第35話 妹の彼氏
「琥珀。作戦会議するよ」
姉さんが実家のリビングにやってきて、ソファに座った。俺も姉さんの対面に座り、呆れながらも付き合うことにした。
「まず、撮影の問題をどうやってクリアするかだね」
「とりあえずちゃんとした機材を確保するまではスマホで録画でいいんじゃない?」
実際、スマホで録画している動画投稿者もいる。今はスマホ1台でVtuberにもなれる時代なのだ。ちゃんとした機材を使った場合には劣るけれど十分見れる動画は撮影できる。
「うーん。エレキオーシャンのメインチャンネルの方はちゃんとした機材を使っているから高画質、高音質なのよね。多分、私のチャンネルを見に来てくれる人はメインチャンネルを見ていると思うから、そこで品質を落とした動画だとその落差で人が離れちゃうかも」
姉さんにそこまで考える頭があったことに驚きを隠せない。きちんと視聴者やファンのことを考えている辺りは流石、エンターテイナーというべきか。
「メインチャンネルに使ってる機材を借りられないのか?」
「うーん……あれはみんなのお金で買ったものだから、個人の所有物にできないんだよね。機材の管理やら扱いやらはリゼがやってくれているけど……私が機材に触ろうとしたら、あの子怒るんだよ」
確かに。俺がリゼさんの立場だったらお高い精密機械を姉さんに触らせたくない。
「個人チャンネルで得た収益は個人の好きにしていい代わりに、それにかかる経費は自分でなんとかしろっていうのが方針だから、借りることはできないかな」
姉さんが頭を悩ませている。考えて考えて考え抜いた結果、姉さんは顔を上げた。
「そうだ。お兄ちゃんから追加融資を得ればいいんだ。今更借金が増えたって、大差ないって」
「それやったら、着拒じゃ済まない事態になるからやめた方がいい」
明らかに借りる側の発想とは思えないくらい、雑な思考。貸してる方からしてみたら、追加でお金くれと言われたらたまったものじゃないだろう。
姉さんに対する周囲の人望のなさに呆れていたその時、ガチャリと玄関の扉が開く音がした。そして、真珠の声で「ただいま」と、続けて若い男性の声で「お邪魔します」と聞こえた。
「あ、お姉ちゃん帰ってたんだ」
「あ、どうも。こんにちは。お邪魔します」
真珠と同じ背丈くらいの爽やかな外見の男子が家に入ってきた。どことなく雰囲気は儚げで、ボーイッシュな外見の真珠に対して大人しそうな印象を受ける。
「紹介するね。私の彼氏の
「初めまして。よろしくお願いします」
時光君はこちらにペコリと頭を下げた。俺と姉さんも釣られて頭を下げる。
「私は真珠の姉の真鈴だよ」
「俺は琥珀。よろしく」
それぞれ自己紹介が済んだ。まさか、姉さんがいる時に妹の彼氏と遭遇するだなんて思いもしなかった。
「ねえ。なんでお姉ちゃんがここにいるの?」
「ふふふ。よくぞ聞いてくれました。私はなんと動画を投稿することになったのだ! 凄いだろははは!」
なぜか自慢げに言う姉さん。いや、投稿するも何もその前段階で頓挫しそうになっているんだけど。
「へえ。お姉さんも動画投稿しているんですね」
時光君が姉さんの話に食いついてきた。人懐っこい笑顔を姉さんに向けている。なんだろう。この人たらしそうな好青年は。本当にあのガサツな真珠の彼氏なのだろうか。
「実は僕もライブ配信やってるんですよ。まだまだ弱小配信者ですけどね」
まあ、確かに見た目は爽やかな中性的な好青年だし顔出しすれば、女子に人気は出そうなタイプである。
「そ、そうなんだ。ちなみに時光君はどうやって、配信機材を揃えたの?」
姉さんの質問に時光君は少し考える仕草を見せた。
「うーん。あんまり褒められたことじゃないんですけど、僕は最初はスマホで配信してたんですよね。でも、もっといい機材が欲しいなって配信で呟いたら、ファンの人が機材を送ってくれたんですよ。僕はそんな気がなかったのに、催促したみたいでなんか申し訳なかったな」
時光君の話を聞くや否や姉さんは「その手があったか」と言い手を叩いた。なんか嫌な予感がするんだけど。
「琥珀。アンタの同級生に私のファンがいたよね?」
「断る」
「まだ最後まで言ってないよ!?」
流石に政井さんと関わりたくない……じゃなかった。政井さんを巻き込みたくない。それに高校生にたかりだしたら、本当に人間としてどうかと思う。
「お姉ちゃん。まだ機材とか用意してないの?」
「うん。そうなんだよー。お金がないのー」
