第85話 お互いの兄弟

 俺はキッチンに入り、油を加熱する。油が熱するまで待っている間に師匠はボウルを取り出した。その中には、味付けされていると思われる鶏肉が入っていた。


 師匠はそれに白い粉をまぶして、トレーに乗せて俺に渡した。


「それじゃあ、Amber君。頼む」


「はい」


 油がいい感じに温まってきたので、俺は鶏肉を投入した。油が跳ねる心地よい音が響き渡る。小さい頃からこの音が好きだった。母さんが姉さんと一緒に揚げ物を作っている時も、俺がキッチンに入ると「油が跳ねて危ないから」と追い出されたっけ。姉さんならいいのに、なんで俺はダメなんだと理不尽な気持ちになった当時が懐かしいな。


「Amber君手際がいいな」


「そうですか?」


 俺としては特別凄いことをしている感覚はない。ただ、両親不在の期間が長かったから一通りの家事ができるようになっただけだ。


「うん。なんというか……手つきが慣れていると言うか」


「料理に関しては、姉さんに教えられましたからね。あんなんでも料理だけはできますから」


「そうか。そうだったな。あいつももう少し頭が良ければ、それなりにモテそうなんだけどなあ」


 確かに料理ができる女子というのは、いつの時代になっても需要が高いものだ。家事を夫婦で分担するような時代でも、やっぱりパートナーの料理が上手くて損することはあんまりない。でも、姉さんの場合は他の家事スキルが壊滅的にダメだからな。掃除や洗濯が苦手で、姉さんの頭には片付けるという発想がないのだ。


「姉さんがモテるという話は聞いたことがありませんね。アレを引き取ってくれる人がいるんだったら、ウチとしては大歓迎ですよ」


「でも、お父さんは寂しがるんじゃないのか? 仮にも娘だぞ」


「父さんは……どうなんですかねえ。姉さんは今でも父さんにべったりと甘えているんですよね。だから、父さんは寂しがるかもしれませんね」


「反抗期とかはなかったのか? 年頃の娘は父親と中々上手くいかないものだろ?」


「ウチはそういうものがあんまりないですね。姉さんは父さんを味方につければ、母さんに怒られた時に援護してもらえると思ってる節があるので」


「ああ……アイツ、そういう世渡り上手みたいなところあるからな」


 師匠が苦い顔をしている。やっぱり、奴は身内の知らないところで人様に迷惑をかけているのだろうか。


「最終的には、調子に乗りすぎて味方だったはずの父さんからも怒られることになってましたけどね」


「ああ。目に浮かぶ」


 唐揚げが良い感じの色になってきた。もう少ししたら、油から引き揚げよう。


「他の兄弟は反抗期らしい反抗期は……兄さんの場合だと、母さんに公務員になれって言われてたけど、拒否してましたね。そこで結構バチバチとやりあってました。最終的にはそこそこ大きな会社に入社できたので、それ以来喧嘩はしてない感じです」


「お兄さんは優秀なんだな」


「そうですね。その分、親の期待も大きかったから、将来のこととか1番言われたと思います」


「その優秀なお兄さんのすぐ下がアレか」


「ええ、アレです」


 アレは最早諦められていたのか好きに生きろと放任状態だった。


「真珠は……あんまり親に反抗しているイメージはないですね。母親の言うことはあっさり聞いてます。多分、将来も堅実な職業に就くと思います。一方で、父親を拒絶している様子はないですね。丁度、反抗期に入るかどうかって時期に、父さんが海外に行ったのでそういう感情が湧かないのかなと思います」


