
「あはは。私はAmber君に頼られてもの凄く嬉しいぞ。特に運転に関しては頼られたままでいたいかな」
「でも、それじゃあ俺の気が済みません。ただでさえ、俺は師匠と歳が離れているのに。師匠からしたら、俺はまだ頼りないかもしれませんが、このままじゃ嫌なんです」
「えー……ああ、うん。そうだな。せめて若葉マークが取れたら助手席に乗せてもらおうかな。うん。」
「はい。その時を楽しみにしていて下さい」
若葉マークが取れるのは、免許を取得してから1年だから、師匠を乗せて運転できるようになるのは、3年後くらいか。その時が楽しみだな。彼女を乗せてドライブとかそういう大人なデートも良いかもしれない。
「そんなことよりAmber君。海が見えてきたぞ」
「あ、本当ですね」
今の海はシーズンオフだから人があまりいない。泳ぐような水温ではないので、当然水着なんて持ってきてない。ただ単に砂浜で海の様子を見て感性を磨く目的で来たのだ。
◇
耳を澄ませば聞こえてくるのは波の音。無音よりも静寂だと錯覚してしまうほどに静かで心地いい空間だ。
「なるほど。確かに、実際に海に来てみると見えてくる何かがありそうな感じがします。特にこの波の音。どこまでも続く広い海。それらを感じるだけで嫌なことを含めて色々と忘れてしまいそうです」
「そうだろう。季節外れの海というのも悪くないだろ?」
「はい」
波の音は大きくなったり小さくなったりする。その音の幅が心を癒してくれる。
「忘れてしまいそうなことか……ついさっきできたんだよな。むしろ、忘れさせたいと言った方が正確か……」
「え? 師匠何か言いました?」
丁度波が大きくなった時に師匠が発言したものだから、師匠の発言が聞き取れなかった。
「あ、いや。大したことは言ってない。ただ、海はいいなあとかそんな感じのことを言ったんだ」
「そうですね」
シーズンオフとは言え、俺らの他にも海に来ている人はいる。波打ち際をなぜか裸足であるいている白い帽子に同じく白いワンピースを着た女性。なんか目が赤く泣き腫らしたような跡がある。彼女の身に何が起きたのかは知らない。けれど、なにか嫌なことが会ったからこの海に来たんだろうな。大人には色々な事情があるのかもしれない。
まあ、そんな寂れた海にいそうな精神病んでそうな女性は置いといて……明らかに異質な女性がうつ伏せの状態で、1人砂浜でじたばたともがいていた。なんだこの人は……毛先が金髪で生え際の方が茶色に染めているプリンのような髪色。なんかこの染め方は非常にもやもやする。そんなプリン女は服が砂で汚れるのを気にする素振りすらない。
「師匠……あの人なんなんですかね」
「Amber君。世の中には触れてはいけないものがあるんだ。あの人と目を合わせてはいけない」
師匠は俺の肩を寄せて、その謎の女から俺を遠ざけようとした。しかし、妖怪砂もがき女が急に立ち上がった。そして、なぜかこちらを見てニタァと笑って近づいてきた。
俺は思ったことをハッキリ言う性格だと思う。だから、出てしまう言葉がある。
「うわ、怖ッ! 急に近づいてきた」
「なんやこの失礼なお子様は……ウチとは初対面のはずなのに言葉すぎますなあ」
「あーあ。見つかってしまったか」
身長は一般的な成人女性程でかなり着古したパーカーを着ている妖怪女を見て師匠がそう言った。もしかして、この人と知り合いなのか?
「まあ、知り合いというか……知り合いの知り合いに近いかな。キミも名前くらいは知っていると思うぞ」
「やんね。ウチもリゼさんと会ったのはいつぶりだったかな……まあ、そんな会ったことはないか」
なんかイントネーションが独特な人だな。
「一応、初めましての坊やがいるみたいだし、自己紹介するね。ウチは
師匠は聞いたことがあるとか言っているけれど、俺はそんな名前聞いたことないぞ。でも、それを正直に言っていいのか? 俺の勉強不足が露呈するし、著名なクリエイターだったら、相手も知らないと言われたらショックを受けそうだ。
「Amber君。彼女は、例のコンペでマッチョの作品を作った人だ」
「ん……あ、ああ! あの作品の人でしたか。いやあ、漢字が読めなくて、『しゅうめい』って言われてもピンと来ませんでした。俺は『ひであき』って読んでましたから」
「ひであき……それじゃあ、男の人の名前やね……ウチ、これでも生物学上は女……そう、女に生まれてしまった」
なんか地雷を踏んでしまったのか、秀明さんは落ち込んでしまった。確かに生まれ持った性別は本人にはどうしようもないことだし、心と体の性が一致しないことで悩んでいる人もいる。かなりセンシティブな話題だし、軽率な発言だったかもしれない。
「あの……すみません。俺、事情も知らずに余計なことを言いました」
「女に生まれてしまったせいで、マッチョになれず、マッチョとサウナバトルもできず、住職にもなれず……あ、それは別に良いか。とにかく、なんにも良いことない」
マッチョ……? サウナバトル……?
「作品を見ればわかる通り、秀明さんは大のマッチョ好きだ」
「そうね。ウチの元カレは全員マッチョだったし」
彼氏いたのか。全然心と体の性一致してるじゃねえか。なんか変に勘ぐってしまって逆に変な空気になった感じがある。
「見て。この細腕。ウチは女だけど、女の中でも更に非力な方やんね。だから、体を鍛えても筋肉が全然つかない。筋肉がつきにくい体質なの」
そう言うと秀明さんは長袖のパーカーを捲って白い細腕を見せてきた。見事なまでにゴボウのような腕である。
「ところで、キミの名前は何て言うん?」
「あ、賀藤 琥珀です」
「そっか。賀藤君は何かスポーツとかやって鍛えてる?」
「いえ。完全にインドア派です」
「いいなー。男子は……何にもしなくてもそこまでの筋肉がついて」
生まれてこの方筋肉を羨ましがられたことがない俺にとって新鮮な体験だった。新鮮な体験であるが、今後の人生で役立つかと言えば答えはノーだ。
「サウナも基本的に男女別だし、女子とサウナバトルしても何にも楽しくない……ウチ、なんで女に生まれてきたんだろう」
そんな哲学的なことを言われても知らない。
「それに、今の時期は海に行ってもマッチョの水着を拝めないし、最悪……資料が欲しい。マッチョの資料が」
「マッチョの資料……?」
なんだろうこの人は。凄いクリエイターな気がするんだけど、俺の理解から最も遠い位置にいるような気がする。具体的に言えば、アレと同じくらい離れている。なんか髪の染め方が独特なのも共通しているし。
◇
帰り道。再び師匠の車に乗り、離れていく海を眺める俺。
「Amber君。今日はどうだった? なにか収穫があったか?」
「そうですね。収穫はあったはずなんですが、全部あの変人に上書きされました」
「うん。奇遇だな。私もそうだ」
なんか今日と言う2度とやってこない日を無駄に過ごした気がする。でも、隣に師匠がいるからいいか。
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