第34話 マリリンの個人チャンネル開設

 俺がいつものように姉さんのマンションに行った日のことである。歌のレッスンも終わった頃、姉さんが真剣な表情で俺を見てきた。このアホな姉さんでもシリアスな空気を出せるんだ。


「琥珀。アンタに大事な話があるの」


 決して茶化す隙など与えない。そんな雰囲気を醸し出している姉さん。俺も真剣に話を聞いてあげることにした。


「なに?」


「実は、私が結成したバンド……エレキオーシャンに関する大切なお話なの」


 俺はこの瞬間察してしまった。十中八九大した話ではないと。こんなものは動画投稿サイトにはよくありふれている。


 みな様に大切なお知らせがあります。〇〇(投稿者名)からのお知らせです。そういう視聴者の不安を煽るようなタイトルとサムネを作る。いかにも引退とか解散とか嫌な雰囲気を匂わせておいて、大して重くないお知らせをする。わかってるんだ俺は詳しいんだ。


 俺は鼻をほじりたくなる衝動を抑えて、表情を崩さずに姉さんの話を聞くことにした。


「実は……実は……」


 実はって何回言うんだよ。早く本題を切りだせ。


「エレキオーシャンのメンバーがそれぞれ個人チャンネルを持つことになりましたー! イエーイ!」


 先程の神妙な顔から一転、満面の笑みで俺を煽ってくる姉さん。なんだこのウザい生き物は。


「まあ、元々ヴォーカルのMIYAは個人でゲーム実況動画を上げてたんだけどね。それに追随する形で、私もドラムのフミカも個人チャンネルを持つことになったんだ。ギターのリゼは忙しいから、そんなことをしている暇はないってキッパリ断ったけど」


 リゼさんに関しては、そりゃそうだろとしか言いようがない。本業がある中、あれだけのクオリティのMVを作っているんだ。個人で動画を作る暇なんてないだろう。


「そこで琥珀。お願いがあるんだけど」


「断る」


「まだなにも言ってない!?」


 姉さんの次に言うことはわかっている。どうせ、自分じゃ動画を投稿できないから、手伝ってくれだろ。アホな姉さんに撮影とか編集とかアップロードとかできるわけがない。その辺は想定済みだ。


「そんなこと言わないでお願い。琥珀。お姉ちゃんの頼みを聞いてよ」


「いや、俺も忙しいから。撮影とか編集くらい自分でやれって」


「なんでわかったの!?」


 俺の名推理に驚く姉さん。むしろ、この流れでわからないとでも思ったのか。


「お願い琥珀。今、エレキオーシャンは大事な時期なの。乗りに乗っている時期。その時に個人チャンネルが成功すれば、それも収入源になる。そうしたら、バンドの活動費にも充てられるし、上手くいけばバンドだけでご飯が食べていけるようになるんだよー」


 俺の腕にしがみ付く姉さん。鬱陶しいな。


「お願い。私には琥珀しか頼れる人がいないの」


「真珠に頼めばいいだろ」


 真珠は、まだ中学生。ギリギリお小遣いを貰えている。だから、部活と彼氏のデート以外で忙しい時期はないだろう。働いてないんだから。


「あの子はガサツだから無理でしょ。絶対カメラがブレブレになるし、編集も私がやった方がマシなレベルで雑なものが出来上がるでしょ」


「確かに」


 兄弟の中で一番、スポーツが得意な真珠。勉強も文系科目はそこそこできるが、性格が粗っぽくて細かい作業が苦手だ。あいつが動画編集したら恐ろしいことが起こるだろう。字幕を変な位置に被せたり、タイミングがあってなかったり、音量のバランスが滅茶苦茶で演者の声が聞こえ辛かったりすることが容易に想像できる。


「じゃあ兄さんでいいだろ。兄さんならパソコンの扱いが得意だろ」


「残念でしたー。お兄ちゃんにはまだ着拒されてますー。連絡取れませーん」


 自分で言ってて悲しくならないのか。というか、まだ30万円返してないのかこの女は。


「こういうのが得意そうなリゼに相談したんだけどね。『これ以上、私の仕事を増やすつもりなら殴るぞ』って言われた」


 どこに行っても姉さんは雑な扱いを受けるのか。リゼさんも姉さんのお守をして大変だな。


「じゃあ、MIYAさんに頼めばいいじゃないか。既に個人チャンネル持っているんでしょ?」


「MIYAは既にフミカとよろしくやってるんだよ。チクショー。『フミカに編集の仕方教えるから、マリリンには教えられないんだーごめんね。あはっ』って……ひどくない?」


