第58話 交わる二色

 今日はHiroさんと会う日だ。洗面台の鏡に立って念入りに髪を梳かす。


「ハク兄。どうしたの?」


 背後から真珠の声が聞こえた。


「さっきからずっと髪を梳かしてるじゃない。もう1時間くらいずっと洗面台にいるよ」


「え? そんなに?」


 憧れの人に会うということで身だしなみに気を遣いすぎてしまったか。


「それにその余所行きのお洒落な恰好。友達に会いに行くにしては……あ」


 真珠がハッとした表情を浮かべた後に、口角をあげてこちらに近づいてきた。


「ハク兄。ついにやったね」


「なんだよ」


 ニヤついてくる真珠の顔に腹が立つ。この人を冷やかすような笑みが鬱陶しく思える。


「そっかー。そっかそっかー。あ、ハク兄。どうせなら香水とかも付けた方がいいかもね」


「香水?」


「そう。女の子って匂いフェチな子が結構いるからね。見た目だけでなく、そういう所にも気を遣える男性って割と好印象持たれやすくて……」


「何言ってるんだ。真珠。俺が今から会いに行くのは男だぞ」


「え?」


 真珠の表情が固まった。そして、一瞬微妙な表情を浮かべて唇を噛みしめた後に、俺の肩に手を置いた。


「わ、私はハク兄の味方だから。世間が冷たい目で見たとしても私は理解あるから!」


「何言ってんだお前」



 俺は、待ち合わせの時刻に待ち合わせの駅前に着いた。Hiroさんは遠く離れたところに住んでいる。わざわざ来てもらうのは申し訳なかった。俺がHiroさんのところに行くと提案しても相手側から「高校生に金銭的に負担をかけさせるのは申し訳ない」として、断固拒否されたのだ。


 しかし、待ち合わせの時間になっても中々来ないな。心配になった俺はスマホを確認した。すると、そこにメッセージが届いていた。


『ごめん。Amber君。電車乗るの初めてだから乗る電車間違えた』


 ええ……まあ、地方は都心に比べて電車を利用する人が少ないと言うし仕方のないことなのだろうか。こっちでは小学生でも1人で電車に乗れるというのに。


『重ねてごめん。Amber君。妹に迷子になったことを伝えたら、妹も一緒に付いて行くとか言い出した。妹同伴になっちゃうけどいいかな?』


 なんだろう。この複雑な感情は。別に妹さんが来たら嫌だということではないけれど。友人間で遊んでいる時に、異性の兄弟が割って入ってくるのって、気を遣うとかそういう次元の話ではないと思う。Hiroさんがいいならいいんだけど、もし姉さんが間に割り込もうとしたら俺は全力で拒否する。真珠は百歩譲って許せるけれど、姉さんは無理だ。


『俺は別に構いませんよ』


 Hiroさんが同伴してもいいと思うくらいだから、きっとしっかり者の妹さんなんだろう。


『ありがとうAmber君。後2駅くらいで着くから待ってて』


 俺は了解の意味を表するスタンプを送ってHiroさんを静かに待つことにした。待っている間何もしないのも時間がもったいないのでSNSでもチェックするか。マルクトさんがなにやら呟いてるな。


『あらやだ。セフィロトプロジェクトの新メンバー募集ですって。また私に後輩ができちゃうのかしらねえ。私の後輩になって可愛がられたい子がいたら応募してね』


 へー。匠さんのところは新たなVtuberを募集しているんだ。こういうある程度、箱人気がある企業勢はスタートダッシュが有利で安定しているからな。まあ、既に個人勢でやっている俺には縁のない話だ。


「あの……キミがAmber君だよね?」


 俺の眼前に2人の男女が現れた。男性の方は、髪を切ったばかりなのか、短くまとまっていて中々にサッパリとした容姿だ。着ている服も履いている靴も結構真新しい雰囲気だ。今日のために新調してくれたのだろうか。不健康そうな色白であんまり太陽の下には出ていないインドア派っぽい雰囲気だ。


 女性の方は、俺より少し年上だろうか。隣の男性と比べると肌も健康的だ。化粧もそんなにしていないっぽいし、服装も特に着飾った雰囲気ではない。急いで身支度を整えてきたという雰囲気を漂わせている。ただ、なんだか表情が硬いというか、俺をあんまり歓迎していない感じだ。なんだろう。初対面の人に嫌われるほどのことをした覚えはないんだけどな。


