第64話 琥珀の気持ち

 俺の気持ち。それはなんだろうか。父さんに諭される前なら、この案件はすぐにでも飛びつくレベルだ。しかし、金額の大きさと責任の重大さに気づいた今では即答できる質問ではなかった。


Amber:この仕事をやりたい気持ちはあります。けれど、不安な気持ちも出てきました。俺は仕事に対する責任というものが良くわかってなかったのかもしれません


 個人で活動していた今の今までが責任という意識が希薄すぎたのだ。


Rize:うん。そうだな。そういう不安な気持ちは大事だ。失敗を恐れない人も中にはいる。だが、そういう人たちは過去に十分な経験を積んだり、色々なことを学んだり、周囲の人間と適切な信頼関係を築いた人たちだ。要は、思い通りにいかなかった時の対処法を心得ている人だ。


Amber:俺はまだその域に達していないってことですね


 俺は図に乗っていたのかもしれない。3Dモデルの出来を色んな人に褒められていたせいで、自分は万能だと思い込んでいたのだ。けれど、そういったクリエイティブな技術を取っ払えば、俺はまだまだケツの青い高校生にすぎないのだ。


Rize:それを恥じる必要はない。Amber君は年齢にしては経験を積んでいる方だ。失敗を恐れてなにも行動しないのはもちろんダメだが、実力や経験不足を自覚しないまま無策で突っ込むのも褒められたことではない。お金が絡むようなことは怪我じゃ済まなくなる可能性だってあるからな。キミのお父さんは、きっとそのことに気づいて欲しかったんだと思う


 師匠は本当に凄いな。俺が本当に求めているアドバイスを的確にしてくれる。年齢は姉さんと近いはずなのに、こんなにも人間としての出来に差があるなんて。そう考えると、人生は呆けてられないなと思う。俺も将来はこうした意識を持てる大人になりたい。ただ、年齢を重ねただけの大人になんてなりたくない。


Amber:師匠。ありがとうございます。俺が進むべき道が見えたような気がします


Rize:うん。その意気だ。この案件を受けるにしろ受けないにしろ。キミの心は大きく成長すると思う。正解は私にもわからない。けれど、キミが考えた末の選択は正解だと思う。逆に、同じ選択肢を選んだとしても考えなしで選んだのならそれは間違いだ


Amber:なんか深いですね


Rize:兄貴が言っていたことだ。どの選択が正解かを考える以上に、どの選択をしても正解になるように頭を使うのが成功への第一歩だってな


 その言葉が俺の胸に刺さった。確かにそうだ。俺は1度は夢見た画家の道を諦めた。消極的な選択だけど、俺はこれはこれで良かったと思っている。それは、俺が代わりの夢を探して、努力するための目標を見つけられたからに他ならない。もし、俺が別の夢を探すことをしなかったのなら、なんの夢を持たないただの人になっていたかもしれない。そうしたら、今みたいな充実した日々を過ごすことはできなかっただろう。灰色の日常で画家になる夢を諦めなければ良かったと後悔するかもしれない。


 もし、俺が画家になる夢を諦めずに、勇海さんのような絵を描けるように目指していたら、それはそれで正解の道だったのかもしれない。だけど、ただ漠然と諦めるのがカッコ悪いとかそんな理由で絵を描き続けていたとする。そうしたら、画家として大成できずに惨めな人生を送っていたのかもしれない。


 選択するのはゴールじゃない。スタートなのだ。いくら最適のコースを選んだとしても、走らなければゴールすることはできない。そして、俺は良く考えずにコースを選ぼうとした。どれくらいの危険があるコースなのかも考えもしないで。選んだだけで勝手にゴールした気にすらなっていたのだ。


 その点を踏まえてもう1度考えてみよう。選択した先の未来を考えて……



 俺は、もう1度父さんと話をすることにした。


「父さん。俺、やっぱりあの仕事やりたい」


「そう言うと思ったよ。俺と母さんの息子ならな」


 父さんは俺の言葉を意外とも思わずに流した。なんだか父さんの手のひらの上で転がっているような気がして、複雑な感情だ。父さんの凄さがわかって嬉しいのやら、自分の単純さに呆れるような。


「確かに父さんの言う通り、300万円の重さを俺は知らなかった。1つの案件だけで個人の報酬として300万円が動く。しかも、それの一端を担うのが高校生である俺だ。そのことに気づいた時に俺は自分が浅はかな考えをしていたとわかったんだ」


 その重さを知ったら諦めるのも手だろう。俺は高校生で、自分で言うのも難だけどまだ若い。チャンスなんてそこら中に転がっている。もっと経験を積んで、年齢も重ねて責任取れる大人になる。そうしてから、色んな仕事に挑戦するのも選択肢としては有りだ。


 お金だって欲しいけれど、現状では3Dモデルの売上とVtuberでの収益がある。余程のことがない限りはお金には困らないと思う。


 でも、俺は挑戦してみたかった。


「俺の気持ちは正直言って、不安と恐怖が大きい。失敗したらどうしよう。仕事のこととか、業界のこととか、そういった事情に明るくない俺が迷惑をかけてしまうかもしれない。そう思ったら急に怖くなってきたんだ」


「ああ。その気持ちはわかる。父さんも初めて仕事をした時はそうだった。1つのミスをしただけで申し訳ない気持ちでいっぱいになった。先輩は『新人なんだからミスくらいするさ』と笑ってくれた。今思えば、本当に笑えるくらい些細なミスだ。でも、当時は本当に生きた心地はしなかった」


 父さんは俺の気持ちに寄り添ってくれた。初めての経験というものは印象に残りやすいという話を聞いたことがある。それは初めての仕事上でのミスでも同じことなんだと思う。父さんも中年男性だけれど、初めて仕事をした時のことを未だに憶えているってことはそうなんだろう。


「父さんの言う通り、確かに失敗は怖い。けれど、その恐れの感情以上に俺の中でのワクワクした想いや挑戦してみたい熱い心があるんだ。この感情は上手くいえないけれど……かつて、俺が無謀にも大人と同じ絵画コンテストに出した時。採算が取れるかどうかもわからないのに高スペックのパソコンを買った時と同じ胸の高鳴りなんだ」


「まあ、コンテストに下手な絵を出したところで誰にも迷惑はかからないし、パソコンだって無駄にはなりにくいからな。ダメ元で挑戦してみるのも悪くなかったのかもな。でも、今回は他人のお金が絡む以上、感情だけの安易な選択はできない問題だ」


 やはり、そう簡単には説得できないか。父さんは、俺を守ろうとしてくれている。そのことはわかっている。だから、これは俺自身の決断でもあると同時に、父さんの決断でもあるのだ。


 それに、いくら俺がもしもの時は責任を取ると言ってもそれは無理があるのだ。法的には責任を取らなきゃいけないのは保護者の父さんだ。その事実に気づいた時には、俺も躊躇った。父さんに迷惑をかけてしまう可能性があるのが怖かった。


 それでも、俺は進まずにはいられなかった。そう言ったリスクも込みで考えても、ギリギリのところでやりたい気持ちが勝ったんだ。


「安易な考えって思われても仕方ない。けれど、積んできた経験は少ないながらも、俺にはこの仕事を成功させるだけの根拠はちゃんとある」


 父さんの言葉があったからこそ、自分の内側に目を向けることができた。そして、答えを導き出すことができた。


「父さん……今から父さんに見せてあげるよ。俺の今までの努力の成果を。それで信用して欲しい。俺が300万円の責任を果たせる男だと」

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