第65話 琥珀の軌跡
俺は自室に父さんを招いて、パソコンを起動させた。そして、メッセージアプリを立ち上げる。
「今から見せるのは俺と師匠とのメッセージのやり取りだ」
「ふむ。プライベートなやりとりを第三者に見せていいのか?」
「ちゃんと師匠には許可取ってあるよ」
一部恥ずかしいから見せないでくれと言っていた箇所もある。そこは、除外して見せるつもりだ。
「そうか。それならいいんだ」
父さんは興味深そうにパソコンを見ている。俺は許可が出ている場所を抽出したログを父さんに見せる。
Rize:Amber君。今週は時間空いているか?
Amber:はい。大丈夫ですよ
Rize:なら、課題を出そう。今から数枚のデザイン画のファイルを送るから、そのキャラをモデリングしてくれ
Amber:わかりました。期日はいつまでですか?
Rize:そうだな。来週の日曜日まで受け付けている。日曜の23:59まで受けて付けている。月曜日になった瞬間アウトだ
Amber:了解です師匠。間に合うように調整しますね
「なんの変哲もない会話だな」
父さんは呟いた。確かに面白い会話をしているわけではない。俺と師匠の日常を切り取っただけだ。
「まあ、見ててくれ」
Amber:師匠。質問いいですか?
Rize:ああ。今、丁度手が空いているから構わない
Amber:このツインテールのキャラなんですけど角度的に右側のリボンしか見えないんです。左側のリボンも右と同じデザインでいいんですか?
Rize:ああ。よく気づいたな。実はこのキャラは左右でリボンの色が違う。実はそのことがわかる1枚の画像を抜いてキミに渡していたんだ
Amber:なんでそんなことしたんですか
Rize:気を悪くしないで欲しいのだけれど、キミを試したんだ。ちゃんとわからないことを質問できるのか。勝手な思い込みのまま作業をしてしまわないのか。明らかな不備に気づくだけの洞察力があるのか。これらの事柄は、クライアントと仕事をする上では技術以上に重要な要素になってくる。ただ、技術だけを身に付ければいいという訳ではないことをキミに知って欲しかったんだ
Amber:そうだったんですか
Rize:いくら技術があったところで、仕様と違ったものを作ったのなら評価は最低なものになるだろう。プロを自称している人にも、ここが疎かになっている人はいる。これは、クリエイターに限らず、社会人としては当然持っておきたいスキルだ。キミがもし、別の道を歩んで一般的な会社員になったとしよう。その時でも、これらの能力が備わっていれば大丈夫だ
Amber:ありがとうございます師匠。そこまで考えてくれているんですね
Rize:ああ。とりあえず最初の試練は合格だ。偉いぞ。ちゃんとした画像はまた送る。だけど、本番はこれからだぞ。きちんとした完成系を出すまでが課題だからな
Amber:はい。がんばります。またわからないことがあったら質問しますね
「なるほど……」
父さんは口元に手を当てて頷いている。父さんはなにか思うことはあったのだろうか。
「ちなみに師匠は頻繁にそういうことをしてくる。見抜けなかったら怒られるから、いつだって気が抜けないんだ」
「なるほどな。まだ続きはあるんだろ。見せてくれ」
思いの
父さんはCGについて明るくない。だから、CGの技術面で押しても全く意味がない。父さんが俺について心配しているのは、CG以外のことだ。それ以外にも、きちんとした調整能力があることを証明できれば、父さんだって認めてくれるはずだ。
Amber:師匠。課題ができました
Rize:早いな。まだ締め切りまで1週間前だぞ
Amber:師匠に早く完成系を見て欲しかったんです。そうしたら、時間が経つのを忘れて作業に没頭してしまいました
Rize:そうか。それじゃあチェックさせてもらう。
Rize:チェックは終了した。全体的なバランスは取れているけれど、ディテールが甘いところがある。その箇所を指摘したテキストファイルを送るから、確認してくれ
Amber:見てくれてありがとうございます師匠。師匠も忙しいのに、いつもすみません
Rize:構わないさ。本当の繁忙期だったら、ログインすらまともにできない。今はまだ余裕がある方だ。それにAmber君はいつも余裕を持って提出してくれるからな。こちらもチェックする時間に余裕ができるというものだ