「はい。もしかして貴方がHiroさんですか?」


「うん。そうだ。俺はネット上では緋色という名前で活動している。でも、今日はその……椿 勇海というネット上での仮面を被ってない状態でキミと話したいんだ。だから、俺のことは勇海と呼んで欲しい」


「そうですか。では、俺もAmberではなくて、賀藤 琥珀ですね。勇海さん」


「ああ。よろしく琥珀君」


 俺は勇海さんと握手をした。隣の女性。恐らく妹さんは、あんまり面白くなさそうな顔をしている。


「えっと。こっちは妹の莉愛りあだ」


「椿 莉愛です。いつも兄がお世話になってます」


「いえいえ。こちらこそ勇海さんには、いつも動画編集のことで相談に乗ってもらっているので助かってます」


「その……私まで一緒に来てしまってすみません」


 莉愛さんは頭を下げた。こちらとしては、そこまで迷惑に思っているわけではないので、頭を下げて謝られても逆に困る。


「だ、大丈夫です。そんなに気にしてませんから」


「そうだ。莉愛が謝ることじゃない。悪いのは全部俺だ」


 確かに。勇海さんが迷わなければ、莉愛さんも一緒に来ることはなかっただろう。というか駅構内で迷子になるくらいだったら、こっちから行ったのに。大人しく自分の家の最寄り駅で待ってて欲しかった。


「いえ。お兄さんは立派です。自分から未知の世界に飛び込もうとしたんですから」


 莉愛さんが聖母のような包容力がある表情で勇海さんを見つめている。なんだ。俺を見る時の目と全然違うじゃないか。


「立ち話も難ですし、どこか近くのカフェにでも入りましょう。案内します」


 ここは土地勘がある俺が、リードしなくてはな。きちんと話し合う店も確保済みだ。


 駅から徒歩2分くらいのところにあるカフェ。ここは個人経営の店で、マスターが趣味で描いた絵画が飾ってある雰囲気のいい店だ。ちなみに絵画は全然上手くない。技術も独創性も芸術性もセンスの欠片もない。だけど、店のインテリア選びやゆったりとした店内BGMのセンスはあるので、そこで誤魔化している節はある。


「いらっしゃい琥珀君。おっと、今日はツレが一緒かい? なら好きなテーブル席に座りな」


 グラスを拭いているマスターに声をかけられた。マスターはなんでいつもグラスを拭いているんだろう。他に客もいないし、やることないから暇つぶしでやっているんだろうか。ちなみに、俺はこの店に来るのは2回目だ。2回目で既に名前を憶えられている。マスターの記憶力がいいのか、他に客がいないから覚えられているのか、それとも両方なのか。まあ、どうでもいいかそんなことは。


「はーい。じゃあ、この席に座りましょうか」


 俺は適当なテーブル席を選んでそこに座った。勇海さんと向かい合う形で、はす向かいに莉愛さんがいる席配置だ。


 席に着いてからは、それぞれメニューから飲み物を選び注文した。飲み物は存外すぐに来た。俺はそれに口を付ける前に、どうしても言っておきたいことがあった。


「勇海さん。俺、その本当に勇海さんの絵に憧れていたんです。あのコンテストに参加した絵の中で勇海さんの絵が一番だと思います。それだけあの絵は凄かったんです。あの絵には俺では絶対に表現できないような、凄いもの……魂が込められていたんです」


 俺は素直な気持ちをぶつけた。ずっと、この言葉を勇海さんに言いたかった。自分の好きを伝えたかった。クリエイターとしての目線じゃない。1人の鑑賞者としての感想。それを伝えたかった。


「あ、ありがとう琥珀君。俺もキミの絵を見て凄いと思った。小学生とは思えないほどの技法を効果的に使っていて、自分の絵の強みを理解している。そういう感じの絵だった」


 憧れの勇海さんに褒められてなんだかむず痒い気持ちになった。だが、それと同時に俺の心にはなにかが引っ掛かった。


 自分の絵の強みを理解しているか……もしかしたら、俺は自分の絵のことを理解しすぎていたのかもしれない。俺は強みを理解しているのと同時に決して埋めることのできない弱みまで悟ってしまったのだ。

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