 多分酷いのは姉さんの理解力あたまだろう。普通なら、ついでだから、一緒に教えるってことをしてくれると思う。けど、姉さんがアホだから教えるのにかなり時間がかかることを予測して危機回避したんだろう。MIYAさんも姉さんの扱い方をわかってるんだな。流石、同じバンドのメンバー。


 なんというか。姉さんって本当に雑な扱いをされているんだな。なんだか可哀相になってきた。バンドを結成できたってことは人望がないわけではないと思うけど。


「琥珀ー。お姉ちゃんを助けると思って、ね? お願い。たった1人の姉じゃない」


 俺はそのたった1人の姉の存在を友人にはなかったことにしているんだけどなあ。


「わかったよ。もう……姉さんの動画手伝うから」


「やったー。ありがとう。流石琥珀」


 姉さんが俺の頭を撫でてきた。姉に撫でられてもいい気はしないので、俺はその手を払いのける。


「もう、琥珀ったら照れ屋なんだから」


「それで、なんの動画を撮るんだ?」


「うーん。MIYAはゲームが得意だから、ゲーム実況をしているでしょ。フミカは、頭がいいから解説や考察系の動画を出すって言ってた。だから、私も得意な料理で挑戦しようかなって思うんだ」


 料理動画。なんだか、嫌な思い出しかない単語だな。アレがきっかけで炎上したし、ファンには弄られるし。チャンネル登録者数が増えたのは嬉しいけれど、もっと別の軸で評価されたかったな。


 でも、料理動画というコンセプトは悪くないと思う。既に供給過多なジャンルではあるが、その分見る人が多い。目を引く要素があれば、一気に視聴者を獲得できる金鉱脈なのだ。


 ただ、最近ではプロの料理人や料理研究家という肩書きを持っている人も投稿しているし、料理系の肩書きがない姉さんは少しスタートダッシュが不利だろうか。姉さんは一応、調理師免許は持っていたはずだけど、アピールポイントにはならないかな。


 まあ、とにかく実際に行動してみないことには始まらないな。行動したからと言って成功するとは限らないけれど、行動しなきゃ成功者にはなれないんだ。


「撮影機材とかはあるの?」


 撮影機材がなかったらそもそも詰みだよな。俺が持っているのは兄さんから譲り受けたウェブカメラしかない。料理動画の撮影には向かないだろう。


「それがね。バンドのお金を管理しているフミカに相談したんだけど、『活動費からは撮影機材のお金を出せません。自分で買って下さい』だって。もう! バンド活動の一環だから、お金出してくれたっていいじゃない」


 詰んだ。撮影機材がないなら、そもそも動画が撮れない。姉さんが機材を買うほどのお金を持っているとは思えない。


「あの、なんていうの。変なVtuberとコラボした、MV? あれがヒットしたんだよ。相当広告収入で稼いだはず。私にも還元して欲しいよ」


 弟が作った3Dモデルを変なVtuber呼ばわりしやがったよこいつ。自分が心血注いだものをディスられた気がして士気が下がった。姉さんに悪気がないのはわかっているから、責められないけど。ショコラの正体が俺だって知っていたら、流石の姉さんもそんな発言はしないのがわかっているだけに。


「姉さん。広告収入はすぐに入ってくるわけじゃないんだ」


「え? そうなの?」


「うん。収益額が確定した月の次の月末にやっと振り込まれてくる。MVは今月の頭に投稿されたから、その広告収入が入ってくるのは来月末だよ」


「え? じゃあ、私が開設した個人チャンネルも収益が入ってくるのは来月末なの?」


「いや、そもそも収益審査通らなければ、お金貰えないよ」


 そんなことも知らないで動画投稿しようとしていたのか。なんというか下調べが甘いな。


「そ、そうなの!? ど、どうしよう。お兄ちゃんに30万円をすぐに返せるアテができたって言っちゃった」


「ああ、それは多分大丈夫だと思う」


「え?」


「多分、兄さんはその話信じてないと思う」


「そ、そんなことない……よね?」


 自分のことなのに断定できないのか。撮影機材もないし、なんか前途多難だな。

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