第259話 琥珀の意思

 「今日は帰れそう」そんな簡素なメッセージが家族のグループに届いた。長いこと家に帰れない程忙しかった母さんがついに帰ってくる。それは、俺と母さんが直接話し合わなければならないことを意味している。


 兄さんと真珠が自室にいる頃、俺はリビングにて母さんの帰りを待っていた。退屈なのでテレビを点けてみる。普段はこの時間帯にテレビを見ないからどの番組が面白いかなんてわからない。ドラマは第1話から見ないと話がよくわからないし、ニュース番組は……例の部長のせいで新聞だとかニュースにちょっと嫌な思い出があるからしばらくは見たくない。


 消去法でバラエティ番組を見ていると玄関から物音が聞こえる。「ただいま」と母さんの声が聞こえた。俺は思わず身構えしてしまった。1歩1歩床を歩くことがリビングに近づいてくる。家族の足音にここまで怯える日が来るとは思いもしなかった。


「琥珀。あんたがこの時間にいるなんて珍しいね」


「ああ。母さんに話があるから待っていたんだ」


 母さんはテーブルの上にハンドバッグを置いてため息1つついた。そして、向きを変えて俺と視線を合わせる。ここで目を逸らすわけにはいかない。俺は母さんをじっくりと見据えた。


「そういうことなら、メッセージをくれたら良かったのに。そうすれば、もっと早く帰ってきたさ」


 親子の間ではおおよそ流れないような緊張感が伝わる。とりあえず話を順序立てて説明するんだ。そのために、頭の中で何度もシミュレーションして何から話すのかは決めてある。まずは最初に話すのは……


「例のコンテストの結果が出たよ」


「ほう、結果は?」


 食い気味で俺の言葉に反応する母さん。俺はごくりと唾を飲んだ。母さんが仕事で忙しいということは、一緒に仕事をしているヒスイさんと何度も会っているということだ。ヒスイさんの様子を見て、母さんは何かを察したのかもしれないし、あるいはヒスイさんが既に結果を喋っているのかもしれない。でも、俺は自分の口から母さんに結果を告げたかった。


「残念ながら銀賞だった……金賞は取れなかったよ」


 いざ口にしてみると心が締め付けられる想いだ。金賞ならば母さんに認められたかもしれない。けれど、銀賞だとどんな反応をされるのかわからない。


「なにが残念なものだ。琥珀。凄いじゃないか……」


 母さんは寂し気な切なさが混じったような視線で俺を褒めてくれた。母さんのこんな表情を見るのは初めてだ。子供相手にも常に気を張っているように見える母さん……俺は16年生きてきて、母さんの“本当の表情”をまだ知らないのかもしれない。


「でも、母さんが認めているヒスイさんは金賞だった。俺は……」


 ここまで来ると母さんも俺が今までどんな想いで何をしてきたのか……それを察しているのだろう。ここまで来て逃げることも先延ばしにすることもできない。今こそ俺の全てを打ち明けるんだ。


「“あの子は”特別だね。それこそ、クリエイターになれる一握りの人間だ」


 「あんたとは違って」口にこそ出さなかったが、そう言っているととってもいい口ぶりだ。見えない言葉の刃が俺の心に突き刺さる。けれど、この刃に怯むわけにはいかない。ここで退いたら、俺はまた母さんに隠れてこそこそとする生活に逆戻りだ。


「その特別なあの子が言っていたのさ。琥珀。あんたともう1度競い合いたいってさ」


「え?」


「申し訳ないけど、実は私はコンテストの結果は既に知っていた。ヒスイが金賞で、琥珀が銀賞。そして、ヒスイが高校生生活最後のコンテストに臨もうとしていることも……その相手にあんたを指名していることもあの子は嬉しそうに語っていたさ」


 母さんは既に全てを知っていた。ヒスイさんが母さんを説得してくれるとかそんな話をしていた。だから、既に話を通していても不思議ではない。ヒスイさんと、その辺の連携というか打ち合わせがちょっと足りなかったか。


「琥珀。あんたの気持ちはどうなんだい? 次のコンテストは内申点に加算されるようなものではない。ハッキリ言って受けるだけ時間の無駄さ。そんなものに費やすくらいなら勉強をして1つ上のランクの大学を目指した方が良い……クリエイターを目指さないのならね」


「俺は……! コンテストに参加したい!」


 心からの叫びだ。ヒスイさんに負けたまま終われない。ヒスイさんが高校を卒業したら、もう2度と同じ舞台に立つことはできないかもしれない。だから、これが最後のチャンスなんだ。参加したくないわけがない。


「それがあんたの答えかい? その答えの意味がどういうものかわかっているんだろうね?」


 母さんからの強い圧がかかる。これまで感じたことのない強いプレッシャーだ。Vtuberの配信のコメント欄では「圧助かる」とか言うコメントがたまに見受けられるがそんな次元ではない。助からない圧が俺に押し寄せてくる。


「ああ。俺はクリエイターを目指している。デザイン方面に行くか、モデリングを中心にするか……その辺はまだ曖昧だけど、とにかく! 良い大学入って、安定したホワイト企業に行くよりも、そんな道を蹴ってまで叶えたい夢があるんだ」


 母さんは俺の言葉を受けて黙って頷いていた。いつもならここで反論の1つ……いや、1つでは済まないな。桁が2つ程足りない。それくらい一方的な攻撃が待っているのに、母さんは何も言わなかった。


 そして、母さんの閉ざされていた口がゆっくりと開かれた。


「全く……誰に似たんだろうね。このバカ息子は……あれだけ強く言っても全く心が折れないなんて……あんたのその“意思の強さ”は本物のようだね。そこだけはあのバカに似なくて良かったさ」


 母さんは俺から目線を逸らして、先程テーブルに置いたハンドバッグの中身を漁り始めた。そして、その中から白い四角い紙袋を取り出して俺の方に持ってきた。雰囲気的には薬局で処方される頓服袋のようだ。


「すまないね。琥珀。ずっとこれをあんたに言おうかどうか迷っていた。でも、あんたのその固い意思ならば、伝えても大丈夫だと私は信じる。これこそが、私があんたの……いや、あんた達の夢を頑なに否定してきた理由なんだ」


 頓服袋には、当然のように処方された薬の名前、処方された日付、処方された人の名前が書かれている。薬の名前は俺にはよくわからない。けれど、日付と処方された人の名前にある違和感を覚えた。処方された日付は俺が生まれるよりもずっと前の日付。そして、名前は“羽山 千鶴”。羽山は母さんの旧姓だ。


「母さんこれは……?」


 俺はこの頓服袋を見て嫌な予感がした。反射的にこれが何を意味するのか訊いてしまった。しかし、その直後にやっぱり訊かなければ良かったとも思ってしまった。俺はずっと母さんがなんで俺の夢を反対するのか。ずっとその真意が知りたかった。けれど、今はその真実を知りたくないとすら思っている。


 だけど、覆水盆に返らずという言葉の通り、いくら後悔しても1度口に出してしまった言葉は取り消せない。当然、母さんは俺の疑問に答えようとする。訊いてしまった以上、俺にはそれを止める権利はない。俺はただ、真実が俺の予想を大きく外れていることを祈るしかなかった。


「昔、バカな女がいてね。その女は不眠症でもないのに、医者に眠れないと嘘をついてある薬をもらった。その薬は用法容量を守れば、きちんと効果がある薬さ。だけど、1度に過剰に摂取すると人体に大きな影響が出る。最悪死に至る……否、正確に言うと過剰に摂取すれば“死ねる”と言った方が正しいか」

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