第231話 コンペの反省会

 駅近くのカフェにて、俺は師匠と一緒にコンペの反省会をしていた。今回は佳作とはいえ、受賞することができたから、俺としては成功している部類だ。しかし、俺の上には優秀賞や最優秀賞とまだまだ上がいる。結果は良かったものの、完璧ではないのだ。


「さて、Amber君。今回のコンペに参加してみてキミ自身の感想を聞かせてもらおうか」


 師匠はエスプレッソに口を付けて俺の反応を窺っている。コンペの感想の前に、あんな苦いものを良く飲めるなという感想の方が先にきた。


「はい。まずは俺としてはあの時点では全力を出し切れたと思います。でも……今の俺だったらもっと良い作品を作れたと思います。それはほんの少しの気づきの部分で……その気づきをあの時にしていれば違った結果になったと思います」


 これは俺の本心である。なんの根拠もなくイキっているわけではなく、俺があの時と比べて成長しているという確信は確実にあった。


「ほう。では、その根拠を聞かせてもらおうか」


 師匠は真剣な眼差しで俺を見ている。今はふざけたりボケたりする時間ではない。俺は真面目に答えることにした。


「はい。その気づきは、最優秀賞の蝉川 ヒスイという人の作品や虎徹さんの作品を見て気づいたんです……彼らの作品には静止画なのに……今にも動き出そうなそんな錯覚すら覚える何かがありました」


 静止画なのに動きがある。一見矛盾しているような言葉だけれど、表現の仕方を工夫すれば動いていることを表すことは可能だ。イメージとしては、実際に頭の中で動かしてみて、その中の一瞬を切り取る。どの部分を切り取るのかはクリエイターのセンス次第だ。明確な答えがない分、この答えを追求するのは永遠の課題とも言える。


「確かにな。虎徹君の作品は馬の荒々しさが出ていて今にも動き出しそうな絵だった。そして、蝉川という人の作品も猫の動きを良く観察していたのだろう。でなければ、あんな動きは出ない」


「そうですね。それに対して、俺の作品には空間的な動き……というものがなかった。時間軸的な動きは表現できていましたが……作中のキャラクターたちを動かしてみせるなんて発想自体ありませんでしたから」


 その発想が制作中に出なかったのが本当に悔やまれるレベルだ。動き……その発想があれば、もっと表現の幅が広がったのかもしれない。


「うん。そうだな。静と動。この2つは大切なものだ。どちらが良い。どちらが悪いというものではない。止まっている様子を描いた方が良い場合もあれば、激しい動きを取り入れた方がいい場合もある。ただ……静の方で評価を得ようとするのは、動でやるのよりも遥かに難しいと私は考えている」


 師匠が口にしていたエスプレッソが空になる。ソーサーにカップを置いた師匠は話しを続ける。


「その理由は主に2つあると思っている。まず、1つ目。これは単純な話だけど、動きがない絵を表現するよりも、動きがある絵を表現する方が技術を必要とすることだ。クリエイターであれば、その難しさというものを嫌という程わかっているはずだ。実際、プロの漫画家の中にも、そうした表現が苦手……いや、全くできてない者もいる。なんでプロになれたかわからないレベルだな。具体名はあげないが」


 なんでこれがプロになれたんだ。そう思えるような人はどこの世界にも一定数存在するのだろうか。運が良かったのか、それとも採用する側の目がなかったのか……


「そして、もう1つが人間というものは元々、狩りをしている肉食動物だ。止まっている物体よりも、動いている物体を目で追ってしまう。つまり、注視してしまう生き物なんだ。だから、動いていると錯覚させた時点で、他の物体よりも意識的に見てしまうのだ」


「そうですね。作品というものは注目されて初めて意味を持つものです。誰にも認知されなければ評価される段階にすら立てない」


 他の作品よりも目立たせなければならない。目立たせるばかりで、中身が伴ってないという作品批判も確かにある。でも、注目を集めるだけの何かがあるというのも作品の良さの一部なのだ。クリエイターやそれをマーケティングやプロデュースする人も、みんなそこに頭を悩ませている。見てから評価しろというのは作り手の傲慢でしかない。評価して欲しかったら、まずは見られるように。興味を持ってもらえるように努力をしろと言うことだ。俺は、その努力を1つ怠った。だから、佳作止まりだったのかもしれない。


「Amber君は知らず知らずの内に茨の道を歩いてしまっていたんだ。さて、今のAmber君なら自分の作品をどのようにして改修するのかな?」


 師匠が頬杖をついてイタズラっぽい笑みを浮かべる。大人の余裕を醸し出している感じだ。俺は今試されている。ここで変な回答をしたら師匠を失望させてしまうかもしれない。慎重に答えよう。


「そうですね。まずは静と動の話に戻りますが……俺は静を捨てるつもりはありません」


「ほう。それはなぜだ? 静で評価を得るのは難しいと話をしたばかりではないか」


「そうですね。それは、正にその通りなんですけど……師匠は静と動はどちらが良いとか悪いはないとも言いました。つまり、効果的に使い分けることでメリハリをつけることが可能なんです」


 師匠の口角が上がる。この反応から察するにどうやら、俺は間違っていることを言ってないようだ。このまま続けよう。


「俺の作品は2つのシーンを繋ぎ合わせて1枚のスチルとして提出したものです。そこを活かして考えると……子猫と少女。そっちを動で表現して、老猫と成人女性。こちらを静で表現するべきだったと思います」


「なるほど。キミの出した答えはそれか。面白いな。では、それが効果的だと思った解説をしてもらおうか」


「はい。一般的に子猫と子供というもののイメージは、元気だとか活発だとかそういうイメージがあります。そのイメージを表現するには、動の表現をすると親和性が高くて効果的だと思います。それに対して、老猫と成人女性は落ち着いているとか、ゆったりとしているイメージがあると思います」


 これはあくまでも一般的なイメージだ。もちろん例外はある。実際、ウチの身内に法律上の成人女性に落ち着きがない“奴”がいるし。


「それによって、2つのシーンに対比が生まれて、より成長や老いという時間の流れを表現できたと思います。それに、人が動きがある方を優先するというのならば、先に視界に入るのは幼少期の頃のシーンです。そこから静の方に視線を誘導すれば、自然に時間の流れを疑似体験させる効果もあるはずです」


「ほう。中々いい分析だな。では、私から1つ反論をさせてもらおうか。ただ、キミは全く同じ構図、シーンを撮影して見比べることで発生する対比を重視していたのではないのか?」


「それは……確かにそうですね。あれ? それじゃあ俺はどうすればいいんだ?」


 となると、俺の本来表現したかったものとの取捨選択になるのか?


「ふふ……すまないな。少し意地悪なことを言ったみたいだけど、それも技術や工夫次第で両方の良いとこ取りができるようになるさ。やろうとしていることは難しいことだけど不可能なことではない」


「そうですか……そう言われると燃えてきましたね。師匠。簡単に答えは言わないで下さいよ。俺自身の手でこの問題の答えを手に入れてみせますから」


「うん。そうだな。キミならそう言うと思っていた。Amber君の前向きな向上心は私の弟子ながら尊敬できる」


「何言ってるんですか師匠。俺の方が師匠のことを尊敬してます」


「何を言うか! 私だって、キミのことを凄いと思ってるんだからな!」


「いやいや。俺の方が!」


 そんなしょうもない喧嘩をして、最後はお互い尊敬しているならそれでいいじゃないかという結論にいたり仲直りをした。そんな午後のひと時だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る