真珠の質問に切実な回答をする姉さん。その気持ちは痛い程よくわかる。俺もほんの1カ月前までは極貧生活を強いられていた。今は今月末に大金が入ってくるのが確定しているから精神的な余裕はある。
「お姉さん。良かったら僕の機材を貸しますよ」
「え? いいの?」
時光君が姉さんに救いの手を差し伸べた。それになんの躊躇もなく食いつく姉さん。中学生から施しを受ける21歳が自分の姉だなんて思いたくない。
「はい。実は、僕に機材を送ってくれたファンは1人じゃないんです。2人のファンから機材を送られてきて、ダブってしまったんです。僕としては必要な機材一式が揃っていればいいので、お姉さんにお貸しできますよ」
いくら彼女の姉とはいえ、初対面の人間にここまで優しくするなんて。この時光 翔也って子は相当いい子だ。真珠。いい彼氏を見つけたな。
「翔ちゃん。お姉ちゃんを甘やかさなくてもいいよ。お姉ちゃんは1度痛い目を見た方がいいんだから」
「真珠。黙りなさい」
辛辣な真珠に釘を刺す姉さん。俺もどちらかと言うと真珠の意見に大賛成だ。
「それでは、今度機材を送りますね。一応、カメラやマイクとか必要なものは揃っていると思うので、それで挑戦してみてください」
まさか、妹の彼氏に助けられることになるとはな。人生なにが起こるかわかったものじゃないな。
◇
彼女の真珠ちゃんの家に遊びに行った日の夜。僕は、自室へと戻って機材の確認をした。開封しないまま閉まってある機材がきちんとあることを確認する。このままずっと押し入れの肥やしになるだけかと思ったけど、使い道ができて良かった。
さて、今日の配信を始めるか。
「はい。みんなー元気してた? トキヤだよ」
俺の配信を心待ちにしていたファンからコメントが寄せられる。その中の1つに「今日は配信遅かったけど、まさか女?」ってコメントがあった。鋭い。実際、僕は彼女の家に行っていた。でも、配信者トキヤの設定では彼女はいないことになっている。これは嘘をついて隠し通すしかない。
「『今日は配信遅かったけど、まさか女?』いやいや。僕に彼女いないってみんな知ってるでしょ? 僕あんまり学校じゃモテてないからね」
「うそー」「モテそうなのにー」そんなファンからのコメントがチラチラと目につく。そう思ってもらえるのはありがたいな。でも、僕はあんまり普通の女の子にモテても嬉しくない。
適当に雑談して1時間くらいが経った。そろそろ配信を切り上げるか。
「あ、この後用事があるからそろそろ配信切るね。みんな来てくれてありがとう。じゃあまたねーバイバーイ」
僕はそう言って配信を切った。そして、クローゼットを開けて着替えをする。鏡を見て、自分の顔を塗り替えていき、ウィッグを被り、僕は私に変わった。
私は表向きは真面目で品行方正な好青年を演じている。けれど、この時間帯だけは自分を解放できる。
そして、私が持っている表のチャンネルとは別の裏のチャンネルに切り替えて配信をスタートする。裏と言ってもこっちの方が人気あるんだけどね。表のチャンネルも動画配信していることがバレた時のカモフラージュ用。
「ふう。間に合ったー。今日も定刻通り配信開始できたよーえへへ褒めて褒めて」
暖かいコメントに迎え入れられる。このチャンネルの視聴者層は成人男性が多い。世の中には女装少年が好きな層というのが存在する。私はそんな彼らの需要を満たす存在。
私は女装癖があるものの女の子の方が好きだ。でも、あんまり女の子っぽい女の子は好きじゃないというか。どっちかっと言うと男性的な強さを持っている女の子に惹かれるのだ。だから、真珠ちゃんと初めて会った時、衝撃を受けた。こんなに私の理想のタイプにぴったりと合致する子がいるんだと。
別に女の子になりたいわけじゃないし、性自認は男性である。ただ、女装して可愛くなった自分を見ず知らずの人間に見て欲しいだけなのである。
それにしても、真珠ちゃんのお兄さん……琥珀さんって言ったっけ。彼の声も衝撃的だったな。僕は結構女声を練習して出せるようになったのに、あの人は天然で中性的っぽい声をしている。そこは少し羨ましいなと思った。
でも、なんだろう。琥珀さんとはなにか自分とは近しい匂いを感じる。同類……ではなさそうだけど。人に言えない秘密を抱えている。そんな雰囲気が感じ取れた。
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