Amber:いえ。締め切りを守るのはクリエイターとして当然のことですから
Rize:そうだな。どんなに優れた作品でも、期日までに納品されなければな。最悪、陽の目を浴びることもなくなるかもしれない。それだけ重大なことだ
「嘘だろ……」
父さんは目を丸くして驚いている。一体なにがそんなに驚く要素があったのだろうか。
「あの琥珀が期日より1週間前に作品を完成させた? 小学生の頃、夏休みの宿題を期日までに終わらせなかった、あの琥珀が?」
「そんな昔の話を持ち出すんかい」
そんなこと俺もすっかり覚えてない。でも、父さんの記憶にはハッキリと残っているようだった。
「夏休み最終日に慌ててやるかと思ったら、『やったけど忘れましたと言えば、期日を延長できるんだよ』とか言って、勝手にアディショナルタイム作ってたよな」
「ああ。それよくやったな」
父さんに言われてようやく思い出した。確かに、昔の俺だったら締め切り意識なんてなかったのかもしれない。そのイメージが強かったのならば、父さんが不安になるのも無理はなかったのかも。期日を守る気すらなかった俺がちゃんと仕事をできるのか。父さんの立場からしたら確かに不安だろう。
「琥珀も成長したんだな。俺が海外に行っている間に、こんなにも立派になって」
父さんは噛み締めるように言った。
「あれから何年経ったと思ってるんだよ。俺だって期日や約束を守れるように成長しているさ」
最初は本当に作業が楽しくて、没頭していただけだった。だけど、期日を守ったことを師匠が褒めてくれることで俺は変わった。憧れの師匠に褒められたくて、ちゃんと期日を守るようになったのだ。
「琥珀。いい師匠を持ったな。この師匠には琥珀を安心して任せられる」
「ああ。自慢の師匠だ」
誰に対してだって、胸を張ってそう言える。技術的なこと以外だって教えてくれるし、そのお陰で俺は成長できた。
「そっか、琥珀もいつまでも子供のままじゃなかったんだな。琥珀。師匠の言うことを良く聞いてがんばるんだ。特に報連相や確認作業は大事だぞ。本当にこれだけは怠らないでくれ。じゃないと父さんはまた心配になるから」
「なんでそこを念押しするんだよ」
「いやな。父さんの職場にもロクにチェックもしないで、不備だらけの書類を通すやつがいてな……思い出しただけで頭痛くなってくる」
「父さんの職場にもそんな人いるんだ」
「琥珀。残念なお知らせがある。そういうやつはどの世界にもいる。それが社会というものだ」
父さんの物悲しそうな表情が社会の厳しさを物語っているような気がした。
「琥珀。300万円という数字は大金だ。当然、親の扶養から外れることになる。琥珀はこれから税金を納める立場になるんだ。それはつまり、国民としての義務を果たすということ。大人の仲間入りをするということだ。その重さを忘れるんじゃない」
「じゃあ……」
「ああ。琥珀。やってこい。もしかしたら、琥珀が思うよりも辛いことがあるかもしれない。想像が希望に満ち溢れているほど、『こんなはずではなかった』と思ってしまうものだ。でも、それは夢追う者がみんな経験してきていることだ」
俺は父さんの発言に相槌を打つ。
「それから、先方とはちゃんと連絡を取るようにするんだ。社会人にとって最も大切なことは報連相だ。それさえ怠らなければ、大体の場合は致命傷は避けられる」
「わかった」
「後、質問の答えをきちんとしないなら、その会社はもう信用しない方がいい。他にも質問を嫌ったりするのもヤバい会社だ。それから、それから」
父さんは俺に色んな情報を詰め込もうとしてきた。1度に言われても覚えられるわけないのに。でも、父さんが俺のことを心配だからこそ言ってくれているんだ。そこは受け入れよう。
◇
Amber:師匠。なんとか父さんの許可をもらえました
Rize:おお。やったな
Amber:そういえば、父さんが『師匠になら俺を任せられる』って言ってましたよ
Rize:え? それはまだ気が早いんじゃないのか?
既に師弟関係が出来上がっているのに気が早いとは一体……?
Amber:俺は早いとは思いませんけど
Rize:そうか。Amber君がそう言うならそうかもな
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