「確かに、そういう時期に家にいないと距離感とか戸惑うからな」


「ですね……そして、俺は師匠も知っての通り、反抗期の真っ最中です。母さんの理想を裏切る形で好き放題やってます」


「あはは。でも、親に反抗するって言うのも悪いことじゃないからな。子供と親の人格は別にある証拠だ」


「そう言ってもらえると気持ちが楽になります」


 そろそろ丁度いい頃合いだったので、唐揚げを油から引き揚げる。うん。中々いい色だ。


「ところで師匠のところはどうなんですか?」


「ん?」


「兄弟の話ですよ。たまには師匠のプライベートな話も聞きたいなって」


 多分いつものようにプライベートな質問は拒否されるだろうけど、ダメ元で訊いてみた。


「ん? そんなに私の家族のことが気になるのか?」


 なぜか満更でもない様子の師匠だ。


「え? ああ。はい。気になると言えば気になりますね」


「しょうがないな。そんなに気になるなら教えてやろう。Amber君も知っての通り、私には兄貴がいる。そして、弟が2人いるんだ」


「へー。男兄弟が多いんですね」


 確か、マルクトさんも同じこと言ってたな。匠さんには、妹1人と弟2人がいるって。あの情報は本当だったんだ。


「兄貴はAmber君も知っての通り、今は会社を立ち上げて実業家として活躍している」


「匠さんは昔から優秀だったんですか?」


「うーん……そうでもなかったかな。兄貴が小学生の頃は普通に悪ガキだったぞ。兄貴がちゃんと勉強を始めたのは受験シーズンになってからだな。真面目に勉強を始めたんだ」


 あの匠さんが小学生の頃は悪ガキだった? なんだかイメージがつかない。


「その勉強した理由っていうのが面白くてな。兄貴が好きな子が頭が良くて、一緒の高校に行きたいという理由だったらしい。当時は恥ずかしがって語ってくれなかったけどな」


「そうなんですか。いい話じゃないですか。それで恋は実ったんですか?」


「いや、高校に入ったら別の人を好きになって、結局告白すらしてないというオチだ」


「ええ……」


 これで恋が実って結婚していたら、物語のような素敵な青春だったけど現実はそういうことにはならなかった。


「まあ色々あったけど結果、高校も進学校に入ることができて、そこからは順調に伸びて行った。そして、大学の仲間と会社を立ち上げて今に至るというわけだ」


「そうなんですね。会社を立ち上げることに親はなんて言ってたんですか?」


「『お前の人生なんだから好きにやれ。ただし、金のトラブルだけは起こすなよ』って親父が言ってたな。ウチは割とそういうことが自由だったから」


 いいなー。羨ましい。俺も自由にさせてくれる親が良かった。


「んで、上の弟は現在大学生だ。なんというか……アウトドア趣味で遊び歩いている感じのやつだな。週末は仲間内を誘って釣りやキャンプや旅行に出掛けているタイプのやつだ」


「ああ。なんだか眩しいキャラですね」


「ああ。コミュ力で言えば兄弟の中で1番だな。全く知らない人とでもすぐに打ち解けられる。この前も全員初対面の状態で釣りに行ってたし」


「中々に度胸がある人ですね」


「そうだな。将来は冒険家になるとか言ってる」


「冒険家!?」


 まさか現代において冒険家になりたいという人がいるとは思わなかった。そのフリーダムすぎる職業をもし、俺がなりたいって言ったら父さんにすら反対されると思う。


「ああ。実際、アイツは自身の活動記録をまとめた本を出版しているからな。しかも結構売れてる」


「そうなんですか。それで親は何と言ってるんですか?」


「『1度きりの人生だから自由に楽しみなさい。でも、無謀なことはしてはいけない』と親父が言ってた」


「いくらなんでも自由すぎませんかね。Vtuberのキャラ設定じゃないんですから」


「アイツと比較したらVtuberって仕事は安定している方だ。命の危険もないしな」


 そういう問題なのだろうか。


「1番下の弟は……まあ、普通の高校生だな。今年高3で受験シーズンだから必死に受験勉強している」


「そうですよね。安心しました」


 師匠の家系は人と違うことをやらなきゃ気が済まない奇人の家系かと思ったけど、弟さんはそういうことはないようだ。


「さてと。それじゃあそろそろ食べようか」


 調理済みの唐揚げを皿に盛り付けた師匠。師匠が味付けをしてくれた唐揚げを食べる時がいよいよ来たのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る